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 世界最高峰エベレスト(8848メートル)に女性で初めて登頂した登山家の田部井淳子さんの「お別れの会」が12月18日、母校の昭和女子大(東京都世田谷区)で開かれました。田部井さんと親しかった山岳関係者や女優の市毛良枝さんら約600人が参列し、故人を偲びました。田部井さんは10月20日、腹膜がんのため77歳で亡くなりました。「余命3カ月」と宣告された後、つらい抗がん剤治療などを受け、その後4年半も人生を生き抜かれました。関係者を取材し、がんとうまく付き合いながら人生を全うした姿に多くのことを学びました。

 2007年、田部井さんに初期の乳がんが見つかりましたが、手術と術後の治療は短期間で終わりました。すぐに講演などの仕事に復帰し、転移もせず安心していたそうです。だが、2012年3月、2度目のがんが見つかりました。腹膜がんと診断され、「ステージⅢC期で、かなり深刻。6月くらいまでしかもたないかもしれない」と医師から告げられたそうです。しかし、抗がん剤治療が奏功し、日常生活も支障なく送れるようになったそうです。

 夫の政伸さんは、「生前、妻は『病気になったけど、病人にはならない』と言っていた。仕事や遊びなど好きなことは我慢せず楽しもうという気持ちで生きていた」と話してくれました。

 2013年5月、私はネパールの「エベレスト街道」を歩いていました。当時80歳で、エベレストの最高齢登頂に挑む冒険家の三浦雄一郎さんを取材するため、ベースキャンプ(BC)を目指していました。拠点集落のナムチェバザールへの急な上り坂が始まるつり橋の手前で、前から来る小柄な女性に声をかけられました。

 「あら、近藤さんじゃない? なんでこんな所にいるの?」

 田部井さんが、政伸さんたちとともに下ってきたのです。こちらからも同じ質問を返したところ、「今回は完全にプライベート。久しぶりにネパールを満喫しているのよ。以前、近藤さんと一緒にBCに行ったときと比べて、エベレスト街道も全然変わっちゃったね」と笑顔で答えてくれました。

 「一緒にエベレストのBCに行った」と田部井さんが回顧したのは、1999年春のことです。当時、九州大大学院で「エベレストのゴミ問題」を研究していた田部井さんは、修士論文執筆のため、調査隊を組んでエベレストのBCに行き、1カ月ほど現地調査をしたのです。私は、その同行取材をしました。

 トレッキング客が大勢通る山道で、田部井さんと立ち話をしましたが、「ナムチェバザールのロッジでは、ふかふかの布団でぐっすり寝られたし、熱いシャワーで疲れが吹き飛んだ。本当に、近藤さんとBCに行ったときと全然、変わっちゃったわ」と、いつもの明るい口調でした。前年に「余命3カ月」と宣告された、がん患者の様子はみじんもありませんでした。乳がんについては、本人も明らかにしていましたが、腹膜がんについては、私は知りませんでした。

 腹膜がんが見つかった後、田部井さんはエベレスト街道のトレッキングだけでなく、本人がライフワークにしていた「世界各国最高峰登頂」も続けていました。2013年はドイツ最高峰のツークシュビッツェ(2962メートル)など、5カ国の最高峰に登頂。各国最高峰は、ヒマラヤと違って1000メートル級や2000メートル級の山もあり、がん患者でも治療や体調次第では登頂可能なのです。

 2014年10月、がんが脳に転移していることが分かりました。政伸さんによると、抗がん剤の副作用で、手足のしびれや吹き出物が出るなど、田部井さんにとっては苦しくつらいものだったそうです。今年7月、残りの時間を「治療」でなく「日常生活」にあてようということになりました。主治医からも、「田部井さんにとっては山登りが日常なのだから、山にも行ってください」と声をかけてもらったそうです。

 田部井さんの最後の登山は、7月27日、被災した東北の高校生のための「富士山プロジェクト登山」でした。体調は悪かったのですが、元祖7合目(3010メートル)まで登り、頂上へ向かう高校生たちを見送り、「復興の力となる若い世代に日本一の頂上に立って、自信をつけてほしい」と話しました。

 がんになり、自ら残りの人生のカウントダウンを自覚しながらも、登山家としての人生を全うした田部井さん。「お別れの会」では、主治医を務めた北里大医学部脳神経外科主任教授の隈部俊宏さんが、次のような悼辞を述べました。

 「田部井さんは、現在の日本人が忘れている『生きていることの次には死がある』と、いうことを意識されていました。厳しい環境にある山で、常に命をかけて登っていましたからでしょう。だからこそ、余命3カ月と言われても、つらい治療を受け入れられたのだと思います。治療を担当した1人の医療人として、すごい生き方、死に方を見せていただき、心より尊敬しています」

   ◇     ◇

 田部井さんが、自らの闘病の記録や思いを綴った「再発! それでもわたしは山へ登る」(田部井淳子著、文芸春秋刊、定価=本体1400円+税)が発刊されました。印税の一部は「被災した東北の高校生を日本一の富士山へ」プロジェクトに寄付されます。全国の書店で販売されているので、ぜひ読んでみてください。

 

<アピタル:近藤幸夫の山へ行こう・健康と安全>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/climb/(近藤幸夫)

近藤幸夫

近藤幸夫(こんどう・ゆきお) 朝日新聞山岳専門記者

1959年。岐阜市生まれ。信州大学農学部卒。86年、朝日新聞入社。初任地の富山支局で、北アルプスを中心に山岳取材をスタート。88年から運動部(現スポーツ部)に配属され、南極や北極、ヒマラヤで海外取材を多数経験。2012年から日本登山医学会の認定山岳医講習会の講師を務める。現松本支局長兼山岳専門記者。