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 東京に住む大学院生の香川由美さん(35)は、小学校3年生のとき、1型糖尿病と診断されました。体の中でインスリンを作れなくなり、血糖値が異常に上がる病気です。毎日、自分でインスリンを注射する必要があり、就職しても血糖値がうまくコントロールできずに苦労しました。今、仲間とともに、病気の体験を大学や製薬企業などで語る「患者スピーカー」として活動しています。語ることで病気への社会からの理解を得るとともに、自分にもプラスになることを目指しています。

血糖測定、成績表のよう

 東京都に住む大学院生、香川由美(かがわゆみ)さん(35)は、製薬企業の社員研修や医療系大学の授業によく招かれる。「病気はマイナスではありません。病気の経験は人生をプラスにできます。語りを通して、病気がない人とも学びあえます」

 小学3年生だった1990年秋、「異変」に気付いた。風邪のようなだるさを感じ、ひどくのどが渇いた。当時住んでいた神戸市の病院を2回受診したが、異常は見つからなかった。「仮病だと思われているんじゃないかな」と心が痛んだ。

 翌91年3月のある夜、自宅で意識を失いベッドから転げ落ちた。母に抱えられ向かった病院で、血糖値が異常に高いことが判明。1型糖尿病と診断され、入院した。意識が戻ったとき、「助かった」と安心した。「しんどいのは病気のせいだとわかってもらえる」

 1型糖尿病は、子どもや若いころに発症することが多い。本来は外敵から体を守るはずの免疫の異常で膵臓(すいぞう)の細胞が破壊され、体内でインスリンを作れなくなる。体の細胞内にブドウ糖を取り込めず、血糖値が異常に高くなる。治療には、毎日のインスリン注射が欠かせない。

 3カ月入院した後、自宅に戻り、注射することになった。家族がするか、指導を受けて自分自身がするしかない。

 看護師さんの注射では気にならなかったが、母が注射するとものすごく痛かった。よく見ると、注射器を持つ手が震えていた。注射のたびに、つらい思いをさせていることに気づいた。「これからは自分で注射しよう」と決めた。

 中学校に入ると、部活動や塾などで忙しくなった。主治医からは「きちんと血糖値をコントロールしていれば、健康な人と同じように暮らせる」と聞かされていたが、数値は安定しなかった。病院に持っていくため、自分で毎日血糖値を測って記入するノートが成績表のように思えた。「測りたくない」と、適当な数値を書いたこともあった。

  高校、大学に進学してからも、血糖コントロールは容易でなく、体調不良に悩まされた。病気が自分の進路の足かせになっていると感じた。

 

インスリンポンプで楽に

 

 小学3年のときに1型糖尿病と診断された香川由美さん(35)は2004年、大学を卒業し、神戸市の中学校で英語の常勤講師として働き始めた。英文学を学び、得意な英語を生かして教育に携わりたいと考えていた。

 血糖値を下げるインスリンを体内でつくれないため、1日に数回、自分で注射した。食事内容や運動量などによって注射の量や時間を調節する必要があった。仕事は忙しかったが、体調を優先して働くわけにはいかなかった。インスリンが効き過ぎて低血糖になったり、逆に足りずに高血糖になったりした。低血糖になって倒れてしまうのを恐れて、血糖値を高めにすると、今度は疲労感が強くなった。

 結局、「一度休んで体調を良くしたい」と、1年間勤めた中学校を退職した。教職の夢を手放すことはつらかった。

 血糖コントロールをめざした教育入院や同じ病気の仲間との交流で自分の病気と向き合った。転機になったのは、インスリンを自動で注入できる「インスリンポンプ」を使う患者仲間と出会ったことだった。「体に機械をずっとつけているのは嫌だ」と思っていたが、使う人たちは会うたびに顔色が良く、元気そうだった。ポンプに挑戦したくなった。

 06年12月、大阪市立大学病院に行った。小児科の川村智行(かわむらともゆき)講師(57)を受診した。最初から「インスリンポンプを使いたい」と目的を告げた。 川村さんは「自分で治療法を選んで、病院を探して来るなんて積極的だな」と思った。ポンプの使い方、インスリンの量の細かな調節が注射器以上にうまくできることなどを説明した。

 ポンプを使い始めると、「こんなに急に体が楽になるなんて、一気に重い荷物を下ろしたようだ」と感じた。それまでは血糖をコントロールするのに苦労してきたが、病気の経験を社会で生かすことに目を向け始めた。

 病気と向き合ってきたことをもとに、患者の立場から医療を良くする研究をしたい」

 08年4月、東京大学の大学院に入学した。公共健康医学を専攻し、同級生の医師や看護師らと学び合った。

 

闘病の経験、役立てたい

 

 東京大学の大学院で患者と医師ら医療者とのコミュニケーションの研究をしている、東京都在住の1型糖尿病患者、香川由美さん(35)は2012年2月、知人に誘われて、患者の語りを医療に生かすシンポジウムに出た。積極的に自らの病気の経験を語る患者を育てることで、医療現場を変えることをテーマにしていた。登壇した人たちの「話すことで自分の体験に意味を見いだせた」「伝えることで、自分も新たな気づきが得られる」などという言葉に共感した。

 客席から手をあげて、「1型糖尿病の患者です。たくさんうなずきながら聞きました」と発言した。主催グループに、活動を手伝いたいと願い出た。

 その年の7月、そこで出会った仲間たちと一緒に、NPO法人「患者スピーカーバンク」を立ち上げた。「患者スピーカー」と呼ばれる人たちが、自分の病気や障害の経験を伝えることで、だれかの役に立ててもらうことが目的だ。自分の体験を語って同情を引くのではなく、共感を得ることをめざしている。

