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 フットサルチーム「湘南ベルマーレ」の久光重貴選手(35)は、一線でプレーを続けると同時に、肺がんの治療を受けています。診断されたのは31歳の時でした。治療を始める前、試合会場でサポーターに「必ず戻って来ます」と語りかけました。この約束を胸に、抗がん剤の副作用を乗り越え、苦しい練習をこなし、約7カ月後に復帰を果たしました。ボールを追う姿を見た人たちから「勇気をもらった」などの声が届きました。久光さんは現在、小児がんの患者を支援する活動もしています。

 

必ず戻る、みんなのため

 日本フットサルリーグ(Fリーグ)の湘南ベルマーレに所属する久光重貴(ひさみつしげたか)選手(35)は今年7月、神奈川県寒川町での練習を終えると、電車で千葉市の千葉大学病院に向かった。久光さんは一線で活躍すると同時に、肺がんの治療を受けている。

 千葉大学病院では、同じ肺がんの男性会社員(52)と会うことになっていた。男性は知り合いの医師が担当する患者。フットサルのファンで、プレーもしているということだった。医師を通じてサインを頼まれ、「せっかくの機会だから」と直接話をしてみることにした。

 院内の会議室で2人は向き合った。はじめは湘南ベルマーレの戦績などをしゃべっていたが、やがて男性が病気の悩みを打ち明けた。

 半年ほど前に肺がんがわかった男性は、リンパ節に転移があり、分子標的薬による治療を続けている。「副作用で、下痢が止まらなくて困るんです。5分おきにトイレに駆け込みます。朝に始まると、会社を休まなければならないこともあるんです」

 「僕もありました」と久光さんは答えた。食べたものをすべてノートに記録し、下痢をしやすい食べ物を調べた体験を語った。「僕の場合、無農薬野菜中心の食事にしたらだんだんよくなりました」

 別れ際、持参したチームの公式ボールとクリアファイルにサインをし、男性に手渡した。ファイルには「共に前進しましょう」と書き添えた。

 がん患者にサインするときに、必ず入れる言葉だ。

     ◇

 久光さんが肺がんと診断されたのは13年6月。湘南ベルマーレに入団して6年目の31歳だった。

 開幕前に受けた健康診断がきっかけとなった。トレーナーから「ちょっと気になることがあるので、再検査をしてくれ」と言われた。勧められた大学病院でX線やMRI、PET検査を受けた。

 「肺腺がんです」

 医師に結果を告げられた。肺腺がんは肺がんの一種。肺の末梢(まっしょう)にでき、肺がんの中で日本人にもっとも多い。

 「そう来たか」

 久光さんは最近疲れやすさを感じていたが、年齢のせいだと思っていた。ただ、病院から母親の同席を求められたことから、深刻な病気かもしれないと覚悟もしていた。

 「治療はどのくらいで終わりますか?」。練習を再開できる時期を知りたくて質問した。医師からは、右肺の上葉に3センチほどのがんがあり、リンパ節に転移していて、手術も放射線治療もできないと説明された。「抗がん剤治療が半永久的に続きます」

 そして、「余命の話をしますか?」と尋ねられたので、「聞きたくありません」と断った。たとえば「余命2年」と言われれば、2年間をどう生きるかで頭がいっぱいになってしまい、その先の夢や目標を持つことが難しくなると考えたためだ。

 「いままで通り、Fリーグの頂点を目指して、1日1日の練習を積み重ねながら、人生の夢を追っていこう」

 心の中で誓った。

     ◇

 約1カ月後の13年7月9日、チームのホームページで、久光さんが肺腺がんと診断されたことが発表された。その6日後にあったホーム開幕戦には、病院から外出許可を取って、会場の小田原アリーナであいさつした。

 「チームや選手を、いままで以上に応援し、後押ししてください。その姿を見て、自分もがんばる力をもらいます。必ずここに戻ってくるので、またそのときは笑って会いましょう」

 観客席を埋めた約3千人のサポーターから歓声と拍手がわき上がった。この瞬間、がんを治すことは自分だけの目標から、みんなの目標になったのだと受け止めた。

 「がんは自分一人で向かい合うのではなく、みんなで向かい合う。僕のためだけではなくて、みんなのために、がんと闘おう」

     *

 ひさみつ・しげたか 1981年、横浜市生まれ。ヴェルディ川崎ジュニアユースをへて帝京高校サッカー部に。卒業後、フットサルを始める。2002年に「カスカヴェウ」(現ペスカドーラ町田)に入り、08年に湘南ベルマーレに入団。09年には日本代表に選ばれる。13年6月、肺がんと診断された。現在も現役を続ける。背番号5。ニックネームは「ヒサ」。身長175センチ、体重74キロ。

