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 最近はがんの恐ろしさばかりがクローズアップされていますが、結核も「過去の病気」ではありません。世界保健機関(WHO)によると、2014年には960万人が結核に新たに罹患(りかん)し、150万人が死亡しました。

 

 さらに、世界の総人口の約3分の1は結核菌に感染しています。発症はせず、ほかの人に感染させることのない「潜在性結核感染症」と呼ばれる人たちです。この「隠れた患者」は高齢化や低栄養、それに生活環境の悪化によって、いつなんどき発病するかわかりません。

 

 今回の連載に登場した女性(31)も「まったくのひとごと」と思っていた結核に、ある日とつぜん襲われたのでした。

 

あふれる血痰、驚き受診

 

 始まりは、口からあふれ出た血痰(けったん)だった。

 

 2014年2月末、北関東に住む会社員の女性(31)は帰宅途中に急に気分が悪くなった。痰(たん)をティッシュペーパーでぬぐうと真っ赤に染まった。保育園児だった長女(9)が心配そうに見ていた。

 

 1週間ほど前から、1日に4、5回、薄い血痰が出た。年度末が近づき、車で得意先を回るセールスの仕事が忙しくなっていた。「疲れがたまって、のどに来たかな」と考えていた矢先だった。

 

 「これは、大変なことが起こっているに違いない」。近所の医院に駆け込んだ。X線を撮影すると、医師は「明日にでも、総合病院で診てもらってください」と紹介状を書いた。「ここの検査では詳しい診断ができません」

 

 仕事の都合をつけ、2日後に総合病院へ行った。X線検査や血液検査、痰の成分を調べる喀痰(かくたん)検査などを受け、診察時間の最後に名前が呼ばれた。

 

 「X線検査では結核の可能性が70%ぐらいです。喀痰検査の結果は時間がかかるので、まだはっきりわかりません。結核だと周囲にうつす可能性があるので、念のため会社は休んでください」

 

 当時29歳。出産以外で入院したことがなく、病気と無縁だった。

 

 「結核って20代でもなるの?」

 

 血液検査の結果もわかり、4日後に正式な診断が出た。医師は「やはり結核でした。今の段階では周りにうつす可能性はないので、通院しながら内服薬を飲んでください」と話した。

 

 結核は結核菌による感染症で、主に肺に炎症が起きる。患者のくしゃみやせきで空気中に漂った結核菌を吸い込んだ人の一部が感染し、さらにその一部が発病する。

 

 基本的な治療は4種類の薬を組み合わせて結核菌を取り除く。1種類だけではその薬が効かない耐性を持つため、4種類飲む。

 

 3月下旬、総合病院から突然電話がかかってきた。喀痰検査が陽性だった。「うつす可能性があるので、明日から入院してください」と告げられた。会社に事情を話し、長女には「風邪で入院することになったよ」と伝えた。その後、7カ月も会えなくなるとは思ってもいなかった。

拡大する写真・図版入院中に、長女から送られてきた手紙

 

 

薬効かず転院、娘が励み

 結核と診断された北関東に住む女性(31)は2014年3月、総合病院の結核病棟に入院した。結核菌が漏れないようにする空調や特別な空気清浄機、除菌システムなどが整備されていた。

 

 つらかったのは、小学校入学を控えた長女(9)に会えないことだった。入学式にも出席できなかった。女性の母(53)が、満開の桜の下でポーズをとる長女の写真をいっぱい持ってきてくれた。

 

 治療は4種類の薬を飲むことだけだったので、テレビを見たり、読書したりして過ごした。長女の写真を見て自分を励ました。

 

 同室の患者たちが次々と退院していくのを見て、当初は「私も2、3カ月もすれば退院だろう」と考えていた。だが、しばらくすると、首のリンパ節が腫れるようになり、湿ってむせるようなせきが出るようになった。息をすると「ズッキ」と痛みも出た。1週間おきに撮影するX線検査で、右肺の上部にだけあった白い影が、下部にもできていた。

 

