[PR]

 「患者を生きる ある日突然」シリーズの4、5月の連載にいただいたお便りを紹介します。

 

気力に感動、元気もらう

 今回は騎手の内田博幸さん(45)の「首の骨折」編への反響です。

 

 ▼【まとめて読む】騎手の落馬 首骨折から復活までの軌跡http://www.asahi.com/articles/SDI201604153892.html

 

 ●けがで「マイペース」学ぶ

 30年ほども前、40代前半のときに寝台列車のなかで首を打ち、内田さんと同じように頸椎(けいつい)歯突起(しとっき)を骨折し、長期間入院することになりました。事故の後、医師から「首の骨を折るということは、生死にかかわる大けがで、命を失う人も少なくなく、命を取り留めても後遺症に苦しむことになる」と言われて衝撃を受けました。

 幸い骨は自然に接合しましたが、少しずれたため十分に回らなくなりました。無理をすると痛むようにもなりました。座り仕事なので働き続けられましたが、ゴルフなどのスポーツは、あきらめなければなりませんでした。

 無理が利かなくなりましたが、悪いことばかりではなかったと思います。首のけがを通して、「現実を受け入れ、他人のペースに左右されず、自分なりに最善をつくせば、道は開ける」ということを学びました。マイペースで健康に留意した生活を送り、いまでも毎週1回、10キロのスロージョギングを楽しんでいます。

 (茨城県 藤平一重 68歳)

 

 ●60年前の事故を思い出す

 内田さんの記事を読み、60年前の事故を思い出しました。中学2年生の夏休みに、学校のプールに飛び込んで、頭を底に打ちつけました。激痛が走り、両腕がまひしました。原因がわからず、何度も検査した末に頸椎損傷とわかりました。大学病院で首の後ろを手術し、内田さんのように頭を固定されたまま約2カ月間、ベッドで天井を見るだけの日々を送りました。

 起き上がれるようになってもギプス、コルセットを着けた生活で、入退院を繰り返し、中学は同級生から遅れて5年かけて卒業しました。ただ、両親、兄弟姉妹、家族、それに周囲の理解のおかげで、無事に社会人生活を定年まで送ることができました。

 内田さんの「復帰するんだ」という気力に感動し、改めて元気をもらった気がします。

 (東京都 稲村哲 73歳)

==================================================

再び骨折、命取りに…

 今回は一人暮らしの女性(75)が階段から転落した「家の中で骨折」編に寄せられたお便りです。

 

 ▼【まとめて読む】一人暮らしの家で骨折 電話が届かないhttp://www.asahi.com/articles/ASJ4P763YJ4PUBQU00R.html

 

 ●骨折から肺炎、そして急逝

 私の母親も家の中で骨折しました。74、75歳のときです。ベッドの端に腰を下ろしたとき、十分に位置を確認しなかったのか、ずり落ちるように尻餅をつきました。たった20センチほどの高さです。

 数日後、強い痛みを訴え、トイレにも行けなくなりました。救急車で病院へ行くと、大腿(だいたい)骨の付け根が折れていました。手術で骨折した箇所をボルトで固定し、3カ月間入院しました。

 左右の足の長さが違うようで、退院後は室内用の歩行器を使っていました。ある夜、トイレに立った際、再び転倒してしまい、鎖骨と左手を骨折しました。

 入院して10日過ぎたあたりからせき込み始め、高熱が出ました。大きな病院へ移ったところ、「肺炎を起こしており、予断を許さない」と言われました。

 担当医師から「骨折すると、力むと痛むので、せきを抑えようとしてたんなどが出せなくなって炎症を悪化させる」と説明を受けました。

 しばらくして、母親は亡くなりました。高齢者の骨折は心をくじき、生活の質を悪化させ、命取りになることを実感した次第です。

 (徳島県 坂本義教 58歳)

 

