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 【平間真太郎】《気持ちは、ずっと変わっていません。1人だけ残ってしまった。自分だけ生き残ってしまって、よかったのだろうか。思いは、いまも消えません。

 落ち着ける場所がないんです。家がなくなってしまったからではない。いるべきはずの家族がいないから。

 ただただ、家族に会いたい。それだけです。》

 桜井謙二さん(38)は、妻のめぐみさん(当時36)、長女の綾香さん(同14)、次女の愛香(まなか)さん(同10)を津波で失った。あの日、3人は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)の自宅に、桜井さんは亘理町の職場にいた。

 《妻とは高校時代に、雑誌の文通コーナーで知り合いました。お互いに車や音楽が大好きで、3カ月後には妻が北海道から宮城にやって来た。一緒に暮らし始めました。

 何をするにしても、家族みんなでやりたい。だから、イベントを大切にしていた。震災直前のバレンタインデー。仕事から帰ると、愛香が「どうぞ」と言ってチョコレートを渡してくれました。

 愛香は幼いときにてんかんを発症して、脳の機能に障害があった。その愛香が、妻と一緒に、一生懸命に作ってくれたんです。

 思い出すと、温かい気持ちになります。けれど、切なさ、悲しさもこみ上げてきてしまう。》

 昨年の3月10日。閖上中学校で卒業式があった。長女も巣立つはずだった。式が始まる10分前、桜井さんは青ざめた顔で式場の体育館に入った。

 《最後まで悩みました。怖かった。綾香と一緒に遊んでいた子どもたちの顔を見たら、なぜ、そこに娘がいないのか、と恨めしく思ってしまう。でも、綾香は同級生のみんなと一緒に卒業したいはずだと思い、向かいました。》 

 最初はうつむいていた桜井さんは、次第に号泣した。 

 《先生がイスに綾香の写真を並べたとき、「来なければよかった」と思ってしまった。なんとか、必死でとどまりました。綾香の言葉がよみがえったからです。

 「いつまでも、やさしくて、かっこいいパパでいてね」。震災の数日前、唐突に綾香から言われました。かっこ悪い姿は見せられない。ここで逃げたら、立ち直れなくなると思ったんです。 

 月命日には、墓参りを欠かさない。次女が通った特別支援学校の同級生が、花を手向けにきてくれることもある。

 お母さんと一緒に来てくれた。はっきりとは言葉を話せない子が、お墓の前で、何度も私の袖を引っ張りました。懸命に何かを伝えようとしていた。

 なぜ、愛香がいないのか。そう聞かれているような気がしました。

 そして、今年の3月15日。その次女の学校の卒業式がある。学校から招かれているが、桜井さんは、まだ返事ができていない。 

 《長女の卒業式は、中学校が津波で壊れ、間借りしている小学校が会場でした。そこには思い出が染みついていない。でも、次女が通った学校は、内陸で、被災をまぬがれた。娘が通っていたままの学校です。校内のあらゆる場所が、思い出と結びついている。

 いまも、先生と一緒に廊下を歩く姿や、校舎内で遊ぶ姿が浮かんできます。》 

 桜井さんは震災後も、住宅メーカーで仕事を続けている。ただ、働く意味や、生きる意味がわからなくなってしまったという。 

 《周りの方からは「奥さんや娘さんのお墓を守るのがあなたの役目だよ」と言われることがあります。でも、いまはまだ、道筋がみえないんです。

 あれから2年がたち、みんなが復興に向かって動いています。でも、私は家族を失ったという思いにとどまっている。そんな気持ちを口にすることも難しくなっているように思う。》

 桜井さんは、時間があれば、閖上の自宅があった場所に行く。

 《いまは更地です。でも、仕事から帰ってきたあと、夜にでも行く。

 そこに行くと、家族と暮らした日々を感じることができるんです。》