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 4月16日の未明、熊本地方を最大震度7の揺れが襲いました。熊本地震の本震でした。生後80日余りだった友田さくらちゃんは、心臓の手術を受け熊本市民病院に入院中でしたが、そこで建物の一部が壊れました。病院は入院中の赤ちゃん38人全員を避難させることを決め、さくらちゃんは約80キロ離れた福岡県久留米市の病院へ運ばれました。母の晴美さん(39)らは自宅の復旧に手いっぱいでしたが、久留米市の病院からは毎日のように電話が来て、さくらちゃんの様子を教えてくれました。

 

病院倒壊? 生後80日の娘が…

 「ママ、さくらちゃんを抱っこしてもいい?」

 熊本市南区の友田晴美(ともだはるみ)さん(39)は、長女の萌々香(ももか)さん(7)から1日に何度も尋ねられる。「世界一かわいい赤ちゃんだね」

 生後6カ月の次女さくらちゃんは、色鮮やかな絵本や音の出るおもちゃに反応して笑ったり、「あー」と声を上げたり、手足をバタバタさせたり。そんな様子をうれしく見守りながら、晴美さんは3カ月前のできごとを思い出す。

 4月16日午前1時25分。熊本地方を最大震度7の揺れが襲った。熊本地震の本震だった。「ドンッ」と突き上げるような衝動の後、長い横揺れで晴美さんはとび起きた。14日夜に起きた前震の後、すぐに外に出られるように、1階の居間で萌々香さんと夫の純一(じゅんいち)さん(40)と普段着のまま、枕元に靴を置いて寝ていた。

 居間の掃き出し窓から外へ出ようとしたが、揺れのせいか焦っていたのか、足が靴に入らない。寝ていた萌々香さんを抱きかかえ、車の中になんとか逃げ込んだ。

 暗闇のなか、周囲にはガス漏れの警報音、救急車のサイレンが響く。頭上ではバタバタとヘリコプターの音が交錯した。

 「空爆って、こんな感じ?」

 そんなことを考えていると、無料通信アプリのLINEで姉から連絡があった。「市民病院が倒壊って。さくらちゃん大丈夫かな」

 当時、生後80日余りのさくらちゃんは熊本市民病院の新生児病棟に入院していた。ダウン症と診断され、心臓の壁に穴があり、血液の逆流を防ぐ働きをする弁がうまく形づくれない「完全型房室中隔欠損症」をともなっていた。肺に負担をかけないように肺動脈を狭める手術を3月に受けたばかりで、傷口の治りに時間がかかり、入院が長引いていた。

 「さくらを助けに行く」

 純一さんはとっさに原付きバイクで病院へ向かおうとした。

 「さくらは看護が必要だけん、連れ出したところで何もできない。病院に任せるしかないよ」。晴美さんはそう言って止めた。「これも運命なのかな」

 昨年7月、妊娠中に受けた超音波検査で染色体異常の可能性があると告げられた。「私のおなかの中で、もうこの子は生きとらすけん」と、羊水検査はしなかった。今年の1月23日に3424グラムで出産、肺動脈の手術も成功したところを、地震が襲った。

 この子は大変なことばかり経験する運命なのだろうか。車の座席を倒して横になりながら、最悪の事態が頭をかすめた。

 そのころ、晴美さんの自宅から4キロほど離れた熊本市民病院では、入院中の38人の赤ちゃんのケアと受け入れ先探しに医師や看護師らが奔走していた。

 本震が起きたとき、築30年超の北館3階にある新生児病棟は、準夜勤と夜勤の交代時間にかかり、看護師が20人いた。勤務外の医師や看護師らも続々と集まった。

 病院は震度6強の揺れに襲われた。入院患者がいる建物は一部で耐震性が弱く、外壁が崩れ、建物内のあちこちにひびが入った。新生児病棟は一部で保育器や人工呼吸器が30センチほど動いたが、赤ちゃんは皆無事だった。非常電源はすぐ作動したが、今後何が起こるかわからない。病院は患者の避難を決めた。

 医師や看護師らは38人の赤ちゃんを抱いて非常階段を下り、1階のリハビリ室へ移動、毛布などを敷いた床に寝かせた。自発呼吸が難しい7人に手動の人工呼吸器の酸素バッグで空気を送り続けた。

 どの赤ちゃんをどこの病院へ運べばよいか。何人受けいれてもらえるか。新生児内科部長の川瀬昭彦(かわせあきひこ)医師(47)は担当医から意見を聞きながら、重症度に応じて搬送先を考え、赤ちゃん用の集中治療室(NICU)がある病院に連絡した。PHSと携帯電話に加え、フェイスブック(FB)のメッセンジャーも駆使した。

 国内に100施設ほどしかない総合周産期母子医療センターの機能喪失は東日本大震災でも経験がない。市民病院のこの緊急事態に、佐賀や鹿児島、福岡の各県から医師を乗せた車が午前4時台には熊本を目指して出発した。

 さくらちゃんの状態は比較的安定していたが、心臓手術に対応できる病院への搬送が必要で、約80キロ離れた聖マリア病院(福岡県久留米市)への搬送が決まった。

 「さくらちゃんは久留米の聖マリア病院に移します。安全は確保できています」

 主治医の小児循環器内科の本田啓(ほんだけい)医師(36)が晴美さんと連絡が取れたのは午前6時前。声はガラガラにかれていた。

 

▼手動で肺に空気、車やヘリで搬送

 熊本地震が起きたとき、熊本市民病院の新生児病棟には生後2日から10カ月までの38人の赤ちゃんがいた。このうち人工呼吸器が必要だったのは7人。ほかに酸素投与などをしていたのが8人。医師や看護師らが、手動で赤ちゃんの肺に空気を送り込みながら、迎えの車やヘリを待った。

 37人の赤ちゃんが熊本、福岡、佐賀、鹿児島、宮崎県の計9病院に運ばれ、1人は自宅に直接戻った。さらに転院もあり、最終的な搬送先は11病院だった。

 

転院先から気配りの電話

 4月16日未明に起きた熊本地震の本震から1時間余りがすぎた午前2時50分ごろ、赤ちゃんの搬送先を探していた熊本市民病院の新生児内科部長の川瀬昭彦医師(47)から、熊本大学病院新生児担当の岩井正憲(いわいまさのり)医師(50)は電話を受けた。「熊大はどう? うちは今から避難する。何人とれる?」

 赤ちゃんを床に寝かせ、手動で人工呼吸をしていると聞き、一刻の猶予もないと判断した。とっさに「できるだけ受け入れます」。

 熊本市民病院の新生児病棟には赤ちゃん38人が入院していた。熊本県内で赤ちゃん用の集中治療室(NICU)がある熊大病院と福田病院には計21人が運ばれた。九州の医師らの連携で、福岡や佐賀、鹿児島県などの病院にもその日のうちに全員が避難した。

 当時生後80日余りだった、友…

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