 ●いつでも用心のために杖

 2年前、家の中で骨折しました。正座して年賀状を書いていて、急に立ち上がったところ、足がしびれていて左腰からフローリングの床に、バーンと倒れてしまいました。

 当時、家には私1人だけ。左足の痛みを我慢できず、タクシーで近所の整形外科へ行きました。

 診察の結果、左大腿部を骨折していると言われ、今度は救急車で大きな病院へ行きました。結局、リハビリを含めて2カ月間も入院しました。今でも太ももには3本のボルトが入っています。

 自宅の床で転んだだけなのに、大変な思いをしました。慎重な性格でしたが、骨折以来、ますます慎重になりました。いまでは、「気を抜いてはいけないぞ」と用心するため、いつも杖をついています。

 (宮城県 堀江美惠子 58歳)

==================================================

「がんばれ」声かけを反省

 今回は高校の柔道の試合で首を脱臼骨折した「脊髄(せきずい)損傷」編に寄せられた反響を紹介します。

 

 ▼【まとめて読む】柔道で首を骨折 気持ちの壁越えるまでhttp://www.asahi.com/articles/SDI201605065738.html

 

 ●大けがで入院、気づかされた

 特別支援学校で教員をしている私は2015年、自宅で除雪作業中に転倒して、脊髄を損傷し、1年間休職しました。幸い骨折はなかったのですが、脊柱(せきちゅう)管の狭い部分を強打し、過度に曲げたことで神経を痛めて右手にまひとしびれが出ました。転んだ程度でこれほどの大けがになるとはびっくりしました。

 入院中、脊髄損傷の患者としては軽傷なのだと実感しました。労災による転落、交通事故、スポーツや水難事故などの患者さんの中には歩行困難な方も多く、突然、障害を受け入れなければならないつらさや難しさを垣間見ました。

 一時期ではありますが、自分が肢体不自由者になったことで、職場で会う肢体不自由の子どもたちに「がんばれ、がんばれ」と言ってきたことを、心底反省しました。どんなにがんばっても、動かないんです。「がんばれ」と簡単に言ってきたことを、あのときほど反省したことはありません。二度と転びたくはないですが、これまでわからなかったことに気づかされる貴重な機会となりました。

 (北海道 江口凡太郎 48歳)

 

 ●脊髄損傷から7回の絵画展

 今年81歳になる父は9年前、裏庭のがけから約6メートル転落しました。タケノコ掘りをしているときでした。救急車で運ばれた病院で、首の骨が折れた部分に金属を入れる手術を受けました。医師から「おそらく寝たきりになります」と言われました。

 利き腕の右手がうまく動かず、リハビリをしながら73歳の誕生日を迎えた日、母が「今日から3歳児と思って、一緒に絵を描こう」と父の左手に6Bの鉛筆を縛り付けました。初めはスケッチブックに○や△を書くことから始めました。同室の患者さんや医師、看護師におだてられながら、お見舞いの果物や花を描いていました。

 けがから1年後、父は市民ギャラリーで「左手で描いた水彩画展」を開きました。昨年は母と共著で画集を出版しました。この夏、7回目の展覧会を予定しています。

 (大阪府 多田庸子 46歳)

==================================================

アレルギー、怖さ知って

 今回は「薬でショック」編で取り上げた薬剤アレルギーに関するお便りを紹介します。

 

 ▼【まとめて読む】30年後に薬物アレルギー、意識失うhttp://www.asahi.com/articles/SDI201605136368.html

 

 ●麻酔はせずに胃カメラ検査

 以前、歯科治療で麻酔をした時、呼吸困難になりました。局所麻酔薬の「キシロカイン」(一般名・リドカイン)にアレルギーがあるとわかりました。

 5年前、胃カメラの検査を受けることになり、「キシロカインのアレルギーです。歯科治療で呼吸困難になりました」と伝えました。ところが、看護師さんは「少しずつ入れますから」と、鼻の奥に麻酔薬を垂らしました。すぐに呼吸困難に陥り、総合病院に運ばれ、点滴を受けて回復しました。あのときは、本当に死ぬかと思うほど苦しい思いをしました。