 入院して2カ月ほどした5月下旬、医師に呼ばれた。「使用している薬に耐性がある菌だとわかりました。東京の専門の病院に転院することになります」

 

 女性の結核は、複数の薬が効かない「多剤耐性結核」だった。医師は「この病院でも年間一例あるかどうかぐらいの珍しい結核です」と話した。

 

 14年6月2日早朝、女性は特別に密閉された医療車両に乗り、複十字病院(東京都清瀬市)に向かった。窓越しに長女が見送ってくれた。診察室で迎えてくれた現在の結核センター長の吉山崇(よしやまたかし)医師(54)は話した。「うちの病院では、年間に20人ぐらいの多剤耐性結核の患者さんを診ていますから、しっかり根治しましょう」

 

 効果があるとわかった飲み薬や、筋肉注射などの治療で、転院直後から首のリンパ節の腫れは少しずつ引いていき、X線に写る肺の白い影もだんだん小さくなっていった。

 

 転院先の病室は太陽の光がいっぱい差し込み、窓からは緑が見えて、女性の気分を明るくした。「娘も慣れない小学校でがんばっているんだから、私も再スタートと思って、治療をがんばらないと」

拡大する写真・図版複十字病院へ転院直前のX線写真。丸印に病巣がある=複十字病院提供

 

 

7カ月ぶり「わが家」実感

 複数の薬が効かない「多剤耐性結核」とわかった北関東の女性(31)は2014年6月、この結核の治療に実績がある複十字病院(東京都清瀬市)に移った。

 

 入院して3カ月が過ぎたころ、X線、血液、喀痰(かくたん)などの検査の結果、周囲に感染させる可能性がなくなった。病院の敷地内での散歩が許され、薬を飲む時間に注意すれば、売店で好きな物を買って食べることもできるようになった。ぶらぶら歩いて雑誌や商品を眺めるだけでも気が晴れた。だが、完治したわけではなかった。

 

 同じころ、多剤耐性結核の患者を対象にした新薬「デルティバ」が出た。国内で結核の新薬が出るのは、約40年ぶりのことだった。

 

 結核菌は1種類の薬だけだと、薬に耐性を持つようになるため、治療は複数の有効な薬を併せて飲む必要がある。多剤耐性結核の患者の結核菌は、他の薬も耐性となる危険性が高い傾向がある。

 

 女性は主治医の松田周一(まつだしゅういち)さん(30)から当初、「現在は効果がある薬に対し耐性ができたり、使える薬が副作用で使えなくなったりした場合、手術で肺の一部を切り取る可能性もあります」と言われていた。9月に新薬が出たことで、手術の可能性は低くなった。

 

 10月、複十字病院では女性が初めて新薬の治療を受けることになった。ほかの薬と一緒に、朝夕に2錠ずつ飲み始めた。

 

 松田さんが新薬による治療でいちばん心配したのが、副作用としての不整脈だった。血液検査、X線検査、心電図検査などで異変がないかどうか注意を払った。

 

 新薬は順調に効果を発揮し、女性の右肺にあった白い影はだんだん小さくなっていった。10月下旬、女性は退院して7カ月ぶりに自宅に戻った。小学校から帰ってきた長女(9)は「なんで、ここにいるの」と言ったきり、恥ずかしいのか近寄ってこなかった。「また、病院に帰っちゃうんでしょ」としきりに聞いてきた。

 

 退院後も2週間ごとに通院して薬を処方してもらい、服薬を続けた。発病から2年以上たった今年4月、ようやく治療が終わった。「家族と一緒に過ごせるだけで満足。7カ月の入院生活で収穫があったとすれば、家族のありがたみを知ったことです」

拡大する写真・図版「デルティバ」を服用する患者向けのパンフレット

 

 

(情報編) 過去の病気ではない

 結核は結核菌による感染症で、主に肺で炎症を引き起こす。患者がくしゃみやせきをして空気中に漂った結核菌を吸い込む「空気感染」で広がっていく。

 

