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 大阪府の時子山昭仁(と・こ・やま・あき・ひと)さん(55)は大手メーカーに勤めていた44歳のときにパーキンソン病と診断されました。不安を抱えながら職場に説明すると、同僚は仕事の分担を申し出てくれました。次第に症状が進み、「これ以上心配をかけたくない」と50歳を迎えたのを機に退職しました。その後、入院した病院で、同じように40代で発症し、休職中の男性(55)と同室になりました。一線から離れた悔しさを語り合ううちに、現役世代の患者の就労を支援する会をつくろうと、2人は決めました。

 

勝手に動く手、難病の症状

 大阪府に住む時子山昭仁(とこやまあきひと)さん(55)は今年2月、60歳以下を対象にしたパーキンソン病の患者会「U60チャレンジド・サポーターの会」を立ち上げた。「現役世代が働き続けられるような社会になってほしい」。そう願っている。

 体に異変を感じたのは1998年、37歳のとき。首都圏の大手メーカーで新規事業を担当していた。初めは、右手でパソコンのマウスをなめらかに操作できなくなったと感じた。「睡眠不足だもんな」。連日の深夜残業に加え、早朝から海外と電話会議をしていた。2001年には課長になり、さらに忙しくなった。

 会議でホワイトボードに文字を書こうとしたとき、突然、ペンを持つ手が激しく横にそれ、大きな「一」の字を書いてしまった。笑ってごまかしたが、勝手に動く自分の手が怖くなった。

 03年になると、キャッチボールで投げた球が相手に届かなくなり、マウスの操作も右手ではなく左手でするようになった。自宅近くの大学病院の神経内科を受診してMRI検査を受けたが、異常は見当たらなかった。ただ、「症状からパーキンソン病の恐れがある」と告げられた。

 パーキンソン病は手が震えたり、筋肉が硬くなったりする神経の難病。薬で症状を和らげることができるが、進行すれば、同じ姿勢を保つことも難しくなる。

 「そんなはずはない」と心の中で診断を打ち消そうとしてみても、文字の書きづらさや、箸の使いづらさは徐々に増していった。

 「恐れ」の診断から約3年後の06年、医師から「そろそろ特定疾患の申請をしましょうか」と言われた。パーキンソン病は、厚生労働省の難病対策の特定疾患に指定されていて、患者は医療費の助成が受けられた。医師の言葉は、病気の確定を意味していた。

 「難病になったと伝えたら、会社は自分をどう扱うだろうか」。使える会社の制度を知りたいと思う一方、会社に病気を知られたくない気持ちも強かった。

 迷った末、人事部の同期に相談した。「まず、産業医と直属の上司に説明しよう」と助言された。上司と一番近くで働く同僚に、病気を打ち明けた。

 

入院中、同世代と出会う

 2006年に44歳でパーキンソン病と診断された大阪府の時子山昭仁(とこやまあきひと)さん(55)は、会社の上司らに病気を打ち明けた。当時、首都圏の大手メーカーに勤めていた。

 手や足が震えたり動かしづらくなったりする難病であることを説明したうえで、「薬で症状を抑えられるので、通院しながら仕事を続けたい」と伝えた。

 同僚は仕事の分担を申し出てくれた。自分を心配してくれることがうれしく、できる仕事はしっかりこなそうと思った。

 しかし、右手は思うように動かせなくなった。パソコンのキーボードは左手だけで打つようになり、「左手打ちなら、誰にも負けない」と冗談を飛ばした。

 薬を調整するための入院が決まり、課長の役職を外れた。「精いっぱい仕事した証し」として詳細な引き継ぎをした。

 やがて右の足も動かしにくくなって、通勤電車の中でふらつき、立っていられないことがあった。早朝に海外と会議がある日は、前日から会社近くのホテルに泊まることもあった。

 09年になると朝、目覚めても体が思うように動かない日が増え、休む日のほうが多くなった。「この病気はよくなることはないし、自分がいなくても会社は回っているようだ。これ以上、心配をかけたくない」

 50歳を迎えた11年、26年間勤めた会社をやめた。首都圏から実家のある大阪府へ転居した。

 月に一度、新幹線を使ってこれまでの大学病院に通っていたが、14年末から自宅に近い国立病院機構刀根山病院(大阪府豊中市)に変更した。意思に反して手が勝手に動いてしまう「ジスキネジア」と呼ばれる症状が強かったこともあり、神経内科医でリハビリテーション科の井上貴美子(いのうえきみこ)部長(54)に「病気によるものか、薬の副作用なのか、見極めましょう」と言われた。

