(社説)パラスポーツ 国枝選手が開いた未来

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 20年余りにわたって残した軌跡をたたえると同時に、今後の障害者スポーツの姿を改めて考えていく契機とすべきだろう。車いすテニスを牽引(けんいん)してきた国枝慎吾選手が引退を表明した。

 04年アテネ・パラリンピックのダブルスで優勝して以来、全豪、全仏、ウィンブルドン、全米の4大大会とパラリンピックを合わせ、38歳までに重ねたタイトルは計54に及ぶ。世界ランク1位での引退表明とはいえ、「もう十分やりきった」という言葉からは完全燃焼の思いが伝わってくる。

 09年には国内の障害者スポーツでは異例のプロ宣言を行った。競技の激しさ、妙味を広く伝えながら社会での認知度を高め、スポンサーを集めるプロアスリートの道を切り開いた。その存在と活動に勇気づけられた選手は多かっただろう。先駆者として果たした役割は大きい。

 そうした時間をへて、障害者スポーツを取り巻く環境は確実に変わってきている。

 日本財団東京パラリンピック後に実施した調査では、大会の内容を知っている人は8割以上で、大会参加者のうち日本選手の名前を1人以上知っている人も4割を上回った。

 大会の影響についても人々の「パラスポーツに対する興味・関心」や「共生社会への関心」が高まったと肯定的に評価する人が、それぞれ4割、3割を超えていた。国枝選手らの歩みとパラリンピックの開催が相乗効果を生んだとみてよいだろう。

 一方、障害者スポーツの道のりは、まだ半ばだ。障害者がスポーツで国際的活躍を目指したり、自由に体を動かすことを楽しんだり。そうした選択ができる環境を整えることが大事だ。

 例えば、障害者スポーツの競技団体は運営規模が小さく、人材も足りないところが多い。近年はサッカーやトライアスロンなどで、それぞれ障害者と健常者の競技団体が連携をとり、大会の開催や環境整備に協力して取り組む例もでてきた。国枝選手が指摘する、テニスにおける障害者と健常者の「垣根の低さ」は、他の競技もめざすべきありようだ。

 車いすでフロアが傷む、トイレや更衣室が十分ではない、といった理由で障害者が利用できないケースが多かった施設の問題も、まだ改善途上だ。

 そんなハード面の取り組みに加え、コロナ前に盛んだった、選手が学校や地域へ出向いて開く出前授業や体験教室の試みも定着させたい。パラ競技のほかに風船バレーのような障害者と健常者が一緒に楽しめるものを創造することもできるはずだ。

 次は、心の「バリアフリー」を加味しながら進む時だ。

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