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 【杉村和将】仮設住宅の小さな居間の壁に、31枚の写真が張られている。

 長女の琳(りん)ちゃん(当時6)が、幼稚園の運動会で元気に手をあげている。おにぎりを手にした次女の麗(れい)ちゃん(当時4)は、本当にうれしそうだ。娘たちをやさしく見つめるのは、妻の牧恵さん(当時36)。

 《自慢の娘たちでした。見てやってください。

 妻は、僕の一目ぼれなんです。》

 どの写真にも、岩手県陸前高田市の会社員、新田貢さん(49)が手にしていた、あたり前の幸せが映っている。

 津波が3人を奪っていった。しばらくは、1枚の写真も張れなかった。

 《写真を見ると泣いてしまって。3人が見つかってから、もう毎日泣き続けました。気がおかしくなるんじゃないかというぐらいに。

 僕、8歳のときに母親を亡くしたんです。大工の棟梁(とうりょう)だったおやじが、ぼろぼろと泣きました。子どもながらにショックで、以来、僕は泣いてない。

 息子にも「男は泣くな」と言い続けてきたんですけど。》

 新田さんは長男の佑君(11)と2人で暮らす。

 妻や娘の友人が線香をあげに来てくれる。「娘たちに会いに来ても、写真が1枚もない。それはちょっと」と思うようになった。

 《最初、1枚だけ置いてみたんですが、泣けてしまって。たくさん張れば気が晴れるんじゃないかと、泣きながら張りました。

 張ってみて、わかった。1枚では、子どもたちを表現できないんです。はしゃいでいるときもあるし、怖がっているときもある。一生懸命のときも。

 全部でひとつの遺影なんです。》

 新田さんが泣き暮らすなか、佑君は涙を見せなかった。子ども同士で無邪気に遊ぶ姿に、救われたような気がしていた。

 《実家でおばあちゃんに「佑は泣かないんだなあ」って話したんです。そしたら「そんなことないよ」と。実家のこたつに入って、泣いていたそうです。

 我慢していたのかと、つらくなりました。それからです。涙が出ても、自分を抑えられるようになったというか。》

 震災の年の夏。被災地をめぐる長野県の僧侶と出会った。何度も陸前高田を訪れ、新田さんの思いに耳を傾けてくれる。

 「娘さんや奥さんの姿は、見えないかもしれない。でも、いつも近くに寄り添ってくれていますよ」。僧侶は言った。

 《その言葉を聞いてからです。夢に出てくるようになった。

 琳が帰ってきたんです。そこには妻もいて。うれしくて、僕は言いました。「ママ、琳が帰ってきたよ」

 娘を抱きしめることもできた。

 また会いたい。その日から、早く床につくようになりました。》

 韓国、モンゴル、花巻空港からの遊覧飛行、一関でのSL試乗会……。僧侶の言葉に出会ってから、新田さんは佑君を連れ、被災者支援の招待イベントにも積極的に参加している。

 《僕らが楽しいところに行けば、琳も、麗も、妻も、一緒に楽しんでいる。そう思うようになりました。

 このブーツ、娘への、モンゴルでのお土産なんです。》

 壁の写真の合間に、革製の小さなブーツのキーホルダーがぶら下がっていた。ほかにも、各地の土産がいっぱい飾られている。

 《妻と結婚するときに、「どこにでも連れて行ってやる」なんて言っていたんですが。

 死んでからになってしまいましたね。》

 10日、陸前高田には強い風が吹いた。新田さんは市の追悼式に参列し、そのあと、隣町にある3人の墓で手を合わせた。

 《2年前、自分の人生はこれで終わった。そんな気持ちになりました。今でも続いています。

 死ぬことが怖くなくなったんです。

 だからこそ、開き直って生きよう。いまはそう思っています。》