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 「私のようにぽんと来るのはハイリスク・ハイリターン。一番いいのは、安定した医師数を大学の医局から配属してもらう仕組みができること」(岩手県立宮古病院医師 前川裕子さん、2012年10月25日付「人手不足補う県外医師」)

 東日本大震災の前から、三陸沿岸の病院では深刻な医師不足を抱えていました。震災では災害医療として全国から医療支援のチームが駆けつけましたが、被災地の病院に勤務医として飛び込んだ医師たちもいます。前川さんもその一人で、故郷の徳島に戻ることを棚上げにして宮古病院に赴任しました。寄せられたメッセージには、震災前に東京から赴任したベテラン医師の退職とともに、自身の葛藤がつづられています。

写真・図版

岩手県宮古市・県立宮古病院 前川裕子さんからのメッセージ

 1年前にこの「東日本大震災から4年 リレーメッセージ」(http://www.asahi.com/articles/SDI201511243480.html)で思いを伝えたが、今年もお話をいただいた。あれからもう1年も経ったのかという思いだ。日々をがむしゃらにこの1年も駆け抜けてしまい、何を語ればいいか立ち止まって振り返ってみた。

 

 本州最東端のまちにそびえ立つ岩手県立宮古病院は、海岸から車で10分ほどの高台に建つ9階建ての病院で、上層階の病室からは重茂半島と太平洋が一望できるオーシャンビューの絶景だ。5年前のあの日、この病院は一気に潮が引きそして迫り来る凄まじい津波の一部始終を真っ直ぐに見つめていたのだろう。

 今でも職員や地域の人達から折に触れて津波のときの話を聞く。被災した方々は飄々と語り笑って仕事をして普通に振る舞っているが、絶対に忘れ得ない辛い経験を胸に抱えている。そのことを自分も忘れないように。患者にも被災状況を聞くようにしてきた。ずっと仮設住宅暮らしだった患者が(以前仮設住宅の訪問をしていた際に偶然会ったことがあった)、今年ようやく公営住宅に引っ越して落ち着いたと聞き、ほっとした。災害公営住宅が次々に建設され、街は様変わりしつつある。

 

 昨年、震災により露見した深刻な医療過疎の問題が少しずつ改善に向かって進んでいると述べた。宮古病院など沿岸の病院への内陸からの応援派遣が増えたこと、2014年度(平成26年度)より関連病院とのウェブカンファシステムを導入し、リアルタイムに患者の相談をすることで治療の円滑化が可能となった。また2013年度(平成25年度)よりみやこサーモンケアネットというシステムを開始した。病院、開業医、薬局などの医療機関間で患者情報を専用回線で共有し合うことにより診療や介護に役立てるための情報連携システムであり、これにより「大きい病院が安心だから」と宮古病院に患者が集中するのを緩和し病診連携に効果的となった。

 

 今回は1人の先生についてどうしても語らねばならない。

 菊池利夫先生(66)は、東京の榊原記念病院で小児心臓外科医、循環器科医として勤務されていた。宮古市出身の友人から地元の医療の窮状を聞き、循環器不在の宮古病院を助けようと決断され2011年(平成23年)1月に宮古病院に赴任、4年間不在だった循環器科の常勤医となり外来診療を行った。その直後に東日本大震災が起き、他の職員とともに病院に泊まり込んで、2週間病院の玄関に立ちトリアージ役として患者を守った。遠方の知人から3か月間送られてきた支援物資を病院職員や地域の人々に配り励まし続けた。6月にたった一人で乗り込んで来た私を何かと気にかけ支え、娘のようにかわいがって下さった。

私は先生を尊敬し父のように慕っていた。毎朝全病棟を回診され患者や職員に声をかける誠実さ、悠然としてあらゆることを受け止める仏様のような存在であった。口癖は「お天道様に唾を吐くようなことはしない」。お酒が大好きで宮古の経済や産業の復興にも多大な貢献をされたことであろう。先生が被災地宮古に与えた希望の光は大きい。若い時に手術中のピンチを切り抜ける奇跡を起こすことから「ミラクルきくちゃん」と呼ばれたそうだが、宮古でもまさに「ミラクルきくちゃん」であった。そんな、宮古にとってかけがえのない存在の菊池先生が、宮古病院副院長、山田病院院長、宮古病院理事を歴任され、ついに今年度で退職されることとなった。いつかは訪れる別れと知りながら、心にぽっかりと穴が開いたような激しい寂寥感に襲われている。感謝してもし切れない思いと共に、そのような偉大な先生に支えられて自分がこの地で医療を全うしてこられたことをこの場で多くの人に伝えたい。

 

 個人的には、2015年(平成27年)4月に循環器科長を拝命した。外部からふらっとやってきた自分が適任なのか不安はあったが、皆の支えのおかげで何とかやってこられた。宮古に来て5年。昨年、町の復興、医療の復興、心の復興に終わりはないと述べた。そう思う一方で自分の引き際も考えないわけにはいかない。それは、もともと自分は将来地元の徳島に戻って地域医療をやっていこうと考えていたからだ。被災地宮古で腰を据えて医療や復興に取り組み、地域の皆さんに大事にしていただき、本当に居心地よく過ごしてきた。第二の故郷ともなった宮古を離れ難く、地元に戻りたいという気持ちとの葛藤で、本当に複雑な思いである。渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が好きだ。どこにいようとも、人々の心、身体、生活に寄り添える医師、そして人の痛みがわかり喜びをわかる人間でありたいと願う気持ちは変わらない。(寄稿)

略歴

1998年3月 東京大学医学部健康科学看護学科卒業

1998年4月 東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻修士課程進学

2002年3月 東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻博士後期課程中退

2002年4月 千葉大学医学部医学科学士編入学

2006年3月 千葉大学医学部医学科卒業

2006年4月~2007年3月 東京大学医学部附属病院 初期臨床研修医

2007年4月~2008年3月 日本赤十字社医療センター 初期臨床研修医

2008年4月~2009年3月 千葉県救急医療センター 循環器科医員

2009年4月~2010年3月 東京大学医学部附属病院 救急部集中治療部医員

2010年4月~2011年5月 榊原記念病院 循環器内科シニアレジデント

2011年6月~2015年3月 岩手県立宮古病院 循環器科医長

2015年4月~現在 岩手県立宮古病院 循環器科長

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<アピタル:東日本大震災・被災地からのメッセージ>

http://www.asahi.com/apital/special/shinsai/(岩崎賢一)

岩崎賢一

岩崎賢一(いわさき・けんいち) 朝日新聞記者

1990年朝日新聞社入社。くらし編集部、政治部、社会部、生活部、医療グループ、科学医療部などで、医療を中心に様々なテーマを生活者の視点から取材。テレビ局ディレクター、アピタル編集、連載「患者を生きる」担当を経て、現在はオピニオン編集部。『プロメテウスの罠~病院、奮戦す』、『地域医療ビジョン/地域医療計画ガイドライン』(分担執筆)