(後藤正文の朝からロック)手を添え合う精神こそ

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 映画「重力の光:祈りの記録篇(へん)」を観(み)た。

 石原海監督によって記録された、北九州市の東八幡キリスト教会に集まる人々の痛みと信仰。人生と呼ぶべきそれぞれの物語が劇中劇を介して絡み合い、小さなコミュニティーの記録が我々の社会の在り方を映し出す鏡のように編み直されて、差し出される。

 「許されざる者であるユダを許さなければ、キリスト教は成立しない」という奥田知志牧師の話に心を打たれたという方の独白が印象的だった。「いわんや悪人をや」という親鸞の言葉を思い出す。私たちの人間らしい過ちを抱きとめようとする奥田牧師の考えが、映画を通してひしひしと感じられた。

 スマートフォンの画面を開けば、様々な場所で他人を断罪する厳しい言葉が飛び交っている。それらのほとんどが数文字の短文だ。私たちのそれぞれの人生が、書き留める方法もないほど膨大な時間の積み重ねであるにもかかわらずだ。それは、我々こそが無謬(むびゅう)であり神なのだと信じる者の態度なのかもしれない。

 許す許さないの判断をすることの傲慢(ごうまん)さ。ならば、許し合える社会こそが美しいのではなく、懸命に生き、黙したまま傍らに立って手を添え合うような精神こそが、社会には必要なのかもしれない。

 信仰とは何かを、静かに問いかけるような映画だと思った。

 (ミュージシャン)

連載後藤正文の朝からロック

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