管理職が部下をどのようにマネジメントしていくか、というテーマでお伝えしてきたシリーズも、今回が最終回です。今回は「部下を叱っても意味がない5つの理由」についてご紹介いたします。
アラフォー世代の私のまわりの友人たちも、気づけば部下をもつ中間管理職になっています。そんな友人達の嘆きの中にはこんな声がたくさんあります。
「今の若い新人さんって、幼いんだよね。ゆとり世代っていうのかな。ちょっとした注意でもすぐに泣いてしまうから、なんにも言えないわ」
「あれだけ厳しく言っても、部下が全然言うこときかないから、自分の体調がおかしくなりそう。イライラってほんと体に悪い」
「多分あの部下はこれまで親にも叱られたことがないんだろうね。打っても響くかんじが全くない。こっちも報われなくて疲れる」
「これまでだって、再三叱ってきたけれど、全然改善しない。もう打つ手がない」
こうした意見の裏には、おそらく次のような思い込みがあります。
① 「厳しく注意すれば、懲りて結果が出るはず」
② 「叱れば、意識が変わって行動も変わるはず」
どちらも常識的には正しいことかもしれませんが、一方で私たち人間にはこういう側面もあります。
① 毎年、忙しい年末に泣きそうになりながら年賀状を夜遅くまで書いている。
② 健康に悪いとわかりながらも早寝早起きができず、だらだら夜更かしする。
つまり、次のようなことが言えるわけです。
① 年賀状をギリギリになって夜中まで書く羽目になって、痛い目を見て懲りているにもかかわらず、のど元過ぎれば熱さを忘れて、毎年同じ目に遭う。
② 誰だって早寝早起きがよいことは知識として知っているのに、夜更かしをする。
このように、知っていることと、実行することとの間には、ずいぶんと開きがあるのです。このため、「あいつはだらしない」とか「やる気が無い」「自立心がない」とくり返し叱っても、何も解決になりません。だいたいこういうセリフは、説教のときに使われますね。
ご参考までに、こうした説教や厳しく叱ることは、行動分析の世界では「罰」の一種として位置づけられます。でも、世間一般で言われる「罰」と、行動分析の世界でいわれる「罰」とはちょっと意味が違うというお話をしましょう。行動分析における「罰」とは、ある行動を減らすために結果を操作することを指します。一般的に用いられる制裁としての「罰」と、少し意味が違います。
例えば、テーブルの上に来客用に用意したおまんじゅうがあったとしましょう。何も知らないこどもが「あ!おいしそう!いただきます!」と手を伸ばしておまんじゅうを食べようとしたとします。この時、多くの大人は「だめ!食べちゃダメ!」と素早く注意するでしょう。早く介入しないとおまんじゅうがなくなってしまうわけですから。子どもも、「!?え?」と驚きながらも、いったん手を引っ込めることでしょう。
このとき、おまんじゅうに手を伸ばすという行動は、大人からの「だめ!」という叱責で減らされています。なので、この場合の大人のかかわりは「罰」ということになります。
一方で、車を運転している時、「止まれ」の標識のところで一時停止をおろそかにして、スピードを少し緩めるくらいで通過するという行動があったとしましょう。それを、物陰から見張っていた警察に見つかり、違反切符を切られたとします。これは、制裁としての罰を与えられたわけですが、その後も一時停止を怠るという行動が減らなければ、行動分析としては罰と言えないことになります。
私たちの周りには、罰がたくさんあります。
悪いことをしたら捕まるのだって、廊下に立たされるのだって、部活をさぼったらグラウンドを走らされるのだって、遅刻をしたら減給されるのだってそうです。
罰は即効性があり、昔からよく用いられてきました。
しかし、アメリカの心理学者は、こういっています。「行動を変容させる手段として罰を用いることは効果がない」(Skinner,1953)。スキナーは、道徳的な見地からではなく、相手の行動を変えることができるかどうかという視点から言っていることがおもしろいのです。
