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 北アルプスなど全国的に人気の山岳地帯を管内に持つ長野県は、昨年12月、登山届の提出を義務化する「登山安全条例」を制定しました。この条例は、遭難防止が目的の一つです。現在、長野県は、条例をより効果的に運用し、登山を安全に楽しめるようにするための「ガイドライン」を策定しています。登山届の提出義務化は、夏山がスタートする7月1日から実施されますが、ガイドラインは5月末にも発表され、遭難防止に役立つ安全登山の指針となります。

 北アルプスなど長野県内には全国から大勢の登山者が訪れ、山岳遭難が多発しています。昨年は過去2番目に多い273件が発生し、死者は前年から12人増えて58人という深刻な内容でした。遭難の多くは、体力や経験不足から中高年登山者が起こしているのが実態です。長年、山岳遭難の取材を続けていて、遭難原因の大部分は予測が難しい気象の急変など「天災」でなく、登山者側のミスである「人災」だと感じています。遭難防止のためにも、ガイドラインは有効な「教材」になると感じています。

 長野県の条例で、登山届(登山計画)の提出を義務づけるのは、遭難の危険が高い「指定山岳」に登る場合です。八ケ岳や北アルプスなどの指定山岳(167山と1景勝地)で、主な登山道の起点となる「指定登山口」(122カ所)から山頂までの区間を「指定登山道」に定め、4月11日に告示しました。

 ガイドラインは、日本山岳会の前副会長、節田重節さんが座長を務める「長野県登山を安全に楽しむためのガイドライン検討委員会」で策定しています。委員は、山小屋組合幹部や山岳ガイド、国際山岳医ら10人。各分野の専門家たちが、登山計画や登山中の安全対策やマナーについて、初心者からベテランまで登山者にわかりやすい形でまとめています。完成すれば、技術指導書としても活用できる内容となるようです。

 最近の登山者は、かつてのように社会人山岳会や大学山岳部のような組織に入らない人が多く、登山の基本について学ぶ機会がほとんどありません。例えば、登山計画書(登山届)の必要性や存在そのものを知らない登山者さえいます。以前、岐阜県警山岳警備隊の隊員から「警察に電話をかけてきて、『北アルプスに行きたいのでだけれど、どの山を登ったらいいのか教えてほしい』と問い合わせてきた例がある。本来なら、どの山を登りたいから始まるのだけれど……」との嘆きを聞いたことがあります。

 ガイドラインは、「登山前のトレーニング」「登山計画書の作成」「装備」「歩き方」「悪天候や病気などリスク対処」といった、山岳会などで学ぶ「登山の基本」が網羅されています。

 昨年の長野県の山岳遭難で特筆すべきは、死者が前年より12人増えて58人を記録したことです。深刻なのは病死が前年比9人増の13人で、死因は心疾患や脳疾患、高山病などでした。健康管理に気をつけたうえで登山をすれば、深刻な事態を避けられたと思われます。

 こうした事情もあり、ガイドラインでは、リスク管理のなかで低体温症や高山病、熱中症対策に重点を置いています。3月24日にあった第2回検討委員会では、松本市在住の国際山岳医の千島康稔医師が低体温症、熱中症、高山病について追加意見を出しました。例えば、「低体温症の病状」として、①震える②倦怠(けんたい)感、脱力③判断力の低下、見当識障害④幻聴、幻覚、意識消失、心肺停止――を加えるなどです。

 原案では、どんな症状になれば低体温症といえるのかがしるされておらず、「無雪期の悪天候で一番に考えなければならないことは低体温症です」としか触れられていなかったためです。夏場でも稜線(りょうせん)で冷たい風雨に打たれ続けると、低体温症が原因で死亡事故なるケースもあります。低体温症の症状がわからなければ、対処が遅れてより深刻な事態を招くことになります。

 ガイドラインは、登山初心者も対象としています。装備の項では、「すべてのルートにおいて必要な装備」「必要において持参する装備」「テント泊に必要な装備」など登山の形態に合わせて、チェックリストとしてわかりやすく説明しています。

 山岳会などの会員にとっては当たり前の装備も、組織に入っておらず、独学で登山を始めた初心者にとっては不要と思っている装備が何点か挙げられています。代表的な物は、日帰り登山でのヘッドランプでしょう。初心者は、日没で暗くなる前に下山する日帰り登山だと不要と思いがちです。しかし、無雪期でも春や秋は日暮れが早く、疲労などで時間を取られると暗闇での行動となります。ヘッドランプなしで夜の登山道を歩くことは、木の根や岩場でつまずき転倒の恐れもあります。

 安全登山のため、様々な観点から作成される長野県の「登山を安全に楽しむためのガイドライン」。7月の夏山シーズン前にも、上高地などの登山口や登山用品店などで無償で配布される予定です。初心者だけでなくベテラン登山者にとっても、遭難防止のための重要な「装備」の一つと言えそうです。

<アピタル:近藤幸夫の山へ行こう・健康と安全>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/climb/(近藤幸夫)

近藤幸夫

近藤幸夫(こんどう・ゆきお) 朝日新聞山岳専門記者

1959年。岐阜市生まれ。信州大学農学部卒。86年、朝日新聞入社。初任地の富山支局で、北アルプスを中心に山岳取材をスタート。88年から運動部(現スポーツ部)に配属され、南極や北極、ヒマラヤで海外取材を多数経験。2012年から日本登山医学会の認定山岳医講習会の講師を務める。現松本支局長兼山岳専門記者。