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 広島県の佐木島に住む農家の浜本健さん(74)は2014年、近くの別の離島、百島にある診療所の次田展之院長(44)に訪問診療に来てもらうことになりました。ちょうど歩きにくいと感じるようになった頃でした。しばらくすると、転ぶようになり、尿が出にくいといった症状も出始めました。次田さんに相談し、本土の病院を受診すると、パーキンソン症候群が疑われ、前立腺がんも見つかりました。その後、脳梗塞も発症しましたが、次田さんが早めに受診を勧めたことも幸いし、訪問リハビリを受けながら、自宅で暮らすことができています。

 

フェリーで本土の病院へ

 約700の島がある瀬戸内海には、橋が架かっていない島も多い。広島県三原市にある周囲約18キロの佐木島(さぎじま)もその一つだ。

 かんきつ類やワケギの栽培が盛んで、約700人が暮らす。6割が65歳以上の高齢者だ。定期航路がある本土の港までは高速船で13分、フェリーで25分かかる。

 3月上旬の午後、農家の浜本健(はまもとたけし)さん(74)宅を、約13キロ離れた百島(ももしま)にある百島診療所の次田展之(つぎたのぶゆき)院長(44)らが訪れた。

 庭に面した和室で診察が始まった。

 「帰ってきて風邪もひかんですか?」「足や手のしびれもない?」。次田さんは浜本さんに聴診器をあてたり、腰や足に触れたりしながら質問を重ねた。

 看護師の田中美紀(たなかみき)さん(48)も妻の朋子(ともこ)さん(70)に「困っていることはない?」「トイレは?」と暮らしぶりを聞き取った。

 浜本さんは2月半ばに脳梗塞(こうそく)を起こして本土の病院に救急搬送され、3月初めに自宅に戻ったばかりだった。

 診療の終わり際、次田さんに「またこれからがんばりましょうね」と声をかけられると、「先生のおかげです。これだけ応援してもらったら、がんばらないかん」と意気込んだ。

拡大する写真・図版玄関先で話をする浜本健さん(左)と妻の朋子さん=広島県三原市

 

 浜本さんは1942年、樺太(現・サハリン)で生まれ、終戦の4年後に帰国。父方の実家があった佐木島で両親や姉と暮らし始めた。本土の県立高校を卒業し、大阪の証券会社に就職した。

 6年ほどして島に戻り、地元の農協で働きながら、家族と一緒に米を作った。26歳の時、本土の広島県福山市出身の朋子さんと結婚し、3人の男の子に恵まれた。

 「わしの人生1回しかない。好きなことをしたい」

 40歳を目前に農協を退職し、農業に専念することに決めた。トマトやスイカなどを軽トラックに載せてフェリーで本土に渡り、夫婦2人で売って回った。

 還暦を過ぎた2006年のある夜、浜本さんは自宅でお酒をたくさん飲んだ後、動かなくなった。朋子さんが車に乗せ、フェリーで本土の病院に連れて行った。

 脳梗塞と診断されたが、この時は症状が軽く、ほとんど障害は残らなかった。

 

別の離島から訪問診療

 瀬戸内海の離島、佐木島(広島県三原市)に暮らす農家の浜本健さん(74)は2006年、脳梗塞(こうそく)を起こした。幸い障害はほとんど残らなかった。

 しばらく控えていたお酒を再び飲み始め、病院に行くのも嫌がった。定期的に診察を受けずに、妻の朋子さん(70)と一緒に野菜や果物を作る生活を続けていた。

 佐木島では週1回、本土の民間病院から医師が来て、通所介護施設の隣で外来診療をしているが、常駐の医師はいない。

 2013年の暮れ、浜本さん宅の近くの集会所で、「高齢者の健康管理」をテーマにした講演会が開かれ、朋子さんも参加した。

 佐木島の東約13キロに位置する尾道市の百島(ももしま)にある、百島診療所の次田展之院長(44)が集まった住民たちの前に立った。

 人口約500人の百島は05年11月、島に一人いた診療所の医師が高齢のため引退し、医師がいない状態が続いていた。

拡大する写真・図版島民の自宅で診察する百島診療所の次田展之院長=広島県尾道市

 