 今年5月には法人の総会で理事長に選ばれた。会員は87人、研修を受けてスピーカーとして登録している患者は60人になった。

 6月、東京で患者スピーカーをめざす人たちのビギナー研修があった。患者10人が集まり、香川さんは講師を務めた。

 「聞き手は病気や患者へのイメージが変わります。話し手は自分の人生を振り返ることができます。自分をありのまま伝えましょう。自慢話ではありません」

 参加者は15分間の発表を想定して、自分の病気の話を考える。これまでの闘病を振り返り、印象に残ったエピソードをまとめる。病気についても、正確でわかりやすく説明する必要がある。どう語れば聞き手にうまく伝わるか、みんなで考えた。

 今も月に1回、都内の病院に通い、1型糖尿病の治療を続けている。試行錯誤はあるが、血糖コントロールはほぼ良好だ。「病気を治すことがすべてだと思っていたときはしんどかった。病気と仲良くする生き方を発信し、患者それぞれが困難に向き合い、乗り越えていきたい」

 

治療や副作用、伝えたい

 

 NPO法人「患者スピーカーバンク」理事長で、1型糖尿病患者の香川由美さん(35)は、研修の準備や事業計画立案などの仕事を会員メンバーと一緒に進める。頼れる仲間のひとりが東京都の会社員、片岡紀子(かたおかのりこ)さん(51)。肝臓の中にある胆管にがんができる肝内胆管がんの患者だ。

 雑誌でスピーカーバンクの記事を読み、患者が発信することに興味をもった。2014年3月の初心者向け研修に参加、自身の体験をもとに「三つのまなざし」を語った。「病気だけ見るのか、患者自身を見るのか、患者の家族まで見るのか」を医療関係者に問う内容だった。香川さんは「印象的な発表ができる人だな」と思った。

 しばらくして、ある製薬企業から「がん患者さんの話を聞きたい」と依頼があった。香川さんは「これは片岡さんにお願いするしかない」と頼んだ。その後も数回、製薬企業の社員らに語る役目を引き受けてもらった。

 片岡さんは9年前、原因不明の体調不良に悩まされた。消化器内科の診療所で肝臓の超音波検査を受け、「何かある」と指摘され、大学病院を紹介された。肝内胆管がんと診断され、「これで原因がわかった」と思った。

 ただ、余命がどれくらいかを尋ねても、医師は何も答えなかった。手術後、抗がん剤治療が始まったが、吐き気がひどくて中断した。別の飲み薬の抗がん剤を始めたが、今度は食欲が落ちる副作用に悩まされた。抗がん剤でどれだけ寿命が延びるか、どんな副作用があるのか、当時は情報をなかなか得られなかった。

 今も半年に1回は検査を受け、再発がないか調べている。今年6月、都内の製薬企業の若手社員向け研修でこう語った。

 「肝内胆管がんは5年生存率が低いがん。私は生きているから、経験をお話ししなければならない」

 「抗がん剤は医師と患者の思いにずれがあります。私はできるだけ副作用がない薬を望みます」

 これからも、薬の副作用や情報不足、がん患者になってわかったことを伝えたいと思う。スピーカーを希望する患者向けの研修はこれまでに約40回開かれた。仲間の輪が着実に広がっている。

 

学校・企業、講師求める声

 患者が自らの闘病について話すことは、教育現場や企業の研修などで重視され始めている。

 今年5月、東京大学医学部の4年生全員を対象にした授業で、20代の胃がん患者が体験を話した。医師から病気の説明を受けたときに感じた圧迫感や、手術や薬の治療での心の動きなどを話した。

 語ったのは、連載に登場した香川由美さん(35)が理事長を務めるNPO法人「患者スピーカーバンク」で研修を受け、派遣された患者だった。東大医学教育国際研究センターの孫大輔(そんだいすけ)講師(40)は「患者の話を聞くことでしか理解できないことがある。患者への共感は同情と違って認知的なもので、医学教育で育むことができると考えられる。共感は患者と医師との信頼を高める」と語る。

 バンクは学校や企業、医療に関するイベント主催者などから依頼を受けて、要望に沿った患者スピーカーを派遣する。現在、登録している患者は、がん、糖尿病、腎不全、肝炎、パーキンソン病、うつ病などさまざまだ。医学教育の場などでふさわしい語りをするために研修を実施する。一定の研修を修了した患者が、講演料を受け取って語る仕組みだ。講演後には感想などのフィードバックをしてもらい、今後の活動に生かす。

 2012年の法人設立時の理事長で、がん患者の鈴木信行(すずきのぶゆき)さん(46)は「自分を客観的に見ていないと語ることは難しい。例えば、製薬企業の人に語るには、製薬業界が何をめざしているかも知らないといけない」と指摘する。4年間の活動で登録する「患者スピーカー」は60人に達したが、鈴木さんは「社会を変えていくには、さまざまな病気の患者による多くの声が必要だ」と話す。

 ネットを通して患者の体験や気持ちを、動画や音声で伝える活動をする団体もある。NPO法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」(http://www.dipex-j.org/別ウインドウで開きます)だ。

 認知症、乳がん、前立腺がんなどの患者の声を社会資源ととらえて蓄積している。患者が自分の病状に近い人の話を聞くことができる。医学部、薬学部、看護学部など医療系の学校の授業にも利用されている。

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<アピタル:患者を生きる・仲間と歩む>

 

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/(浅井文和)

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