(社説)原発事故から12年 教訓捨てる「復権」 許されず
草木が伸び放題の荒れ地。使う人もなく朽ちる建物。積み上げられた無数の黒い袋のそばをダンプカーが行き交う。福島県大熊町と双葉町にまたがる福島第一原発の周りには、汚染土の中間貯蔵施設が広がる。
木村紀夫さん(57)は先月、かつて暮らしたこの地の一角から、スマホのライブ配信で学生らに問いかけた。
「原発事故での東京電力の責任は重い。でも、電気を使っているのは自分たち。いま原発再稼働の流れが強まっています。その上に成り立つ豊かな世の中って、どうなんでしょうか」
■終わらぬ被災の現実
木村さんの次女、妻、父は、東日本大震災の津波で行方不明になった。原発事故で捜索もままならないまま、避難指示で故郷を追われた。その過酷な体験を語る活動を続ける。災害への備えや事故の背景を自分ごととして考えてほしいからだ。
政府は「原発復権」へかじを切りつつある。どう感じるか。木村さんは、こう答えた。
「あれだけのことがあったのに、世の中変わらないんだな。自分の経験が伝わらないと思うと、息苦しいですね」
震災と津波、そして福島第一原発の事故から12年。現地を訪れると、終わりが見えない被災の現実が目に入る。
廃炉作業中の原発建屋は、爆発で崩れた壁やひしゃげた鉄骨が今も残る。政府は「廃炉完了に30~40年間、費用は8兆円」と想定するが、その程度ではすまないとの見方が多い。
敷地には、汚染水を処理した水のタンクが林立する。政府は「春から夏ごろ」に海に放出する構えで、土木工事が急ピッチで進む。だが、風評被害への危惧が強く、地元漁業者らは反対の姿勢を崩していない。
■戻される時計の針
周辺では街の再生への粘り強い取り組みが続く。帰還困難区域でも除染で放射線量が下がった「復興拠点」では、昨夏から避難指示が解除され始めた。
双葉町では公営住宅が建ち、役場も戻った。だが、生活環境の回復は十分でなく、かつて7千人が暮らした町にいま住むのは約60人だけだ。伊沢史朗町長は訴える。「国の政策に協力した町でコミュニティーが一瞬で崩壊した。日本は必ず犠牲者を助ける国であってほしい」
3・11は、ひとたび原発が制御不能に陥ると、取り返しのつかない惨禍を招く現実を見せつけた。収束作業は難航を極め、避難地域の大幅な拡大が現実味を帯びる局面もあった。
甚大な代償を払ったすえに得た社会的合意が、原発の「安全神話」との決別と、エネルギー政策の転換だった。
「原発依存度を可能な限り低減」するという政府の方針が打ち出され、安全規制も一新された。高い独立性を持つ原子力規制委員会が設けられ、個々の原発の運転期間も制限された。朝日新聞の社説も、再生可能エネルギーを拡大しつつ脱原発を着実に進めるよう訴えてきた。
ところが昨年来、岸田政権が時計の針を戻すような動きを加速させている。原発を「最大限活用」する新方針を決め、建て替えや運転期間の延長に踏み出した。今国会で関連法案の成立を図る構えだ。復権を主導する経済産業省に規制委が追随し、「推進と規制の分離」も揺らいでいる。
政権は再転換の理由に、足元のエネルギー供給不安や脱炭素化への対応を挙げる。だが、仮にそうした状況を視野に入れるとしても、被災地の苦境から目を背け、原発事故から学んだ教訓を投げ捨てる理由には、断じてならない。
被災地に中間貯蔵する汚染土の処分先は今も棚上げ状態だ。事故後対象地域が広がった住民避難の計画づくりに難航する原発立地地域も多く残る。「核のごみ」の最終処分は解決の道筋さえ見えない。にもかかわらず、国民的な議論もなしに原発回帰を進めるのは、被災を風化させることにほかならない。
■原点ゆるがすな
政権の新方針も「事故への反省と教訓を一時も忘れず、安全性を最優先することが大前提」とはうたう。だが、問題は内実だ。自民党の麻生太郎副総裁が「原発で死亡事故はゼロ」と発言したように、リスクを矮小(わいしょう)化し、安全神話を復活させるような動きは消えていない。
国会の事故調査委員会に加わった石橋哲・東京理科大教授はこう述べる。「教訓を忘れないとよく語られるが、その中身や事故の根本原因を、原発にかかわる人たちも国民も、突き詰めて考えてこなかった。情緒的な言葉で物事を押し流している」
政策当事者は課題を直視せず対処を先送りする。政治は熟議と合意形成の責務を果たさず、世の中にも無関心や根拠なき楽観が広がる――。12年前に猛省を迫られた社会の体質は、はたして改善しただろうか。
福島の苦闘に向き合う。あの時の経験と教訓を思い起こし、進むべき道を考える。その原点をゆるがせにはできない。
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