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 乳がんの手術で乳房を失った人が、人目を気にせず温泉に入れるように――。そんな願いを込めて、「つけたまま温泉に入れる人工乳房」を開発した池山メディカルジャパン(名古屋市)の池山紀之社長(59)に、この10年の変化について聞きました。がんの「その後」を快適に暮らすための環境は、整ってきたのでしょうか。(聞き手・鈴木彩子)

――人工乳房を作り始めたきっかけは

 今から20年ほど前、2歳年下の妹が乳がんで左の乳房を全摘しました。その5年後、再発をしなかったお祝いに、家族で温泉旅行をしたのですが、妹は温泉に入らなかった。この時、妹に「おっぱいは人工で作れないの?」と言われたのが開発のきっかけです。

 妹から3つの条件を言われました。一つ目は、つけていて洋服の上から見てもぱっと触っても分からないこと。二つ目が、温泉に入れてシャワーも浴びられること。三つ目が、普通のブラジャーをつけられること。はじめ、僕は全然意味が分からなかったから「わかった、わかった、できるわ」と答えました。

 当時も、人工乳房は販売されていました。ところが、問い合わせると、「お風呂には入れません」「普通の下着はつけられません、乳がん用の下着をつけてください」と言われました。そこで、3年ほどかけて試行錯誤をくり返して、普通の下着をつけられて温泉にも入れる人工乳房が完成しました。

 2005年に初めて日本乳癌学会で展示発表をして、翌年人工乳房を事業化しました。転機は、それから数年後。新聞記事で大きく取り上げられたその日に、500件くらいの電話がかかってきました。会社の電話が鳴りやまないくらい、患者さんから問い合わせが来たのです。「本当にお風呂に入れますか?」「おっぱいがよみがえったようになるんですか?」という問い合わせに、「ぱっと見ただけではわからないようになりますよ」と答えると、電話口で涙を流される方もいました。

 

 

――人工乳房とはどのようなものですか

 石膏で胸の型をとって、残った側を参考にしながら粘土で乳房を再現します。これをもとに、シリコーンで乳房をつくります。最後は患者さんに装着してもらいながらその場で色を付けて、肌の色やほくろなどを再現します。カウンセリングを含めて2~3回会い、完成までに2カ月ほどかかります。できた人工乳房は、専用の医療用接着剤で皮膚にはりつけます。

 価格は、作り手の技能レベルによって、3段階設けています(約30万~90万円)。高い技術でつくったものは、僕らが見ても本物か人工か見分けがつかないくらいリアルで、伸びもあって、ヨガや水泳などの運動をしてもとれません。

 「おっぱいがよみがえった」「孫とお風呂に入れるようになった」などという声を聞くと、励みになりますね。

 

 

――新たに乳がんと診断される人はいま、年間約9万人に上ります。人工乳房を選ぶのは、どのような方たちですか

 乳がんの手術をされる方は、年間で8万人以上いらっしゃいます。最近は、温存手術ではなく摘出手術をされるケースが増えていて、今は半分以上が摘出手術です。再発のリスクを減らせることと、(2013~14年に)インプラントを使った乳房再建手術が保険適用になったことが背景にあります。乳がんは生存率が高く、9割くらいの方が5年生存される。乳房を失って生きておられるかたは、日本に80万人以上いらっしゃるとも言われています。

 人工乳房を選ぶのは、再建手術を受けたくても高齢などの理由で受けられない人や、再建手術のために体にまた傷をつけるのが嫌だという人が多いです。温泉やスポーツなど、好きな時にだけ着けられて、簡単でいいといって選ぶ方もいらっしゃいます。

 今は年に500人ほどに人工乳房を提供しています。これまでに提供した人は、3500人を超えました。年齢層は、以前は50代、60代が多かったですが、今は若い人も多く、30代から60代までほぼ同じ割合です。80代で希望される方もいらっしゃいます。

 人工乳房の他に、人工乳首も5年ほど前から販売しています。オーダーメイドの他、過去の患者さんのデータから統計をとって作った、形や色などが異なる24パターンの既製品もあります。乳房再建手術が保険適用になってからは、乳首だけの需要も増えています。

 

 

