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 【江川慎太郎】《わがままを言わない子でした。いつもにこにこ、ほんわかとしていて。夏休みには同級生を思って、「みんな元気かなあ」と口にしていました。

 2年生の時、同じ学校の子が交通事故で亡くなったんです。学校の報告会で姫花(ひめか)は一人、わんわん泣いていたそうです。》

 東日本大震災で、福島県いわき市では441人が犠牲になった。市内で塾を経営する鈴木貴さん(37)は、小学校4年生だった長女の姫花さん(当時10)を失った。

 《絵を描き始めたのは2歳のころです。アンパンマンや少女漫画の主人公をね。保育園に入るころにはお絵かきに熱中していた。

 震災の年の2月に次男が生まれました。姫花はテレビの子育て番組を見ながら、離乳食なんかを描いていた。5歳下の長男には、ウルトラマンやスーパーマリオを。 

 私と妻は「うちにはママと姫ちゃんママの、ふたりのママがいるね」って話してたんです。》

 大きな揺れと津波が東北地方沿岸を襲ったとき、鈴木さんは塾に出勤する途中だった。

 《心配になってアパートに戻り、妻と次男の無事を確認した。それから車で保育園に長男を迎えに行って。学校帰りの姫花がいる実家に向かったのはその後です。》

 実家は、白亜の美しさで知られる塩屋埼(しおやさき)灯台の近くにあった。

 《大勢の人が外に出ていた。ただならぬ様子で。

 実家近くの空き地に車をバックで入れようとした、まさにその瞬間でした。》

 濁った大きな波が、ざばざばと押し寄せてくるのが見えた。

 《「あぶない」と思い、横から来る波を切り抜けようとアクセルをふかした。波を避けることしか頭になかった。長男を乗せたまま、車を発進させたのです。

 結果として、実家に姫花や母を残してしまった。

 車にいた長男は、間一髪で助かりました。ただ、姫花や母を助けられなかった。》

 震災から2日後、母親が遺体で見つかった。姫花さんが見つかったのは、その5日後だった。

 《安置所で、棺(ひつぎ)に入っていました。顔はとてもきれいになっていてね。

 一緒にいた実家の兄に「本当に姫ちゃんなのか」と尋ねました。明らかに自分の娘なのに。わかっていたのに、認めたくないんでしょうね。

 兄は「姫ちゃんだ」と言います。「兄が言うなら」と自分を納得させました。

 姫花の前では、泣くこと、謝ることしかできませんでした。「助けられなくて、ごめんね」。何度も言いました。》

 小学校で「十年後の自分へ」という作文の宿題が出たことがある。姫花さんは「デザイナーになりたい」とつづっていた。

 震災の2年前、姫花さんは近くの塩屋埼灯台の絵を描いた。オレンジ色の太陽、黄色に染まる空、緑の大地と青い海、そして真っ白な灯台。2011年秋、この絵を京都のデザイナーがハンカチにしてくれた。

 ハンカチはいま、灯台の下にある売店で売られ、収益はすべて寄付されている。

 《姫花は10年間、生きました。でも、ひょっとしたら、ハンカチを作ることで70年、80年と生きていけるかもしれない。

 毎朝、お線香を上げるときには心がぐしゃぐしゃになってしまう。いまも、あの日を思います。波にもまれながら助けに行けば良かった。助けに行って、助けられずに一緒に死んだ方が良かったかも、と。

 姫花のハンカチを作って、売って、そして思いを込めて寄付をして。そういう違った形で姫花を育てていく。

 そうすることで、親としての自分を落ち着かせているのかもしれません。》