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 頭痛のきっかけは、くしゃみでした。東京都葛飾区の会社員、東裕也さん(46)は今春、職場で激しいくしゃみをしたら、首の後ろに痛みが走りました。その後、午後になると頭が痛み、立っていられないこともありました。大学病院で調べた結果、脳と脊髄(せき・ずい)を覆っている硬膜に穴が開き、中の髄液が漏れてしまう「脳脊髄液減少症」とわかりました。点滴治療では頭痛は治まらず、硬膜の穴を自身の血液で塞ぐ「ブラッドパッチ」という治療を受けることになりました。

 

激しいくしゃみで頭痛

 東京都葛飾区の東裕也(あづまゆうや)さん(46)は今年3月、勤務する都内の外資系保険会社グループの事務所で、パソコンに向き合っていた。毎年、この時期は花粉症に悩まされていた。

 「ハックション」

 頭を左下に向けるようにして、激しいくしゃみをした。その直後、首の後ろにズキンとする痛みが走った。「首をひねったのがいけなかったかな」

 しばらくすると、頭が痛くなってきたが、我慢できないほどではなく、仕事を続けた。

 翌朝、目覚めると頭痛はなかった。この日は休日で両親や妻の裕美(ひろみ)さん(42)、子ども2人を連れて車で墓参りに出かけた。昼食で洋食店に寄ったとき、再び頭が痛み始めた。後頭部に強い痛みがあり、注文したステーキ定食は一口も食べられなかった。

 「今までの頭痛とは違う。おかしい」。運転ができる状態でなく、裕美さんに代わってもらった。帰宅後、休日診療をしていた整形外科に行った。X線検査を受け、異常はないと言われた。

 しかし、頭痛は治まらなかった。決まって午後になると「ズキンズキン」と痛んだ。2週間ほどすると、視界がぼやけて二重に見え、耳鳴りがするようになった。外出先で立っていられず、うずくまることもあった。

 4月上旬、裕美さんは近くのクリニックでMRIの予約を取り、嫌がる裕也さんを連れて行った。脳を覆う硬膜と脳との隙間に血(血腫)がたまっていた。原因はわからなかった。

 紹介された都内の大学病院で、脳と脊髄(せきずい)を覆う硬膜に穴が開いて、その中の髄液が漏れる「脳脊髄液減少症」の可能性を示された。漏れは交通事故や激しい運動など硬膜への衝撃が原因となり、くしゃみでも起きうると説明された。漏れによって血腫ができ、その血腫が脳を圧迫して頭痛を招いていることが疑われた。

 治療は日本医科大病院(東京都文京区)の脳神経外科で受けることになった。症状やMRI画像をもとに、佐藤俊(さとうしゅん)医師(43)から「おそらく脳脊髄液減少症でしょう」と告げられた。そのまま入院が決まった。

 

退院後、再び頭痛で手術

 くしゃみをきっかけに頭痛が始まり、「脳脊髄(せきずい)液減少症」と診断された東京都葛飾区の会社員、東裕也さん(46)は4月、日本医大病院に入院した。

 脳と脊髄を覆っている硬膜から髄液が漏れ、脳内の圧力が低下することで脳の位置が下がっていた。このため、脳と硬膜の間にある血管が引っ張られるなどして出血、たまって血腫ができていた。

 治療は、生理食塩水やブドウ糖などの点滴が中心だった。水分を補うことで、低下している脳内の圧力を高めることを目指した。点滴だけで漏れが止まる場合もあるという。

 ほぼ終日、ベッドで点滴を受ける日が続いた。頭痛が起こらないよう、ベッドの背もたれは30度以上起こすことはできなかった。1週間たつと、上半身を完全に起こしても頭痛を感じなくなった。

 4月下旬には頭痛が消え、退院した。自宅で安静にしていたが、大型連休の後半から再び頭痛が始まった。「そのうち治まるだろう」と期待した。妻の裕美さん(42)は「また始まったのではないか」と不安になった。

