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 前回からスタートした「生きるのがつらい女性」、リョウさん(30代前半・独身一人暮らし)のお話。今回は、学生時代まではそんなことなかったのに、社会人になる頃から途端にうまくいかなくなった理由について掘り下げていきます。

 リョウさんは、仕事面では、転職を繰り返し、いつも周囲に評価されない状態が続いています。また、プライベートでは、いつもいわゆる二番目の女で、精神的に不安定になることがしばしばです。女友達は皆結婚していき、疎遠になりました。さらに、最近はお酒を飲み過ぎているようです。学生時代までは、大きな挫折はなかったはずなのに、どうしてこうなってしまったのでしょうか。

 こうした謎をひもとくには、ひとつひとつ具体的な状況を見ていく必要があります。まずは、職場でのリョウさんについて詳細にみていきます。

 リョウさんは、これまでいくつも仕事を変えていますが、そこにいたる経緯はだいたい似たパターンでした。

 リョウさんが会議の議事録を作るように任された時のことです。リョウさんはその職場に入ったばかりでした。「ここではがんばるぞ。今度こそはうまくやるぞ」とはりきっていたリョウさんでしたから、はりきって上司の期待に応えようとしました。いかに早く仕上げられるかに全力を注ぎました。しかし、その議事録を見た上司はあまりいい顔をしませんでした。後からわかったことですが、その職場では毎回議事録を決められた形式で残すことになっていて、リョウさんが何の確認もとらずに別の形式で、長文でまとめたことで、上司があとから内容を要約して形式を整え直すことになったそうなのです。

 リョウ 「それなら上司が最初から"このフォーマットで議事録を作って"って言ってくれたらいいし、もし私の議事録が間違っているのなら、"こっちでやり直すから"って言ってくれたらいいのに。入ったばかりなんだから、わからないし」

 リョウさんにはこうした、がんばっているほどは報われないことがよくあります。そしてその原因がだいたい、確認不足です。入社してすぐなので、そもそも確認すべきことが何なのかすらわかりにくいのは当然なのですが、どうやらリョウさんには、「もしかしたら、私のやり方以外のやり方もあるのかもしれない。念のため誰かに意見を聞いてみよう」といった慎重な姿勢があまりないようなのです。

 こんな出来事もありました。

 リョウさんは、極端に人の名前を覚えるのが苦手です。取引先はおろか、職場内でもなかなか覚えられません。そのため、内線でも外線でも、電話を受ける時にかなり苦労しています。数カ月も一緒に仕事をしている同僚の名前が出てこなくて、嫌な顔をされてしまったこともあります。

 また、出勤や職場から取引先に向かうときなど、決められた時間までに到着できず、遅刻してしまうことがあります。約束の時間を勘違いしていたり、忘れてしまっていたりするだけでなく、直前までバタバタと他の仕事に追われるなどして、慌てて職場を飛び出して、駅に向かいながら電車の乗り換えを調べると、予想以上に時間がかかることがわかって、大遅刻ということもありました。

 また、2人以上でチームを組んで仕事をするときには、今度は反対に、リョウさんは非常にせっかちになりました。仕事の締め切りに間に合わないかもしれないと考えると、気持ちがせかせかしてしまい、雑でもいいから早めにやっつけてしまいたい!と焦ってしまうのです。ひとりで仕事をする分にはいいのですが、一緒につきあわされる同僚達からは、「他にも仕事を抱えているのに、どうしてあんなに自分のペースでやろうとするんだろう。こっちの身にもなって欲しい。リョウさんって早いけど雑だし」と軒並み不評です。リョウさんを含む数人をマネジメントする上司の側も、なかなか周囲とペースを合わせられないリョウさんに、どういったらよいものかと頭を抱えていました。

 そんなことが重なると、次第に同僚達は、リョウさんと一緒に仕事をすることに気が進まなくなってくるのです。こちらに確認をとるとか、歩調を合わせるといったことがないので、いつもリョウさんのペースに振り回されるかんじです。それに、約束した時間を守れないことがあったり、仕事が雑で不正確であったりするため、いまいち信頼して任せることができないからです。こうしたことが積み重なって、リョウさんはいくらがんばっていても、思うような評価が得られないばかりか、どこか冷ややかな目でみられるようになっていくのです。そんな雰囲気を察知して、リョウさんはこう考えるのです。

 リョウ 「ああ、また私は何かやらかしてしまったらしい。ここでもだめだったか。でも一体何がどうなっているのか私にはわからない。なんでうまくいかないんだろう」

 

写真・図版

 

 一連の出来事の背景にはいったい何があったのでしょうか。

 実は大人の発達障害の中でもADHD(注意欠陥・多動性障害)の特徴が数々の出来事に関係していたのです。

 ADHDは、不注意や多動、衝動性などを特徴とする発達障害の一種です。

 不注意とは、集中力が続かないだけでなく、同時にいくつかの物事をこなすために注意を分配することが苦手であったり、しょっちゅう気が散って脱線してしまうため物事を最後までやり遂げることができなかったり、失くし物や忘れ物が多かったり、約束の時間も内容も忘れてしまったりと、私たちの生活に及ぼす影響は多岐にわたっています。

