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【伊藤喜之】一見するとせんべいみたいに見える。でも、かりんとう。食べてみると、最初にごまの味がして、そして素朴な甘さが広がる。

 津波で800人超が死亡・行方不明になった宮城県南三陸町。「いつよおばあちゃんの復刻かりんとん」は、いま、歌津地区の直売所で人気商品になっている。呼び方が少し違うのは、この地方の方言だ。

 《おばあさんがたまに作って、近所の人にふるまっていたんです。おばあさんはとっても聞き上手で。うちにはいつも、たくさんの人がお茶のみに集まっていました。みんな、かりんとんも楽しみにしていて。》

 歌津の佐藤のり子さん(56)は、義母のいつよさん(当時81)の話をすると、本当にうれしそうな顔をする。「自慢のおばあさん」だった。そのおばあさんの味を、いま引き継いでいる。

 震災の日、いつよさんは町の中心にあった公立志津川病院の3階にいた。夫の猛さん(当時91)がぜんそくで入院していた。300メートルほど先に海が見えた。

 《3階だから大丈夫だと思ってたんです。でも、様子を見に行ってくれた人が「3階まで海だ」って。信じられませんでした。

 最後を見た看護師さんの話だと、おばあさんに「避難して」と呼びかけても、「大丈夫だから」と半身不随のおじいさんにしがみついて離れなかったそうです。》

 義父も義母も見つからなかった。震災直後から、のり子さんは強い自責の念にかられた。義父の入院は、医師とのり子さん夫婦で決めたからだ。

 《おらが殺してしまったんだ。そう思えて仕方なかった。食欲もわかなくて、一時は15キロやせました。病院にさえやらなければって、いまでも思います。

 世間でいわれる嫁しゅうとめの関係は、我が家では皆無でした。漁師の家に嫁ぐのは苦労がつきもの。でも、おばあさんは常に私を気遣ってくれて。近所の人は「いつよさんからあんたの陰口を聞いたことがねえ」って言ってくれます。》

 昨年6月、のり子さんは夫と青森の恐山に出かけた。いたこに口寄せをしてもらった。

 《「本当におらだちに尽くしてもらって、ありがとな」って、おばあさんが言ってくれたんです。それを聞いて、だいぶ和らぎました。》

 その数カ月後。実家に親族が集まったとき、義母のかりんとんが話題になった。「あれは幻のかりんとんだったね」。誰ともなく言った。

 《はっと思いました。町に新しくできる直売所に、おばあさんのかりんとんを出品できないかって。

 おばあさんの味をよみがえらせることができる。それは、私にとっても償いになるんじゃないかって。》

 娘の菊地美香さん(33)と、かりんとん作りを始めた。でも、おばあさんの味にはなかなか近づけない。きつね色にほどよく揚げるのも難しくて、目を離すとすぐに焦げてしまう。何度も何度も試作を重ねた。

 《おばあさんの味を覚えている近所の人に来てもらって、食べてもらった。「おなず(同じ)だ、おなず味だ」「ちょうどいいやんべ(あんばい)だな」って。本当にうれしかった。》

 昨年10月にオープンした直売所では、ボランティアで来た全国の人も買っていく。

 《おじいさんもおばあさんも、ほとんどこの町から出たことがありません。だから、かりんとんと一緒に旅に出てほしいなって思うようにしてるんです。》

 かりんとん作りは、1回で4時間かかる。のり子さんはいま、ほぼ毎日揚げ続けている。

 《おばあさんと向き合う時間ですね。この時間を大切にしたい。

 おばあさんが作っていたとおりにすると、多くても1日に192枚しか揚げられない。でも、それ以上は作らない。決めています。》