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楠達也さん(1938年10月13日生まれ)

 【井口恵理・24歳】長崎原爆の日の前夜。仏教や神道、キリスト教、イスラム教など、国内外の宗教団体の代表者が毎年、爆心地公園に集まり、県宗教者懇話会が主催する慰霊祭に参列する。2012年から実行委員長を務めるのは、長崎市仏教連合会長で光源寺の前住職、楠達也(くすのきたつや)さん(75)=長崎市伊良林1丁目=だ。光源寺は爆心地の南東約3・5キロ。爆風で大きな被害を受け、多くのけが人が避難してきた。

 戦争と宗教の関わりを尋ねると、「人類始まって以来、戦争の原因は宗教に他ならない。先の戦争でも日本は神道を戦争に利用し、他の宗教も戦争に協力した」。長崎は狭い範囲に宗教が入り乱れる町。クリスマスには僧侶がミサに参加し、釈迦の生誕を祝う花祭りには神父や宮司が祝福に訪れる。人類愛を語りながら、殺し合う。そんな宗教の歴史を乗り越えるため結成された県宗教者懇話会で、平和活動を続けている。「宗教や宗派の壁を越えて、世界平和を祈る。これが本来の宗教の姿だ」

 15ほどの神社仏閣が集まる長崎市寺町かいわい。浄土真宗本願寺派光源寺は、母親の幽霊があめを買って赤ん坊に与えたという民話「産女(うぐめ)の幽霊」で知られる。楠さんは、この寺の住職、越中聞信(えっちゅうもんしん)さんの三男として生まれた。物心つくころから早起きしてお経を唱え、5歳のころには暗唱していた。長兄は郷土史家の越中哲也(てつや)さん(91)。楠さんにとって「学校の先生よりも偉い」存在で、今でも「越中先生」と呼ぶ。寺には家族だけでなく、僧侶や女中、下宿生、物乞いのおじさんまで暮らしていて、にぎやかだった。

 当時の遊びは戦争一色。両手を広げて人に頭突きをする「特攻隊ごっこ」。瓦を割って投げ合う「石合戦」。戦争や兵士は憧れだった。それが変わるのは、1944年ごろ。食糧が不足し、寺で暮らす人は徐々に減った。釣り鐘や仏具などの金属は軍のために供出した。聞信さんは空襲警報が聞こえると、ご本尊を避難させた。ミイラのように布で巻かれた仏の姿は、どこか異様で怖かった。

 1944年の夏。食糧不足が深刻化してきたころ、大勢の出征兵が光源寺にやってきた。長崎港から戦地に向かう輸送船に乗るため、1週間ほど宿営した。外に立たされて上官に革靴でたたかれたり、落とした飯盒(はんごう)を拾うため井戸に縄でつるされたりした兵士の姿を、楠さんは今も鮮明に覚えている。

 「坊や、手を出してごらん」。ある日、兵士に声をかけられた。見ると、手のひらには紅白の金平糖がいっぱい。天にも昇る気持ちで、一粒ずつ大事に食べた。「ダイヤモンドよりもありがたかった」

 数日後、境内に整列する兵士たちを日の丸を振って見送った。その後の生死はわからないが、多くが戦死したのではないかと思う。兵士たちの無念さを思い、手を合わせる。

 「あの金平糖は、兵士がふるさとに残した我が子に贈るつもりでくれた、最後のプレゼントだったのだ」。数十年後、親になった楠さんはそう気づいて、金平糖を買いに走った。一粒口に入れると、涙が流れた。

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