 また、多動は、授業中に椅子から立ち上がって教室を走り回る子どもをイメージされる方も多くいらっしゃるかもしれませんが、それだけではありません。じっと座っているかと思えば絶えず落書きをしたり、他のことを考えたり、貧乏ゆすりをしていたり、人と話をしている間でも絶えず頭の中でぐるぐると他のことを想像していたりと、頭の中が忙しい人もたくさんいます。

 衝動性は、やりたい!ほしい!と思ったら、その気持ちが抑えられずに即行動にうつしてしまうことです。衝動買いからカードローン破産に陥ってしまう人、薬物にのめり込んでしまう人、衝動的に仕事をやめたり離婚したりするなど大きな決断を下してしまう人も多いと言われています。翌日に入社式を控えているのに、前夜発売された新しいゲームにのめり込みすぎて、徹夜でゲームをして、遅刻してしまった・・・というように、興味のあることに対して周囲が見えなくなってしまうほど没頭してしまう(過集中)のも特徴です。

 

 ADHDの原因はまだ詳しくはわかっていませんが、脳の実行機能の障害と考える学説が有力です。実行機能とは、行動を抑制したり、計画を立てて実行したりする、プロセスに関わる脳の機能のことです。例えば、デパートに向かいながら、「先にお中元の注文を済ませよう。たぶん30分くらいで終わるから、そのあと16時まで心置きなくバーゲンを楽しもう」などと計画して、そのとおり実行する、といった一連の行動をつかさどるのが脳の実行機能です。

 この働きには、脳の前頭前野が関わっています。前頭前野は生後すぐには十分に発達しておらず、成人早期までかけて成熟していくといわれています。この発達が遅れている状態がADHDなのではないか、と考えられています。

 幼少期に大きな不適応がなくても、「実行機能の社会的な必要に迫られる青年期~成人期に障害が顕在化」(Ramsay, 2007)することも多く、多くの場合はADHDでない人たちに追いつくことはないといわれています。

 それでも、「非常に寛容な環境や実行機能障害の影響を埋め合わせるような『足場』に恵まれれば適応」(Brown, 2005)することができるともいわれています。

 ここでいう、「寛容な環境」や「足場」とは、例えば職場では、周囲が理解を示し、ADHDの人の能力を引き出す接し方や仕事の分担の仕方などを工夫することで整備されるような、働きやすい環境のことをいいます。

 また、本人が自分の忘れっぽさや計画力のなさ、衝動性の高いことに気づき、記憶力を補う行動(メモをとる、アラームをかけるなど)や、自分の衝動をコントロールするための環境の整え方(勉強に集中したいときにはテレビもスマホも遠ざけておくなど)を学んでおくことで、障害の影響を埋め合わせることもできるようになります。

 このように、脳の特徴やそこから生じる症状自体を変えるというよりは、そこから生じる問題に対処できるように周りと本人が工夫するといったことが最も適応を高めると言われています。

 

 実は、ADHDの治療の第一選択は、英国の治療ガイドライン(国が定めた治療の基本方針)では薬物療法です。しかし、薬が部分的にしか効かない場合や、効果がない場合には、実行機能の障害を補う「心理社会的な治療」が推奨されています。中でも注目されているのが、認知行動療法です。日本における成人のADHDの治療でも基本的にはこれに準じていますが、日本においては認知行動療法の普及が遅れているため、ほとんどの医療機関では薬物療法と心理教育(ADHDの特徴についての教育)が主に実施されています。

 このコラムでは、成人ADHDの方が陥りがちな人生の辛い経験を、実行機能障害という切り口で分析し、どう認知行動療法で対処するかをご紹介していきます。

 

 ちょっと長くなりましたね。次回はこれら成人ADHDの特徴が、リョウさんの職場での様子のどこに影響していていたのかを解説していきます。

 

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【大人のADHDの集団認知行動療法研究の参加者を募集します】

 大人のADHDの特徴で、日々の生活でお困りの方を対象にした集団認知行動療法(グループカウンセリングの一種)を福岡市と東京都文京区で行います。研究目的のグループです。全8回のプログラムで、週に1回、約2カ月間で時間管理を実践し、身につけます。

(1) 東京都文京区での実施についてはこちらをご覧ください(10月スタート)

https://tokyocare.jp/?p=875別ウインドウで開きます

(2)福岡市での実施についてはこちらをご覧ください。(10月スタート)

https://jp.surveymonkey.com/r/DVHDQT8別ウインドウで開きます

 

<アピタル:上手に悩むとラクになる・生きるのがつらい女性のADHD>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/nayamu/(アピタル・中島美鈴)

アピタル・中島美鈴

アピタル・中島美鈴(なかしま・みすず) 臨床心理士

1978年生まれ、福岡在住の臨床心理士。専門は認知行動療法。肥前精神医療センター、東京大学大学院総合文化研究科、福岡大学人文学部、福岡県職員相談室などを経て、現在は九州大学大学院人間環境学府にて成人ADHDの集団認知行動療法の研究に携わる。他に、福岡保護観察所、福岡少年院などで薬物依存や性犯罪者の集団認知行動療法のスーパーヴァイザーを務める。