――この10年で、患者さんや病院に変化はみられましたか

 患者さんはみなさん、駆け込み寺のようにして来られます。胸を失った事によるプレッシャーは、今も昔も変わらないですね。ただ違うのは、今は、手術の前に相談に来られる方が増えました。「全摘手術って決まったんですけど、先生から、乳房再建手術をするか、こういう人工的なものにするか、と両方言われて、お話を聞きに来ました」という方が、3分の1くらいを占めます。

 病院が、昔よりも患者さんに対するケアを積極的にやるようになったと感じます。昔は、命を助けることで精いっぱいだったけれど、今は医師も看護師も、その後のことを気にされるようになった。私たちのような人工乳房も、積極的に紹介していただけるようになりました。「再建か、人工的なものか」という考えが、ここ3年くらいでやっと定着してきたなと思います。10年かかりましたね。

 今は、北海道から沖縄まで、全国800カ所ほどの病院やクリニックが、私たちの資料を置くなどして協力してくれています。それでも、乳がんの手術やケアをされている施設はその倍くらいありますから、まだまだ情報は行き届いてないなと思います。

 

――「おっぱいリレー」など、乳がんの啓発活動にも力を入れていますね

 2011年1月に、ある看護師さんからメールが来ました。人工乳房をつけて温泉に入っても「本当に大丈夫ですか?」という内容でした。僕たちも温泉につける実験はやっていましたが、日本全国には様々な泉質の温泉があります。どんな温泉につけても本当に色が変わらないか、臭いが付いたりしないのかを、検証しようと考えるきっかけをもらいました。

 そこで、当時長期インターンとして受け入れていた大学生たちに考えてもらって、人工乳房を温泉につけてリレーをすることで、乳がんの早期発見を考えてもらう「おっぱいリレー」という企画を始めました。温泉宿で人工乳房を温泉につけてもらい、色や臭いをチェックして、隣の宿に渡してもらう、という企画です。初年度は100件近くの旅館が参加してくれました。今年も10月から、全国でリレーを始めています。

 

 同じころ、乳がんを経験した方たちに温泉に入ってもらいやすい環境作りを提案する「ピンクリボンのお宿ネットワーク」(http://www.ribbon-yadonet.jp/別ウインドウで開きます)を立ち上げました。洗い場に仕切りがあるとか、脱衣所の照明を少し暗くしてあるとか、入浴着を使えるかといった情報を旅館から発信してもらい、冊子にまとめました。僕の妹は、実の母親や他の人に体を見られるのが嫌で、温泉に入れませんでした。それなら、体をみられなければ入れるのかと聞いてみたら、入れると。でもそういう情報はどこにもなかったので。

 冊子は病院に置いています。現在100件余りの旅館が参加してくれています。

 

――今後の課題は

 数年前から、顔や指などいろいろな体のパーツを人工的に再現する「エピテーゼ」にも力を入れています。乳がんに限らず、外見の悩みをかかえている人は実はたくさんいらっしゃいます。口腔や鼻腔のがんで眼球を摘出されたり、鼻を失ったり、顔に穴が空いてしまったり。他にも、交通事故ややけど、労災などで、頭の一部や耳、指などをなくされた方はけっこういらっしゃいます。この方たちは、買い物にも食事にも行けないとおっしゃいます。そこで、目や耳や鼻や、髪の毛をつけた頭の一部などを再現して提供しています。

 僕らが鼻をつくったある女性は、その日のうちに息子さんとレストランに食事に行けたと喜んでくださいました。

 

 最近は、手術の前に医師と意見交換をする試みも始めています。体の他の場所から皮膚をもってくるなどの手術を重ねなくても、僕らの技術を使えばきれいに再現することができるので、患者さんも医師もみんながハッピーになれます。

 

 その方にとって「よみがえった」と感じてもらえるものを作っていきたいですね。電車に乗ったり、車に乗ったり、食事をしたり、買い物に行ったり。そういう普通の生活を送る手助けを続けていきたいですね。

 それともう一つ、「機能を回復する」ための義手や義足と違って、「見た目を回復する」人工乳房などのこうした製品は、医療器具として認められておらず、公的医療保険の対象になりません。将来は、心の傷をうめあわせる人工乳房などの製品にも、保険が適用されるようになることを願っています。

 

 

<アピタル:ニュース・フォーカス・アピタルがんインタビュー>

http://www.asahi.com/apital/medicalnews/focus/