 

服薬して7カ月、復帰戦へ

 フットサルチーム「湘南ベルマーレ」の選手、久光重貴さん(35)は2013年6月に肺腺がんと診断された。翌7月、治療先として選んだ神奈川県立がんセンター(横浜市)に入院した。

 がんはすでにリンパ節に転移していた。呼吸器内科の主治医、斎藤春洋(さいとうはるひろ)さん(52)は、肺がんの分子標的薬のイレッサを使う治療計画を立てた。分子標的薬は、がん細胞の増殖にかかわる特定のたんぱくや遺伝子を狙い撃ちにする薬。イレッサは錠剤で、1日1回、空腹時に1錠飲む。

 治療前の遺伝子検査で、がん細胞に変異があることがわかり、イレッサの高い効果が期待できた。重い副作用に備えるため、入院したまま服用を始めた。

 10日ほどで退院したものの、自宅では副作用とみられる下痢や湿疹に悩まされた。唾液(だえき)が減って味覚も失われ、食欲がなく、全身の筋肉が落ちていった。それでも約2カ月後には、約3センチあったがんが半分程度まで小さくなった。

 「いつまでも寝てばかりいられない。待っているサポーターのために『復活』しなければ」

 ベッドから出て、10メートル、20メートル、30メートルと歩く距離をのばした。歩けるようになると、自宅近くの公園などで軽く走った。ボールをけり始めると「ボールってこんなに重かったかな」と驚いた。

 練習で活用したのが、指先に付けて血液中の酸素量と脈拍数を測る「パルスオキシメーター」だ。どんな数値のときに、体の動きがよいのかを探った。

 14年の年明けから少しずつチームの練習に参加した。「無理するな」と仲間から声をかけられた。どうしたらチームに貢献できるかだけを考えた。

 練習を重ねるうちに、最大3分間は全力でプレーできる手応えをつかんだ。フットサルは前後半20分ずつの試合中に何度でも選手交代ができるため、「3分間のベストプレー」をどれだけ繰り返せるかが課題になった。

 苦しいとき、頭に浮かぶのは入院直後にサポーターと交わした「必ず戻る」という約束だった。

 服薬開始から約7カ月後の14年2月、ホームの小田原アリーナである最終戦で復帰することが決まった。

 

試合後の反響に胸熱く

 神奈川県立がんセンター(横浜市)で肺腺がんの治療を受けているフットサルチーム「湘南ベルマーレ」の久光重貴さん(35)は、2014年2月にあるホーム最終戦で復帰することを決めた。

 「フットサルよりも、治療に専念を」と言う友人もいた。しかし、「フットサルがあってこそ、僕の人生」とできるだけ早い出場を希望した。

 復帰すると聞いた主治医の斎藤春洋(はるひろ)さん(52)はこう助言した。「いま飲んでいる分子標的薬は、治療しながら日常生活を送れることがメリットです。久光さんにとってフットサルは日常生活ですから、がんばってください。ただ、無理はしないように」

 厳しい練習をこなしつつ、2週間に1度は病院へ通い、がんの状態を調べた。選手登録の前日の検査で、肝機能、白血球、赤血球など数値がすべて平常値になり、斎藤さんとチームのトレーナーから試合出場を許された。

 試合の3日前、チームのホームページで「選手登録」を知らせるニュースリリースが出た。

 「治療を続けていても走れる姿を見てもらい、『がん』という病気が今は怖い病気ではないことを、自分の身体で体現していきます」

 自分の思いを伝えた。

 ただ体調は万全ではなかった。負荷の高いトレーニングで、右太ももが肉離れを起こしていた。

 当日、痛め止めを飲み、足にテーピングをして、先発でピッチに立った。前半と後半それぞれ1分間出場したが、得点できなかった。1―5で敗れた。

 沈んだ思いで、会場の出口で帰途につくファンを見送った。

 「勇気をもらったよ」「毎日、嫌なことはいっぱいあるけど、がんばってみるよ」

 目の前を通っていくファンから次々と声をかけられた。

 試合後も、ファンやサポーターだけでなく、闘病中の人から「また見に来たいから、しっかり治療します」「生きるって、やっぱりすばらしいことなんですね」と手紙やメールが届いた。

 「がん患者の僕がプレーするだけで、こんなふうに感じてもらえるんだ」

 久光さんは胸が熱くなった。

 

