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 最多勝利騎手に輝いたこともある内田博幸さん(45)は5年前、レース中に落馬し、首の骨を折る重傷を負いました。装具で頭と首を固定されると、「誰にも会いたくない」とすべての面会を断りました。ただ、日に日に募るのは、「もう一度競走馬に乗りたい」という思いでした。必死のリハビリを続け、事故から8カ月後、再びレースの世界に戻ってきました。トップ騎手がたどった軌跡とは――。

    ◇ 

落馬、意識あっても命の危機

 激しい雨が降る中でのレースだった。2009年に「最多勝利騎手」に輝いた中央競馬の内田博幸さん(45)は11年5月11日、東京・大井競馬場の夜間競馬「トゥインクルレース」の途中で、落馬した。

 全長1200メートルの砂のコースは、大井競馬に所属していた地方競馬時代から知り尽くしている。

 「きょうは雨が強いから、滑りやすいな」

 雨が降るコースは、砂が流されてスピードが出やすい半面、滑りやすくもなる。気持ちを引き締めて、臨んだレースだった。

 ゴール前の最後の直線。乗っていた馬は、後方につけていた。

 「よし、ここからだ」

 追い込みをかけるため、馬にむちを入れた。その瞬間、わずかに馬とのバランスがずれ、重心が合わなくなった。

 「あっ!」

 体が右に傾く。右足で踏ん張ろうとしたが、輪に足をかけて体を支える「あぶみ」が外れていた。

 「ドーン」

 体に激しい衝撃が走った。足から落ちた後、頭が地面にたたきつけられた。コース上で倒れたまま、自分の体に呼びかけた。

 「意識は、はっきりしているな。手足の骨折も、なさそうだ。ただ、首がまずいな……」

 立ち上がると、首に重くのしかかるような痛みがあった。

 しばらくすると、競馬場内で待機していた緊急車両が近づいてきた。手をあごに当てて、頭の重みを支えながら、車に乗り込んだ。

 首にズーンと響く痛みは引く気配がない。すぐ後にその日に最も注目されるレースが控えていたが、キャンセルすることにした。

       ◇

 18歳だった1989年に地方競馬の騎手としてデビュー。08年に中央競馬に移籍すると、翌09年には日本を代表する騎手の武豊(たけゆたか)さん(47)が7年連続で取り続けていた中央競馬の最多勝利騎手である「リーディングジョッキー」の座についた。同じ年に年間975回の最多騎乗記録をつくり、一躍トップ騎手の仲間入りを果たした。

 10年には9頭がからむ落馬事故に巻き込まれて左腕を骨折したものの、地方競馬での勝利数も含めた最多勝利騎手になった。

 3年連続で最多勝利を目指す中での落馬だった。

 事故が起きたのは午後8時前ということもあり、受け入れ先の病院はなかなか見つからなかった。競馬場近くの病院は、混んでいて診察まで2時間はかかるという。

 「この首の状態は、絶対に普通の痛みじゃない。長い時間待っていちゃダメだ」

 そう直感して妻の文子(あやこ)さん(35)に電話した。

 「文ちゃん、ちょっと病院を探してくれない? しゃべれるし、歩けるけれど、首がかなり痛い」

 自宅にいた文子さんは、都内の病院を探して電話をかけた。東京慈恵会医科大病院(東京都港区)が受け入れてくれることになり、車で病院へ向かった。

       ◇

 救急外来の処置室で医師に事情を説明した後、寝たまま首をX線で撮影した。

 検査を終えて横になっていると、若い医師が顔色を変えてやって来て叫んだ。

 「ストップ! 動かないで。首の骨が折れています。動くと死んじゃいますよ」

 首の重い痛みに合点がいったが、「そんなに大事(おおごと)なのだろうか」とも思った。

 整形外科の当直だった助教、木田吉城(きだよしくに)さん(43)によると、首の頸椎(けいつい)の二番目にある歯突起(しとっき)=キーワード=と呼ばれる部分が折れていた。頸椎の上部は骨折してもまひが出ることはまれだが、呼吸をつかさどる神経が走っている。

 木田さんから「首が安定するように、すぐに固定しましょう」と告げられた。

 金属の輪とフレームで頭と首を固定するため、4本のボルトが用意された。頭に局所麻酔をした後、金属製の輪を頭に付けて、左右の額と側頭部からボルトを差し込んで頭蓋骨(ずがいこつ)と固定。頭に取り付けた輪を、体に装着したフレームとつなげて動かないようにした。

 頭に直接ボルトが差し込まれた姿を見て、文子さんは衝撃を受けたが、努めて明るく声をかけた。

 「おっ、すごい姿になったよ」

 自分の表情が曇れば、夫が不安になるだけだ――。そう思い、文子さんは普段通りに振る舞った。

 そのまま入院することになった。病室で体を横たえたまま頭を動かせず、ただ、天井を見つめることしかできなかった。差し込まれたボルトで、頭が割れるのではないかと思うほど締め付けられる痛みが続いた。

 「このままもう、競馬のレースには出られなくなるのかな……」

 気持ちが落ち込み、家族以外の面会はすべて断った。

 <歯突起> 首に七つある頸椎(けいつい)のうち、二番目の軸椎(じくつい)と呼ばれる凸型をした骨の出っ張った部分。交通事故や高い所から転落した場合など、頭部に強い衝撃が加わった場合に骨折することがある。高齢者の場合、転倒した際に折れることもある。 

「切らずに治したい」

 騎手の内田博幸さん(45)は2011年5月、レース中に落馬し、首の骨を折る重傷を負った。装具で頭と首を固定する処置を受け、東京慈恵会医科大病院(東京都港区)での入院生活が始まった。

 疾走する馬にまたがる生活から一転、じっと天井を眺めるだけの日々になった。

 頭蓋骨(ずがいこつ)には4本のボルトが差し込まれ、頭が割れるような痛みに悩まされた。「誰にも会いたくない」。周囲にそう漏らした。なぜ落ちたのか、これから自分はどうなるのか――。自問し続けた。

 七つある頸椎(けいつい)のうち上から二番目が折れていた。「歯突起(しとっき)」という部位で、交通事故や高い所からの転落事故など、頭に激しい衝撃が加わると骨折することがある。

 頸椎は頭を支えるほか、脊髄(せきずい)を守る役割を持つ。上部にある頸椎は神経の束が走る脊柱(せきちゅう)管が太い。このため、骨折してもまひが出ることはまれだが、後になってしびれなどが出る恐れもある。

 主治医で慈恵医大整形外科の助…

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