(社説)補正予算審議 国会の職責が問われる
来週から今年度2次補正予算案の国会審議が始まる。経済対策分で約29兆円にのぼるこの案は、数々の点で憲法や財政法の精神を踏みにじる内容だ。国会は国民に代わって徹底的に審議し、誤りをただす責務を果たさなければならない。
2次補正案は先週、閣議決定された。財源がないため、新たに約23兆円の国債を発行する。うち約20兆円は、公共事業などの投資以外に充てる赤字国債であり、本来ならば財政法が発行を禁じているものだ。
岸田首相は「見通しがたい世界経済の下振れリスクに備え、トップダウンで万全の対応を図ることにした」と説明した。確かに、ウクライナ情勢は先行きが見通しづらい。
だが、だからといって、コロナ禍の経済への影響が深刻だった昨年度の経済対策の補正予算(約32兆円)に匹敵する規模が必要ということにはならない。異例の措置だったはずの財政運営を漫然と続け、借金まみれの度を深めるのは、無責任だ。
「総額ありき」で水ぶくれさせた結果、2次補正案には、必要性や効率性の精査が不十分な事業が目立つ。典型は、電気やガス、ガソリンなどの価格引き下げのための補助金だ。富裕層も含めて一律に恩恵を受ける手法をとり、6兆円以上の費用を計上している。
一方で、主要野党が提言した経済対策の規模は、立憲民主党が7兆円、日本維新の会が18兆円など、政府案を大きく下回る。29兆円が適切なのか、国会で徹底的に問うべきだ。審議を例年並みの1週間程度で終わらせることなく、十分時間をかけなければならない。
常態化しつつある巨額予備費も、見過ごしてはならない。2次補正では、コロナや物価高に対応する既存の予備費を3・7兆円積み増し、さらに、ウクライナ危機対応の名目で1兆円の予備費を新設する。
年度末にかけ、国会は続けて開かれる。予算の追加が必要になれば、新たな議決も可能だ。にもかかわらず、政府だけで使途を決められる予備費をいま大きく増やすのは、憲法が定める財政民主主義の軽視であり、断じて許されない。
近代議会は、支出や課税の権限を、国王から国民の代表に移すことにルーツがある。黎明(れいめい)期の明治議会でも、軍事費拡大に歯止めをかけて地租改正を避ける論戦が中心だった。
政府の予算を民主的に統制し、非効率な支出を認めない。それが、国会に負託された最も重要な職責の一つである。国会議員一人一人がその責任を自覚し、道理に合わない補正案をただすよう、強く求める。
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