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 いつもと同じ電車の中で、事件に巻き込まれました。東京都内で働いていた味岡直樹さん(73)は1995年3月、通勤途中の電車の中で猛毒サリンの被害を受けました。突然、体がだるくなり、心臓もドキドキしました。直後から瞳孔が小さくなる「縮瞳」が起き、今でも明るい場所ではまぶしく、暗い場所では新聞などの文字が読めなくなりました。事件後、地下鉄だけでなく、飛行機や新幹線にも乗れなくなりました。「乗ろうとすると、事件の恐怖がよみがえってきて、胸が苦しくなった」からでした。

 

《地下鉄サリン事件とは》

 1995年3月20日午前8時ごろ、東京の地下鉄日比谷線2本、丸ノ内線2本、千代田線1本の計5本の電車内で、オウム真理教の幹部らが猛毒サリンをまいた事件。乗客・駅員ら13人が死亡し、6千人以上が重軽傷を負った。味岡さんが乗った電車では、乗客1人が死亡、もう1人の乗客が翌日、心筋梗塞(こうそく)で死亡した。関与した教団元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら10人の死刑と4人の無期懲役が確定している。

 

真っ暗闇、視界は「針の穴」

 あれから地下鉄には一度も乗っていない。思い出しただけで、胸が圧迫される感じがして、心臓がドキドキしてしまう。狭い場所に入ることすら怖い。

 東京都内の会社に勤めていた味岡直樹(あじおかなおき)さん(73)は、1995年3月20日の朝、地下鉄日比谷線の中目黒駅でいつもと同じ電車を待っていた。

 午前7時59分発、東武動物公園行き。先頭から2両目の前の方にいた。ここから勤務先まで約30分。通勤ラッシュの時間帯だが、始発なので席に座れた。

 駅のホームで並んでいるときだった。よく晴れた朝なのに、隣の先頭車両の列に、レインコートのような服装で傘を持った若者がいた。「サラリーマンら通勤客ばかりの中で、身なりが全然違うので記憶に残っています」

 オウム真理教元幹部、豊田亨・死刑囚。この電車の先頭車両で、サリンが入った袋を傘で突き刺した。

 中目黒駅から二つめの広尾駅のあたりから突然、体調が悪くなった。体がだるく、呼吸が速く、心臓もドキドキした。

 さらに二つ先の神谷町駅に着く直前、トンネル内で電車が一時停止した。先頭車両に目をやると、お年寄りが席から床にずり落ちていた。

 動き出した電車が神谷町駅に到着した。先頭車両に行って、倒れていたお年寄りをほかの乗客と一緒になってホームへと運び出した。「この方は亡くなったと後で聞きました。今考えると、自分も相当危なかった」

 ほかにも数人の乗客がホームでうずくまっていた。それでもまだ、事件が起きているという気はしなかった。

 心臓の具合がおかしく、体調が悪い。「今日は会社を休もう」と決めた。神谷町駅で降り、自宅に帰ることにした。駅の階段をどうやって上ったのか全然覚えていない。「何とか地上に出たものの、左手にけがをしていた。階段の手すりに手をぶつけたのでしょうか」

 タクシーを拾って自宅に戻ると、妻が「霞が関で何か事件が起きている」と言った。このとき、自分も事件に巻き込まれたと初めて気付いた。「すぐに病院に行かなければ」と思った。

 自宅前でタクシーをつかまえた。目がかすんでよく見えない。吐き気もする。どこの病院に行ったらいいのかもわからない。ぐったりしているのを心配した運転手がタクシーの無線で本部に連絡して病院を探してくれた。「聖路加国際病院に患者が集まっているが、すでにいっぱい」「東京都港区の病院が受け入れてもらえそうだ」。無線から情報が入ってきた。その病院に向かった。

 病院に着くと、患者を乗せるためのストレッチャーが用意されていた。仰向けになって病院内に運び込まれるとき、マスコミのカメラのフラッシュが光り、シャッター音が響いた。「大事件が起きている」と実感した瞬間だった。ストレッチャーに乗ったままエレベーターに入ったところまでは覚えている。そこから先、どこに運ばれ、どんな治療を受けたのか、覚えていない。

 入院したその日。病室にいると気付いたが、周りがほとんど見えなくなっていた。真っ暗の闇の中で、針の穴程度。「このまま一生、見えなくなるのではないか」と、ひどく不安になった。

 医師が何か薬を注射していることはわかった。「地下鉄サリン事件」の被害者として、猛毒サリンを解毒する治療を受けていた。その病院では薬の本数が足りず、追加の薬を大学病院に取りに行ったと聞いた。点滴で両腕がぱんぱんに太くなっていた。