 5月9日に職場に戻ったが、数日経つと、頭痛がつらくなってきた。帰宅して横になっても痛みが出始めた。

 日本医大病院を受診した。CTで脳を調べた結果、硬膜の下にできた血腫の厚さが、4月に診断を受けたときの15ミリから24ミリになっていた。

 「だいぶ大きくなっており、すぐに血を抜く必要があります」

 主治医の佐藤俊さんに告げられた。放っておくと意識障害やまひなどが出かねず、死に至る恐れもあるという。再入院となり、その日夜、頭の左右に穴を開けて血を抜く緊急手術を受けた。

 手術が終わると裕美さんは「どうすればよくなるでしょうか」と佐藤さんに尋ねた。髄液が漏れている硬膜の穴を注入した血液で塞ぐ「ブラッドパッチ」(硬膜外自家血注入療法)を提案された。今年4月に公的医療保険が適用になったばかりの治療法だった。

 何もしなければ、また血腫ができる恐れがあった。手術の翌日、裕美さんは裕也さんにこの治療法を勧めた。「そうだな」。裕也さんは静かに答えた。

 

血液注入、硬膜の穴塞ぐ

 「脳脊髄(せきずい)液減少症」と診断された東京都葛飾区の東裕也さん(46)は、髄液が漏れている硬膜の穴を血液で塞ぐ「ブラッドパッチ」を受けることにした。

 この治療は「硬膜外自家血注入療法」と呼ばれる。脳や脊髄を覆っている硬膜にできた穴の周辺に、採取した患者自身の血液約30ミリリットルを注射器で背骨の間から注入する。血液が固まることを利用して穴を塞ぎ、髄液の漏れを止めるという。

 頭痛は、髄液の漏れに伴って脳と硬膜の間にできた血腫に、脳が圧迫されるなどして起きていた。再入院した日本医大病院で、まず血腫を取り除く手術を受けた。

 ブラッドパッチをするためには、髄液が漏れている場所を特定する必要があった。腰の骨から硬膜内に細い針を刺し、放射性同位元素(ラジオ・アイソトープ)を注入してガンマ線検査で確かめた。腰のあたりから漏れる患者が多いが、東さんは首からだった。主治医の佐藤俊さんは「画像ではっきりとわかった」と話す。

 しかし、首の周辺は神経が多く、腰と比べて骨と骨の間隔も狭いため、治療中に神経を傷つけるリスクがある。東さんはリスクなどの説明を聞いたうえで、この治療を受けることを決めた。

 手術台に右側を下にして横になった。右の手首から血液約30ミリリットルを採られた。造影剤と混ぜられ、首の骨から少しずつ注入された。局所麻酔をしていたが、入れるときは痛みを感じた。

 佐藤さんは、映し出されるX線画像を見ながら作業にあたった。髄液が漏れているあたりの硬膜の表面に、血液が流れ込んでいくのを確認した。「うまくいっています」。東さんに声をかけた。注入は3分ほどで終わった。

 手術室から病室に戻ると、東さんは左の指先にしびれがあり、首に重たさを感じた。「しびれは1時間、重みは2~3日でなくなる」と佐藤さんに言われた。

 治療が終わって1時間後には、体を動かすように指示された。髄液の漏れが止まっているかどうかを調べるためだった。体を起こしても頭痛は出なかった。

 翌日、退院した。ただ、「また頭痛が起きるのではないか」と不安は消えなかった。

 

取り戻したふだんの生活

 「脳脊髄(せきずい)液減少症」と診断され、髄液の漏れを自身の血液で塞ぐ「ブラッドパッチ」を今年5月に受けた東京都葛飾区の会社員、東裕也さん(46)は、治療の翌日に日本医大病院を退院した。

 職場に戻ると、頭痛が再開しないか心配だったが、一度も起きなかった。ふだん通りの生活を取り戻すことができた。

 治療から1カ月たった7月上旬、経過観察のために妻の裕美さん(42)と病院を訪ねた。MRIで撮影された頭部の画像には、血腫の影が消えていて、異常は見当たらなかった。