 15年9月に入院し、改めて薬の調整が始まった。入院中、4人部屋の病室に新たな患者が加わった。同室になるのは70代が多かったが、同世代の男性だった。

 「少しだけ、話しませんか」

 声をかけると、談話室で音楽や仕事について1時間以上も語り合った。

 

「現役」支える会を設立

 パーキンソン病の症状が進み、2015年に国立病院機構刀根山病院(大阪府豊中市)に入院した大阪府の時子山(とこやま)昭仁さん(55)は、しばらくして府内に住む男性(56)と同室になった。

 男性は企業の営業の一線で働いていた48歳のときに診断された。症状がひどくなり、会社に伝えると自宅療養を勧められた。以来、休職していた。「戦力外通告を受けたようだった」ともらした。

 時子山さんも病気の影響で26年勤めた会社を退職したことを話した。キャリアを積み、責任ある立場に就いた矢先に病気を発症した悔しさは、2人とも同じだった。

 「自分たちが経験した失敗を繰り返して欲しくない」。語り合ううちに、現役世代の患者が働き続けられるように支援する会をつくることで意見が一致した。

 病室で企画を練り、NPO法人を設立するための趣意書をパソコンで打った。主治医の井上貴美子さん(54)に見せると、「働く年齢の患者さんのためにサポート組織を立ち上げるのは意義あることです」と背中を押してくれた。

 今年2月、60歳以下の患者を対象にしたNPO法人「U60チャレンジド・サポーターの会」が誕生した。時子山さんは代表理事になった。設立の趣旨には「パーキンソン病患者であることを強みに変え、自分たちの経験を医療や介護の分野で役立てたい」とつづり、事業内容には患者の就業支援などを盛り込んだ。

 時子山さんは現在も、1日6回薬を飲む。薬の効き目が弱くなると、動作が遅くなったり、歩きづらくなったりする。ただ、症状が出る時間帯が予測できるので、無理のない範囲で活動している。

 会は関西を中心に、患者の相談会を開く。医療費の助成や障害年金などの仕組みを説明する。仕事を続けられないという人には「家でも仕事ができるように、新しいスキルを身につけよう」と、在職中に受講可能な障害者向けの職業訓練を勧める。時子山さん自身、スマートフォン向けのアプリ開発を学び始めた。

 「病気がわかったとき、人生が終わったと思った。でも、仲間と出会い、知恵を出し合ううちに、病気でも、やりがいのある生き方ができると気づいた」

 

情報編 仕事と治療、配慮あれば

 パーキンソン病は手足が震えたり、思うように体が動かせなくなったりする神経の難病の一つで、50歳以上から発症することが多い。加齢に伴って患者は増えるが、40歳以下で発症する若年性も1割程度いる。

 連載で紹介した大阪府の時子山昭仁(とこやまあきひと)さん(55)のように60歳未満で発症した場合、仕事と治療の両立が大きな課題になる。

 独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構の春名由一郎(はるなゆいちろう)主任研究員(51)によると、難病と診断されても、会社に隠して仕事を続け、症状が悪化すると「会社に迷惑をかけられない」と退職する人が少なくないという。

 機構の調査では、15~64歳の難病患者のうち、働いたことがある人の4割強が病気に関連して退職した経験があり、病気について職場に理解や配慮を得ている人は、30%程度という。

 今年4月に施行された改正障害者雇用促進法では、障害者を雇用する事業者に対し、障害者が働くうえでの支障を改善する「合理的配慮の提供」を義務づけている。車いすを使う社員に合わせて、机の高さを調整することなどだ。春名さんは「配慮とは、障害のある人を保護するだけでなく、本人がやりがいを持って働き続けられるように環境を整えることでもある」と指摘する。

 日本難病・疾病団体協議会の森幸子(もりゆきこ)代表理事(56)は「『難病=働けない』と考えてしまっている患者がいる。患者自身も病気を理解して、どんな配慮があれば、働き続けられるかを具体的に伝える必要がある」と話す。例えば8時間働くのは難しいが、週5日6時間の勤務であればできる、といった具合だ。

 就労を支援する制度は増えている。厚生労働省はハローワークの障害者の専門援助窓口に「難病患者就職サポーター」を配置。全国の難病相談支援センターと連携して、症状に応じた就労の支援などの相談に応じている。患者を雇い入れる事業者には、助成金を支給している。

 春名さんは「育児や介護をしている人と同じように、難病を抱える社員にも、『お互いさま』という思いやりが広がってほしい」と訴える。

 

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<アピタル:患者を生きる・仲間と歩む>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/(宮島 祐美)