 11年4月、「医師がいない離島で働きたい」と、神奈川県で在宅医療に携わっていた次田さんや看護師の田中美紀さん(48)らが以前の診療所があった場所に新たに百島診療所を開設。外来診療の他に島内で訪問診療もしていた。

 次田さんは講演会で、「佐木島にも船で診療に来たいと思っています」と話した。

 佐木島から百島への定期航路はない。ただ、次田さんは小型船舶の免許を持っており、離島の診療に使うため、診療所の開設に合わせて、10人乗りの中古の船を購入していた。この船で来れば、約30分で着く。一方、百島から定期船で本土の港に渡り、西に約10キロ離れた別の港から定期船で佐木島に向かえば、数時間かかる。

 朋子さんは講演を聞き、「病院に行きたがらないお父さんにぴったりだ」と思った。ただ、「うち1軒のために来てもらうのは申し訳ない」と遠慮し、すぐには頼まなかった。

 年が明けると、浜本さんは時々、足がスムーズに前に出にくくなった。その年の秋、次田さんたちが島に訪問診療に来るようになったと知った朋子さんは、診療所に電話をかけ、「うちにも来て下さい」と伝えた。(南宏美)

 

診察後、救急艇で搬送

 瀬戸内海の離島、佐木島(広島県三原市)に暮らす農家の浜本健さん(74)は2014年の11月から、隣接する尾道市の離島、百島(ももしま)の百島診療所の次田展之院長(44)に船で訪問診療に来てもらうことになった。

拡大する写真・図版船で佐木島に到着した百島診療所のスタッフたち=広島県三原市

 

 次田さんは佐木島の他の患者の診療日に合わせ、看護師の田中美紀さん(48)、書類を作成する事務スタッフと一緒に、2週間に1回、訪れるようになった。

 「ご飯は食べられていますか。お薬はちゃんとのんでいますか」

 庭に面した和室で、田中さんが血圧などを測り、次田さんが診察した。

 浜本さんは「気さくでええ先生やな」と思った。妻の朋子さん(70)は「今までの先生より説明がわかりやすい」と喜んだ。

 この頃から、浜本さんはうまく歩けない症状が進み、転んでしまうことが何度かあった。尿が出にくくなり、顔や手足がむくんだ。

 15年3月、次田さんの勧めで本土の病院に行き、入院して検査を受けた。パーキンソン症候群が疑われた。前立腺がんも見つかり、治療が始まった。

 今年2月のある水曜日の夕方、浜本さんがデイサービスから帰ってきた時、「足が地面にへばりついたような変な歩き方をしているな」と朋子さんは感じた。

 翌日の夕食の時には、浜本さんはお箸をうまく使えず、「スプーンを出してほしい」と言った。

 金曜日は訪問診療の日だった。午後、やって来た次田さんに、朋子さんが事情を話した。

 「目を閉じて、両腕を伸ばして胸の高さまで上げてください」

 次田さんに言われたとおり、浜本さんは手のひらを上に向けて両腕を上げてみた。けれど、右腕はすぐに下がってしまった。

 腕にまひが出始めているようだった。再び脳梗塞(こうそく)が起きている可能性があった。

 「早く病院に行って下さい」と次田さんが言い、朋子さんは119番通報をして救急搬送を頼んだ。

 島の港までは、地元の消防団がストレッチャーを乗せられる車で浜本さんを運んだ。救急艇に乗り換えて本土の港に着くと、救急車が待っていた。

 

日々の暮らしもリハビリ

 瀬戸内海の離島、佐木島(広島県三原市)に暮らす農家の浜本健さん(74)は今年2月、お箸を持てないなど、体に異変が出た。定期の訪問診療に来た百島(ももしま)診療所の次田展之医師(44)の指示で、本土の病院に救急搬送された。