小児がんの子ら、支援

 フットサルチーム「湘南ベルマーレ」の選手、久光重貴さん(35)は肺腺がんと診断されて約1年4カ月たった2014年10月、それまで使っていた分子標的薬のイレッサが効かなくなっていることがわかった。右肺のがんが再び大きくなってきていた。

 神奈川県立がんセンター呼吸器内科の主治医、斎藤春洋(はるひろ)さん(52)に「治験という選択肢があります」と言われた。

 治験は、医薬品や医療機器として国の承認を得るために実施される臨床試験。斎藤さんから、効果もリスクも十分にわかっていない段階であると説明されたが、久光さんは参加を希望した。

 「新しい薬にチャレンジして、もし死ぬことになったとしても、その情報は次の患者のためになる。いつも呼びかけている『共に前進しましょう』の一つだ」

 治験で使われるのは「タグリッソ」という新しい分子標的薬。久光さんは、がんがイレッサに耐性を持ってきていることや、特定の遺伝子変異があることなど、参加の条件を満たしていた。日本を含めた国際的な治験に、15年3月から参加した。

 まず半年ほど、抗がん剤のシスプラチンとアリムタを点滴した後、11月からタグリッソを1日1錠飲み始めた。副作用はイレッサと比べて少なく、がんは小さくなった。治験はいまも続いている。

 タグリッソは先行した別の治験データなどをもとに、日本では16年3月に承認された。

 久光さんはがんに関する活動にも取り組む。日本肺癌(がん)学会の広報大使と、小児がん患者を支援する「フットサルリボン」だ。15年には活動を運営する「リングスマイル」を立ち上げ、フットサルチーム「デウソン神戸」の鈴村拓也(すずむらたくや)選手(37)とともに代表理事に就いた。鈴村さんは12年に上咽頭(いんとう)がんと診断され、翌年復帰している。

 今年8月。両チームの試合後、会場出口のブースに久光さんと鈴村さんが並んだ。

 「毎年2千人が小児がんと診断されています。そんな子どもたちを助けてください」

 募金を呼びかけると、ファンたちが次々と応じた。久光さんはお礼に、ファンのTシャツや色紙にサインをし続けた。

 

情報編 患者が積極的に提言を

 連載で紹介したフットサルチーム「湘南ベルマーレ」の久光重貴さん(35)は2014年4月から、日本肺癌(がん)学会の「肺がん医療向上委員会」で広報大使を務めている。肺がんの治療を受けながら現役選手として活躍していることを知った学会から誘われた。年に数回、学会や講演会で、自身の体験を語り、患者の立場から医療者への注文もしている。

 肺がんの患者団体をめぐっては、15年11月、地域で活動する5団体で「全国肺がん患者会連絡会議」が設立された。

 呼びかけたのは「神奈川・東京肺がん患者の会『ワンステップ!』」の代表、長谷川一男(はせがわかずお)さん(45)。10年にステージ4の肺がんと診断された。抗がん剤治療を受けながら「ワンステップ!」を立ち上げ、さらに「全国組織をつくってみよう」と考えた。現在は「日本肺がん患者連絡会」に改称し、6団体が加盟する。肺がん患者にとっての課題などを情報交換し、患者と医療者をつなぐ活動をしている。

 この取り組みにも学会が協力している。会議の場所の提供や、運営への助言をしている。肺がん医療向上委員会の中西洋一委員長(九州大学教授)は「患者中心の治療をするには、患者側からの提言や要望が欠かせない」と話す。

 連絡会は15年12月、新しいタイプの抗がん剤「オプジーボ」が肺がんでも承認されるのを前に、初回の治療は慎重に経過観察できるように入院をしやすくする措置を求める要望書を、学会と連名で厚生労働省に提出した。02年にイレッサが発売された直後、副作用の間質性肺炎による死亡が相次いだことをふまえた。

 今年7月には、長谷川さんと連絡会メンバーの山岡鉄也(やまおかてつや)さん(55)が、神戸であった日本臨床腫瘍(しゅよう)学会で講演した。2人は、治験の情報を患者が入手しづらい状況にあるとし、「公平で、積極的な提供を」と医療者に訴えた。

 15年に米国で開かれた肺がんの世界会議に参加した山岡さんは、患者からの「政策提言」が議題の一つになり、患者と医師が対等に話し合っていることに驚いた。「日本でも、患者が積極的に医療政策に関わっていくことが重要になっていく」と語る。

 

ご意見・体験は、氏名と連絡先を明記のうえ、iryo-k@asahi.comメールするへお寄せください。

 

<アピタル:患者を生きる・仲間と歩む>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/(石川雅彦)