 入院した翌日は狭い範囲だけ見えるようになった。4、5日すると、少しずつ見え始めた。結局、9日間の入院で退院した。

 事件の直後に目の前が真っ暗になったのはサリンで瞳孔が縮小する「縮瞳(しゅくどう)」が起きたためだった。

 その後遺症に、今も悩まされている。

 目の瞳孔が小さくなったままで、調節がうまくできない。暗い場所では目の前の人の顔もよく見えない。逆に、直射日光の明るい場所ではまぶしくて見えず、サングラスが欠かせない。好きだったゴルフもやらなくなった。

 「このように多くの被害者が出ることは二度とあってはならない」と強く思う。

 

地下鉄・人混み…恐怖感

 1995年3月、通勤電車で地下鉄サリン事件に巻き込まれた東京都内に住む味岡直樹さん(73)は9日間の治療を受けた後に退院した。サリンの影響で、瞳孔が縮小する「縮瞳(しゅくどう)」は自宅に戻ってからも続いた。

 退院から1週間後、久しぶりに都内の職場に戻った。事件当時、働き盛りの52歳。会社での仕事の責任も大きかった。目の症状を上司に話し、「サングラスで出社することを許可してほしい」と申し出ると、快く受け入れてくれた。

 復帰してまず困ったのは、地下鉄で通勤できないことだった。「乗ろうとすると、事件の恐怖がよみがえってきて、胸が苦しくなった」

 仕方なく、自動車通勤を選んだ。勤務先近くで駐車場を借りるために毎月約6万円の出費を覚悟しなければならなかった。

 地下鉄だけでなく、新幹線や飛行機でも苦しかった。大阪へ行くため新幹線に乗ったものの、途中で引き返してきたこともあった。出張に行けないで、仕事にも支障が出た。

 目の症状はいっこうに改善しなかった。「治療は難しい」と数々の眼科医から告げられた。瞳孔は明るいところでは光の量を減らすために小さくなり、暗いところでは大きくなる。だが、縮瞳はこの調節がうまくできず、明るい場所ではまぶしくてサングラスが必要になった。逆に少し暗い場所では新聞などの文字が読めない。車は昼間しか運転できなくなった。

 会社ではサリン事件の話を避けていた。そのため、この苦しさを理解してもらうことも難しかった。結局、事件から5年たったところで会社を辞めた。「辞めてよかったと思います。もうそれ以上続けられなかった」

 2000年からはマンション管理組合の理事長を務めている。修繕計画や管理の改善に力を注ぎ、今では、マンション管理に詳しい専門家として注目され、住宅関係の催しに講師として招かれることもある。

 大勢の人たちの前で講演していても、参加者は味岡さんが地下鉄サリン事件の被害者と知る由もない。「会場がひどい人混みになると、事件を思い出し、気分がつらくなる」と話す。

 

「暗さが増してきた」

 今年5月。東京・御茶ノ水駅の近くにある井上眼科病院を、地下鉄サリン事件の被害者、味岡直樹さん(73)が訪れた。若倉雅登(わかくらまさと)・名誉院長(66)に、サリン後遺症による目の症状を診てもらうためだ。若倉さんのもとに通い始めて14年。年に3回ほど通う。

 病院1階の診察室に入ると、若倉さんに訴えた。

 「だんだん暗さが増してきたように感じます。車を運転していても、今まで見えていたものが見づらくなったようです」

 「サリンの影響がひどい人と軽い人がいますが、サリンの後遺症がある人は、老化による目の機能低下が起こりやすいのかなと思います」と若倉さん。

 「治ることはないんですよね」

 「そうですね。でも、そんなに急にも進行しないです」と励ました。

 味岡さんの瞳孔は直径2・5ミリ。暗くしても3ミリ。通常、暗い場所では5~6ミリになる。「瞳は筋肉でできています。筋肉がぎゅっと収縮したまま動かない状態です」と若倉さんが説明すると、味岡さんは「でも、もう慣れてしまっているんですよ」。

 サリンで瞳が小さくなり、周りが暗く見える「縮瞳」。多くの人が事件後の1週間から10日で治っているが、味岡さんのように症状が残る人も少なくないという。

 味岡さんは診察を終えて会計を済ませると駐車場に向かった。車を運転して病院に通っている。地下鉄の駅がすぐ近くにあるが、いまだに地下鉄には乗れない。

 1995年の事件から半年間ほどは20カ所ほど眼科を転々とした。困った目の症状があるのに、「サリンの後遺症をなかなか理解してもらえなかった」と感じた。半年後から大きな病院の眼科に通うようになったが、途中で担当医が変わって、いちいち説明するのが大変だった。「今は若倉先生がきちんと診てくれるので安心です」と言う。