叱ること(制裁として罰を与えること)は、部下の行動を変えるためのマネジメントに有効とはいえません。その理由を、子育てに置き換えて以下の5点にまとめてみました。
理由その1:代わりにどう行動したらいいか伝わらない
冒頭の、おまんじゅうに手を伸ばして叱られた子どもの話に戻りましょう。子どもは、「おまんじゅうに手を伸ばすと、叱られる」ということはわかりますが、代わりにどう振る舞えばいいかはわかりません。ものすごく空腹なら食べてもいいのか、誰かに相談をすればいいのか、わからないわけです。野球のバッティングの練習で、「それではだめだ!」とだけ注意されても、じゃあどういうスイングをすればいいのわからないのと同じです。代わりにどう振る舞えばよいのかがわからなければ、おそらく問題行動は続きます。
理由その2:効果が続かない
一度叱られておまんじゅうを食べなかったとしても、時がたてばまた、食べようとするかもしれません。「誰も見てないし、叱られなければいいや!今のうち!」という心理です。毎年年賀状をギリギリになって夜中まで書いて「懲りた!」と思った人が、また懲りずにギリギリになってしまうのと同じです。これを「回復の原理」といいます。
隠れて悪いことをするようになる、バレないように画策するというのもやっかいな点です。
理由その3:罰をどんどん強くしなければならない
初めのうちは「だめよ」と軽く注意すれば、おまんじゅうを食べなかった子どもがいたとします。しかし、子どもはだんだん、そのくらいの注意ではきかなくなってきます。すると、もっと大きな声で注意しなければならなくなるでしょう。子どもの側も慣れてしまうからです。子どもを叱り続けて、夏休みの終わりにはのどが痛くなるというお母さんは多いはずです。
理由その4:積極性を奪う
「だめ!」と注意されると、その後、叱られないようにその子どもは萎縮して何にも意見をいわなくなるかもしれませんし、おまんじゅうを食べさせてもらえるような交渉をしないかもしれません。積極性が失われてしまうのです。さらに、親と子どもの関係も悪くなり、子ども自身も「自分は悪い子だから叱られるのだ」と考えるようになります。
理由その5:罰の連鎖
お母さんに叱られた子どもが、妹や弟に対しても母親と同じような口調で叱っているのを見たことがありませんか? または、散々ヒドいパワハラ上司のもと働いてきた人が、「あんな上司にはなるまい」と思いながらも、部下に同じようにパワハラをしてしまうこともよくありますよね。されたことを、他の相手にしてしまうことが、似たような力関係で起こりうるのです。
こうしてみると、説教やペナルティー制度が、長い目でみるといかに無意味かわかりますね。「罰」で管理されている職場は、社員が萎縮していて、無難に、叱られないようにという点にのみ神経を集中させていますから、新しいことを提案する風土はまずありません。やる気や積極性ももちろんありません。
一方で、こうすればこんないい結果が得られると広く周知された職場では、社員が積極的です。新しいアイデアも出てきて、やる気に満ちています。
知識と行動の間に開きがある、という事実から目を背けず、具体的にどのような行動に移すべきか、その行動を増やすためにどのような仕組みが必要か、というところまで手を打てるのが、うまくいく管理職です。
さて皆様の職場、家庭はどちらでしょうか。
次回からは大人のADHDシリーズに戻ります。
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<アピタル:上手に悩むとラクになる・管理職のマネジメント入門>
1978年生まれ、福岡在住の臨床心理士。専門は認知行動療法。肥前精神医療センター、東京大学大学院総合文化研究科、福岡大学人文学部、福岡県職員相談室などを経て、現在は九州大学大学院人間環境学府にて成人ADHDの集団認知行動療法の研究に携わる。他に、福岡保護観察所、福岡少年院などで薬物依存や性犯罪者の集団認知行動療法のスーパーヴァイザーを務める。
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