 世界保健機関(WHO)によると、2014年には世界中で960万人が新たに発病し、150万人が死亡した。感染症の中では死者の数が最も多い。また、世界人口の3分の1が感染しており、高齢化や低栄養、生活環境の悪化などで免疫が低下すると発病する。

 

 日本では1950年代ごろまでは年間死亡者が十数万人にのぼり、「亡国病」「国民病」と呼ばれた。40年代に実用化された抗生物質「ストレプトマイシン」などの登場で、近年、死亡数は激減している。

 

 だが、結核はもはや過去の病気とは言い切れない。結核予防会の「結核の統計」によると、昨年に結核と診断された患者は約1万8千人で、死亡者は約2千人にのぼる。患者の約6割を70歳以上が占めるが、20、30代でも年間約1千人の患者が出ている。

 

 結核の予防接種の「BCG」は、子どもには有効だが、予防効果は十数年のため、大人への予防効果は高くないとされる。

 

 近年、問題となっているのが、結核菌に強い「イソニアジド」と「リファンピシン」の二つの薬に耐性を持つ「多剤耐性結核」だ。日本の結核の治癒率は8割以上だが、多剤耐性結核だけを見ると、肺の一部を切除する外科治療を受けた患者を含めても、治癒率は5割程度だ。

 

 その「多剤耐性結核」に対する治療薬が、連載に登場した女性(31)の治療にも使われた大塚製薬の「デルティバ」だ。現在、国内約20の病院で40人前後が服用しているという。

 

 デルティバが多剤耐性結核に効果を持つのは、従来の薬の作用とは異なり、結核菌の細胞壁を構成する「ミコール酸」という脂質の生成を妨げる仕組みで殺菌効果を発揮するためだ。

 

 大塚製薬の抗結核プロジェクトの木下明督(きのしたみつよし)・グローバルプロジェクトコーディネーターは「世界中に45万人の多剤耐性結核の患者がいて、年間17万人が亡くなっている。そんな人々を助けたい」と話している。

 

 

(記者のひとこと) 「結核」を「過去の病気」に

 

 今週連載した「患者を生きる 結核の新薬」の取材で実感したのは、「結核は過去の病気ではない」ということでした。世界保健機関(WHO)によると、2014年には960万人が結核に新たに罹患し、150万人が死亡しました。

 

 もうひとつ驚いた数字は、世界の総人口の約3分の1は結核菌に感染している、ということです。発症はせず、ほかの人に感染させることのない「潜在性結核感染症」と呼ばれる人たちですが、高齢化や低栄養、それに生活環境の悪化によって発病することがあります。

 

 今回の連載に登場した女性(31)もどこで感染したのかはわかっていません。仕事に追われていた時期に発病していることから、もともと体内にあった結核菌によって発病した可能性もあります。

 

 発病して、女性がいちばん心配したのが、自分の体のことより、「まわりの人に感染させていないか」ということでした。

 

 女性の発病はすぐに病院から所管の保健所に通知され、職場と家庭で消毒がされました。職場では女性が使っていた机の周囲に座っていた同僚が検査の対象になり、病院でX線検査や血液検査を受けました。

 

 家庭は職場より徹底した消毒が行われ、家族は何度も検査を受けました。女性といちばん接触が多かった長女(9)は、期間を置いて6回もX線や血液検査を受けました。

 

 幸い、職場でも家庭でも、感染者はいませんでした。女性は「自分の治療だけでなく、他人の治療も心配するようなことにならずに、本当によかった」と話しています。

 

 WHOによると、結核の死亡率は1990年から2015年の間に?%減少しました。目標は2030年までに結核の流行を終わらせることです。

 

 結核に他人から感染しない、結核を他人に感染させない。そんな世界になってはじめて、結核は本当に「過去の病気」になるのでしょう。

 

ご意見・体験は、氏名と連絡先を明記のうえ、iryo-k@asahi.comメールするメールするへお寄せください。

 

 <アピタル:患者を生きる・感染症>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru

(石川 雅彦)

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