(社説)戦後77年と世界 平和の合意点を探る時だ
欧州で侵略戦争が続く一方、台湾海峡で力の対抗が深まる。世界を暗雲が覆うなか、日本が戦争で敗れた日を迎えた。
77年を経た今も、記憶の残像は濃い。空襲で逃げ惑う恐怖、家も街も焼け落ちた絶望、肉親を失う悲しみ……。
往時の体験を、ウクライナから伝わる惨状に重ね合わせる声は多い。戦争を憎み、苦しむ人びとに思いを寄せるのは、ごく自然な感情であろう。
ただ一方で、忘れてはならぬ歴史の現実がある。勢力圏の拡張を夢見て近隣国に攻め入り、孤立し、破局に至った日本の過去は、今のロシアにこそ重なる部分が大きい。
あの過ちから再起した国民として、世界に訴えるべき原則がある。国家の名の下に人間の命と暮らしを顧みない施策はどんな時も誤りである、と。
日本が平和憲法のもとで培ってきた不戦の思想を説くべき時だ。大戦後の国際秩序が揺れる今、力が支配する世界に逆戻りさせない道筋を真剣に探らねばならない。
■二分思考の危うさ
ロシアと中国の動きは、過去に喪失した地域の「支配」を力で回復する試みに見える。とりわけ国際法を無視したロシアの暴挙は許しがたい。
だが、それに対抗して「民主主義と専制主義の闘い」と色分けに走るのも危うい。世界を二分するだけでなく、民主主義の個々の内情から目をそらす恐れもあるからだ。
ロシアも形式上は普通選挙と三権分立の民主体制だが、大統領が独裁色を強めた結果の開戦だった。それを非難する米国も、誤ったイラク戦争で膨大な人命を奪った記憶が新しい。
どの国でも時の政権と世論が一方向に偏り、暴走してしまう恐れは免れない。肝要なのは、戦争が招く結果を見失わぬよう自由で多様な論議を保障する民主主義の健全さである。
民主政治と戦争との危うい関係は、古代ギリシャの歴史家ツキジデスの「戦史」から読み取れる。アテネの民主政は高く評価されることが多い半面、弱肉強食や拡張主義、理念のためには命を捨てる考えとも結びついていた。民会を主戦論が制した末、アテネは遠征に踏み出して敗れ、衰退の途をたどった。
そのギリシャの「戦史」をひもとき、「宿命的な自己破壊のストーリー」と評したのは米国人ジョン・ロールズである。20世紀を代表する政治哲学者の一人で、今年没後20年になる。
米兵だったロールズは77年前の8月15日をフィリピンで迎えた。倫理学者の川本隆史氏によると、ロールズは戦地で原爆攻撃を聞き、それが真に正当だったのか、疑念にさいなまれた。占領軍の一員として来日した後、列車の窓から広島の焦土を目撃した、という。
■規範の共有をめざせ
ロールズは晩年の著書「万民の法」で、「正義にかなった国際社会は実現しうる」との構想を示した。それを担うのは国家よりも「民衆(ピープル)」だとしている。一定の良識や秩序があれば、国を超えた人間集団同士で「重なり合う合意」は成り立つとの信念がある。
21世紀の今も、国々や地域の世界観や文化はまちまちだ。だが、中心も大きさも異なる多くの円でも、重なる部分は見つけうる。その共有領域を国際規範とする考え方である。
例えば戦争については、民間人をねらう攻撃は不正義とし、原爆のような「巨悪」は許されないことになる。
ロールズの論旨にはさまざまな解釈があるが、多様な社会の民衆がどう共存できるかという思考は、無極化時代と言われる今こそ必要な営みであろう。
戦争で犠牲になるのは結局、ふつうの市井の人たちだ。戦争になってしまえば、個人の生命も自由も、民主的なプロセスも、顧みられなくなる。
「自己破壊のストーリー」を避けるにはどうするか。大国が自国第一に傾く今、共有する合意点を広げるために、日本や中小の国々は結束を強めたい。そして、紛争の芽を摘む予防外交の強化が必要だろう。
円の重なりをすぐに見いだしにくい国同士でも、まずは細い糸でつなぐ対話の努力が必要だ。ウクライナや台湾をめぐるロシアと中国の強権的な態度も、地道な外交努力でほぐし、落着点を探るしかない。
■民主主義の点検を
今世紀に入り、民衆の力がリードする分野は広がっている。核兵器禁止や気候変動など、市民と専門家の協働がルールづくりを加速させてきた。そうした良識ある民衆の連帯を、さらに拡大していくべきだ。
そのためにも、改めて確認しておきたい。社会の平和と安定を保つのは、多様な個々人の共生を保障するしくみである。
今の社会は、言論や思想の自由を本当に守っているか。政治は、個々の市民の幸福を最優先しているか。足元の民主主義を絶えず点検することが、平和の合意点を広げる一歩となろう。
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- 【視点】
8月15日の終戦記念日に社説でどのようなメッセージを発信するかは、日本のジャーナリズムにとって極めて重要な意義を持ちます。 ロシアによるウクライナ侵攻の真っ只中で、台湾有事や北朝鮮核ミサイル配備のリスクを抱える東アジアと日本において、先の