 病院では、「脳の血管がちょっと詰まっていますが、元に戻るでしょう。2週間、点滴で治療します」と説明された。

 入院すると聞かされた浜本さんは妻の朋子さん(70)に「わし、帰られんのか」と不満を漏らした。入院3日目を過ぎると、「家に帰りたい、帰りたい」と繰り返した。

 大部屋で他の人と寝起きすることや好きな時間に食事できないことが嫌だった。ストレスのせいか、怒りっぽくなっていった。

 それでも入院から約2週間がたった3月初めに退院し、自宅に帰ってくることができた。まだ右半身が動かしづらく、家の中でも歩行器が必要だった。

 3月半ば、太陽の日差しが暖かい朝だった。浜本さんは歩行器を使って一歩ずつ前に進み、居間から玄関に向かった。約20センチある段差は、歩行器を支えにしてゆっくりと降り、外に出た。

 庭先に置いた椅子に座り、新聞を手に取った。新聞がばらけないように、右手に持ったホチキスで端をパチン、パチンと4カ所、留めた。

 退院後の状態を確認し訪れていたケアマネジャーの平川弘美(ひらかわひろみ)さん(48)が「ホチキスがいいリハビリになっていますね」とほめると、「奥さんにやらされているんです」とつぶやいた。

拡大する写真・図版作業療法士と一緒にリハビリに取り組む浜本健さん(左)=広島県三原市

 

 日々の生活の中にはリハビリになる動きがたくさんあった。好物のポテトサラダを作ってもらう時は、浜本さんがジャガイモの皮をむいた。食後に食器も洗った。

 退院直後から週1回の訪問リハビリも再開していた。3月下旬、作業療法士の梶原小百合(かじわらさゆり)さん(32)がやって来た。

 手の指を曲げたり伸ばしたりする練習をすると、指の1本1本がしっかりと動いていた。「この前より指の動きがスムーズですね」と梶原さんが声をかけた。

 「ほめたら本気にするぞ」。浜本さんはうれしそうに答えた。

 

情報編 離島の4割で医師ゼロ

 連載で紹介した広島県の百島(ももしま)では、次田展之医師(44)が2011年4月に診療所を開くまで約5年半、医師がいなかった。同様の島は多く、離島統計によると、14年時点で住民がいる離島303カ所のうち、40%に医師がいない。

 

 離島の医療で求められるのは、幅広く診療できる人材だ。鹿児島大の嶽崎俊郎(たけざきとしろう)教授(離島医療学)は「総合診療科の重要性も認識が高まってきて、離島やへき地を含む地域での勤務を条件に医学部に入った人たちも現場で働き始めた。今後はこうした人材をうまく配置することが重要」と話す。

 ただ、嶽崎さんは「離島での医療にどこまで完結性を求めるかは悩ましく、住民が数十人の島に医師が常駐するのも難しい」とも指摘する。実際、10年現在、人口100人未満の島が37%を占める。こうした小規模の島では、医師による複数の島の巡回や、遠隔診療システムの活用が必要で、実践している島も少なくないという。

 さらに、医療だけでは島民の暮らしを支えきれないのも現実だ。

 次田さんは現在、外来診療に加え、百島と近隣の2島で約40人の訪問診療を担当する。認知症の症状がある一人暮らしの高齢者や、足腰に病気がある人が多い。これまでに11人をみとった。だが、「島で暮らしたくても本土の施設や家族の家に行かざるを得ない人もいる」と話す。介護を担う人材が不足しているからだ。

 東京大などの研究チームは11年に全国の離島のうち85カ所で島内で亡くなる高齢者の割合を調査。島内で全くみとりが行われていない島の割合は、人口99人以下の島で61・5%、100~999人の島では54・3%だったが、1千人以上の島では7・7%だった。

 百島には現在、デイサービス(通所介護)しかない。次田さんたちは、最期まで島で暮らしたいという島民の願いに応えようと、訪問介護や宿泊を一体的に提供できる小規模多機能型居宅介護事業所の開設を目指している。連載で紹介した沖縄県の池間島につくられたのもこの施設だ。百島診療所の看護師、田中美紀さん(48)は「この施設ができれば、『島に一番に帰りたい』と言ってくれる人がいる。最期まで島で暮らせる人は増える」と語る。

 

<アピタル:患者を生きる・我が家で>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/(南宏美)