(後藤正文の朝からロック)政治的に公平な放送とは
総務省がウェブサイトで公表した放送法の政治的公平性に関する文書を読んだ。当時の総理秘書官からの伝聞についての記載に正確性が確認できない部分があると考えられるものの、国会答弁に関するいきさつを事務的にまとめた文書を「捏造(ねつぞう)」とする高市早苗経済安保担当相の主張には、無理があるように感じた。
文書には、当時内閣総理大臣補佐官だった礒崎陽輔氏が特定の民放番組の番組制作にいくらかの圧力がかかるような総務大臣の国会答弁を計画し、それが実行されるまでのやりとりが露(あら)わになっていて驚いた。また、政治的な公平性は放送事業者の自主・自律的な取り組みによって担保されるべきだという従来の解釈に基づいて、恣意(しい)的な解釈の変更を避けようとする総務省の方針が感じられるのが印象的だった。
内容が極端に偏った放送があった場合、その政治的公平性を番組単体で問うべきだという問題提起には妥当性があると思う。しかし、そうした提案が政権批判を封じるために行われるのだとしたら、政治のあり方としては不寛容で貧しいと言わざるをえない。
鵜呑(うの)みにせず考え、互いに話し合う市民の知性への信頼が、放送事業者の自由な番組作りを担保していると思う。政権とメディアの関係も含めて、政治的に公平な放送とは何かについて考え、話し合う責任が私たちにはある。
(ミュージシャン)
有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。