 サリン被害者を支援するNPO法人リカバリー・サポート・センター(東京)が開く、被害者向けの検診には毎年通っている。苦しんでいる人たちが、まだたくさんいる。「国には被害者の状況や気持ちをもっと理解してもらいたい」と思う。

 

情報編 続く症状、長期的支援を

 地下鉄サリン事件から21年。

 13人が亡くなるなど、事件当時の衝撃は大きかった。しかし、その後も続く被害はあまり知られていない。1994年の松本サリン事件を含めて被害者を支える活動をしてきた弁護士の木村晋介(きむらしんすけ)さん(71)は「被害者の多くが、今も心と身体にさまざまな問題を抱えて暮らしています」と語る。

 木村さんが理事長を務める支援組織、NPO法人リカバリー・サポート・センター(東京)の調査(2015年、297人)では、「目が疲れやすい」という訴えが60・7%で最も多く、「かすんで見えにくくなった」なども含めて目の症状が多い。「体が疲れやすい」という人も47・5%いた。

 同センターは毎年秋、東京都足立区、渋谷区、埼玉県越谷市の3カ所で、サリン被害者の無料定期検診を実施している。受診者は毎年約100人。心電図検査、尿検査、問診などを受ける。

 「症状があっても周囲からなかなか理解されず、本人は悩んでいる。職場でサリン被害のことは言えない人も多い」と木村さん。

 井上眼科病院(東京都千代田区)名誉院長の若倉雅登さん(66)はこれまで300人以上のサリン被害者を診てきた。網膜から脳の視覚系や、眼球運動や瞳孔の病気を扱う神経眼科の専門家だ。

 被害者の目の症状は個人ごとにさまざまだ。サリンの関与が十分に疑われる症状で、最も多いのは瞳孔が異常に小さい「過縮瞳」と、暗いところでも瞳孔が十分に広がらない「散瞳不十分」。このような異常が、「暗いところで見えにくい」「明るいところでまぶしい」といった症状で現れる。

 眼球運動に異常が起きる場合もある。例えば、「縦書きの文章は問題なく読めるのに、横書きの文章が読みにくい」という人を調べたところ、垂直方向の眼球運動はほぼ正常だが、水平方向には滑らかに動かなくなっていたという。

 仕事や車の運転、日常生活に支障が出て悩んでいる人もいる。若倉さんは「なぜサリンによってこのような症状が起きるかの仕組みはよくわかっていないが、サリン関連症状が長く残ることがあります。長期的な患者のサポートが必要です」と指摘する。

 

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◇記者のひとこと◇

 東京都内の勤務先に通勤中、地下鉄サリン事件に巻き込まれた味岡直樹さん(73)の取材をして、サリンの後遺症がこんなに深刻で長く続いていることに驚きました。1995年3月の事件当時、私は大阪に勤務していたため、直後のサリン被害を直接取材したわけではありません。ただ、私の知人が、地下鉄に乗っていてサリン被害にあい、当時の恐怖を聞きました。

 

いまだ地下鉄乗れず

 味岡さんには、瞳孔の大きさの調節がうまくいかずに、暗いところで見えにくい、明るいところでまぶしいという後遺症があります。地下鉄に乗ろうとすると苦しくなって、いまだに乗れません。被害者を支援するNPO法人リカバリー・サポート・センターの調査によると、今も目の症状を訴える人は多くいます。

 

治療できる眼科医少なく

 一方で、このような症状を専門に診る眼科医は多くなく、味岡さんは現在の主治医にめぐり合うまでに眼科医を転々として苦労しました。どうしてこのような症状が起きるのかという詳細な医学研究も進んでいません。後遺症で悩んでいても、周囲の理解がなかなか得られず、「気のせい」「年のせい」と言われる被害者もいると聞きました。後遺症への理解と被害者のケアは大きな課題です。

 各新聞は毎年3月になると地下鉄サリン事件を振り返る記事を掲載します。味岡さんからは「3月だけでなく、忘れずに被害を伝えてほしい」と言われました。これからも続く被害の実情を息長く伝えていかなければならないと思いました。

 

ご意見・体験は、氏名と連絡先を明記のうえ、iryo-k@asahi.comメールするへお寄せください。

 

<アピタル:患者を生きる・ある日突然>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/(浅井文和)