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 臓器移植法が施行されて最初の脳死下での臓器提供は、1999年2月末でした。私は提供施設となった高知赤十字病院(高知市)で取材しました。当時、移植医療の十分な知識も無いまま病院の発表をひたすら書き留めていたことを、移植の取材をする度に思い出します。

 あれから20年近く。心臓移植を受けた後の患者さんの暮らしぶりを取材をする機会はありませんでした。今回初めて、実際に心臓移植を受けた方にお話を伺うことができました。

 今回連載に登場した綱川和久さん(53)に最初に会ったとき、マスクをしていないことに驚きました。感染症予防で常にマスクをしていると思い込んでいたからです。「マスクをしなくて大丈夫ですか?」と尋ねると、「電車の中でせき込んでいる人がいたら、着けるようにしています」と、カバンからマスクを取り出して見せてくれました。

 8月、東日本は例年より涼しい日が続きました。3度目に会ったとき、綱川さんはマスクをしていました。注意はしていたけれど風邪をひいてしまったそうです。数日前から37度を超える熱が出ていました。いまは回復したそうですが「重くはないけれど、ずるずる長引きます」と話していました。

 

 食事は、自ら献立をたてて調理しています。コレステロールをとりすぎないよう、肉と野菜は炒めるより、ゆでるよう工夫しています。自分で調理するのは「もし食事を通して体調が悪くなっても自分の責任」で、同居する78歳の母に余計な心配をかけたくないとの思いもあるからです。

 心臓の提供を受けたこと、提供者への感謝の気持ちは片時も忘れたことはありません。子どものころからやってきたスキーに専念したいと、7月末に障害者雇用で再就職した会社を退職しました。友人に「もったいない」と言われたそうですが、「健康維持のために毎日きちんと歩く時間をとりたい」というのも会社を辞めた理由の一つだそうです。

 

 退職したと聞いた主治医は驚きましたが、「彼らしいね」とほほ笑んでいました。還暦を前に生き方を見つめ直し、体力と気力が残っている間にと、会社を辞めて新たな挑戦を始める人は少なくありません。「それだけ元気で、『普通の人生』が送れるようになったということだね」とも主治医は話していました。

 

 臓器移植法が施行されて20年。心臓移植を受けて、社会復帰している人は増えてきています。綱川さんは、歯科医や整形外科を受診したときなども、気軽に「心臓移植を受けています」と話すそうです。「近くにいますよって、知って欲しいんです」

 綱川さんが挑戦するスキーの大会まで、あと半年。満足のいく結果が出せるといいなと、応援したいと思います。

 

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<アピタル:患者を生きる・移植>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/(寺崎省子)