 その後、胃カメラの検査は、麻酔をせずに受けています。アレルギー反応が出た時の恐ろしさに比べれば、麻酔をしないで胃カメラの検査を受けることなど、気になりません。医療関係者の人にとっては大げさに聞こえるかもしれませんが、患者にとってアレルギー反応による死の恐怖がどれだけ恐ろしいかを、知って欲しいです。

 (大阪府 女性 72歳)

 

 ●自分の身は自分で守る

 今年42歳になる長女が高校2年生のとき、風邪を引き、近くの医院で抗生物質を処方されました。小さいころからほとんど病気をせず、薬も飲んだことがなかったのですが、医師から出された薬を飲んだところ、全身に発疹が出ました。すぐに医師に電話して相談し、事なきを得ました。

 医師には「アレルギーは、現代医学でもわからないことがいっぱいあります」と言われました。パッチテストなどのアレルギーの検査を受けた時点で反応が出なかったとしても、その後に症状が出ることもあるとの説明でした。「日々の体調で、出る出ないが変わることもある」とも言われました。

 長女は現在ひとり暮らしで、薬を飲まなくていいように、風邪などにも細心の注意を払っています。私自身、その後もいろいろと薬アレルギーについては調べていますが、まだまだわからないことが多いようです。アレルギーに関しては、自分で自分の身を守っていくしかないと思っています。

 (岡山県 長田美津子 71歳)

==================================================

わがままに見えても病気

 今回は「高次脳機能障害」編に寄せられた反響を紹介します。

 

 ▼【まとめて読む】5分前の記憶がない 高次脳機能障害にhttp://www.asahi.com/articles/SDI201605287760.html

 

 ●犬の散歩中に頭を強打

 2011年3月、犬の散歩中に転倒し、右側頭部を強打しました。頭蓋骨(ずがいこつ)骨折で脳挫傷、硬膜外血腫、外傷性くも膜下出血となりました。幸いにも回復しましたが、主治医から告げられたのは「高次脳機能障害」という病名でした。いままで聞いたことのない言葉で当初、まったく意味がわかりませんでした。

 私の障害は「記憶障害」と「遂行機能障害」です。

 記憶障害は、昔のことはよく覚えているのに、最近の出来事は忘れてしまいます。退院後は数分まえにやったことを完全に忘れてしまうなど、泣きたくなるほどでした。

 遂行機能障害は、無計画な行動をする、物事の優先順位をつけられない、行き当たりばったりな行動を取ることなどです。主治医からは「なんでもメモを取ること。そうしないと、人から言われたことが、指示通りにできなくなる」とアドバイスを受けました。

 世の中の人が、高次脳機能障害について、もっと理解してくれることを願っています。

 (三重県 落合美奉〈はるな〉 42歳)

 

 ●要介護で施設を転々

 5年前の夏、当時76歳だった母が肺炎から急性心不全になり、2度、心肺停止になりました。父親が亡くなってから、病気らしい病気もせず、一人で生活していましたが、突然、急性心不全の後遺症で手も足も不自由な体になってしまいました。さらに、医師の診断によると、低酸素脳症による高次脳機能障害もあるとのことでした。

 以来、母は介護付き施設、介護付き賃貸住宅などを3カ所、渡り歩きました。いずれの施設でも、ふとしたことで始まる母の怒りっぽさや暴言、暴力、介護拒否が原因で、「とても介護できない」と退所を促されました。

 「低酸素脳症による高次脳機能障害」という病気として診断を受けているのに、「わがままな患者」として扱われ、家族は戸惑うばかりです。介護が必要な人の中には、こんな病気を持つ人もいることを知って欲しいと思います。

 〈兵庫県 女性 51歳〉

 

ご意見・体験は、氏名と連絡先を明記のうえ、iryo-k@asahi.comメールするへお寄せください。

<アピタル:患者を生きる・ある日突然>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/