 「完璧です。もう来なくてもいいくらいだけど、念のため、9月にもう一回診させてください」

 主治医の佐藤俊さんにそう言われた。その言葉に、夫婦は思わず笑みをもらした。

 東さんは「くしゃみをきっかけに、まさかこんなことになるとは思いもしなかった」と振り返る。その一方で、「ブラッドパッチにたどりつけなかったら、どうなっていただろう」とも思う。

 これまで大きな病気をしたことがなく、入院も初めてで、不安がいっぱいだった。そんなときに支えてくれたのは裕美さんと3人の娘たち。娘は大学生、高校生、中学生で、入院中はよく面会に来てくれた。

 「3人の顔を見るだけで安心できた。治療の励みにもなった」

 娘たちは、裕美さんがママさんバレーでプレーしていたことに影響され、いずれも小学生のころからバレーボールを続けている。中学高校も同じ一貫校だ。

 長女で大学1年の美波(みなみ)さん(18)は小学生のときに全国優勝を経験、三女の美咲(みさき)さん(13)のいる中学のコーチを務める。東さんは、娘が出場するほとんどの試合の応援に行き、遠征合宿にも同行して送迎などを手伝ってきた。

 だが、脳脊髄液減少症で頭痛が治まっていなかった5月の大型連休中は、次女の美月(みづき)さん(15)の岩手県遠征に付き添うことができなかった。

 いま、8月に予定されている次女の2泊3日の北海道遠征に、夫婦で同行するのを楽しみにしている。「こんなひとときをまた過ごせることに感謝したい」

 

情報編 新治療、少ない実施機関

 「脳脊髄(せきずい)液減少症」は、脳や脊髄を覆う硬膜に穴があき、その中の髄液が漏れて頭痛などを引き起こす。髄液が漏れるのは、交通事故やスポーツなど体に激しい衝撃を受けたときだけでない。

 連載で紹介した東京都葛飾区の会社員、東裕也さん(46)はくしゃみがきっかけだった。ほかにも、せきや大笑い、マッサージ、飛行機搭乗中の気圧の変化などで起こることもあるという。原因がわからない場合もある。

 症状は主に、頭痛、めまい、吐き気、難聴など。中でも、起き上がると頭が痛くなり、横になると痛みが治まる起立性頭痛は典型的な症状とされる。

 この病気をめぐっては、医師の間でも「むち打ち症の原因の多くは髄液漏れ」「髄液が漏れることはありえない」などと意見が分かれていた。病態の解明と診断・治療法の確立を目指そうと、日本脳神経外科学会など7学会の代表者らによる厚生労働省の研究班(代表者=嘉山孝正・山形大特任教授)が2007年に発足。11年には画像診断基準を示し、今年度中に診療指針をまとめる方針だ。

 治療法の一つ、「ブラッドパッチ」(硬膜外自家血注入療法)は、髄液が漏れている硬膜の穴を、採取した自身の血液で塞ぐ。12年に先進医療として厚労省に認められ、昨年3月までに44施設で行われた。実績は、14年7月から昨年6月までに577件実施され、漏れがなくなる有効率は83%という。一方、注入部に痛みが残るなどの報告もある。

 今年4月からは公的医療保険が使えるようになった。しかし、まだ実施する医療機関はあまり増えていないとみられる。特定の医療機関に患者が集中し、診療を受けるまでに長期間待たなければならないところもある。検査を受ける患者は多くが軽症とされ、深刻な状態の人を早く治療につなげることが課題になっている。

 研究班の指針をまとめる日本医科大学脳神経外科の喜多村孝幸(きたむらたかゆき)教授は「指針では、MRIとCTできちんとした診断ができるようにしたい。症状の点数化やブラッドパッチの手順などを明確に示せば、治療可能な施設も増えるだろう。そうすれば診断と治療がスムーズになる」と話す。

 

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 「患者を生きる」は、有料の医療サイト・アピタル(http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/)で、まとめて読めます。

 

<アピタル:患者を生きる・ある日突然>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/(石塚広志)