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 「科学的根拠に基づいた医療(EBM)」には、「科学的根拠」以外にも考慮すべき3つの要素があります。「臨床現場の状況・環境」「医療者の技術・経験を含む専門性」「患者の意向・行動[価値観]」です。今回は、このうち「患者の意向・行動[価値観]」が意思決定において果たす役割について考えてみたいと思います。

 

▼科学的根拠に基づいた医療(EBM)には、「患者の価値観」が含まれる

▼患者の価値観は、千差万別。絶対的に正しい唯一のものがあるわけではない

▼患者の価値観を考慮した結果、科学的根拠(エビデンス)が示す結果とは異なる判断をすることがありうる

 この連載で繰り返し出てくる科学的根拠に基づいた医療(EBM)を説明するための図です。

 

 今回の図では、特に「価値観」を強調しています。「価値観」の意味を辞書で調べてみると、次のような記載がありました。

●いかなる物事に価値を認めるかという個人個人の評価的判断[大辞林]

●物事を評価する際に基準とする、何にどういう価値を認めるかという判断[大辞泉]

●個人もしくは集団が世界の中の事象に対して下す価値判断の総体[広辞苑]

 抽象的な表現で、余計わかりにくく感じてしまったかもしれませんが、健康や医療の分野で、別の言葉に言い換えると、「死生観」「人生観」「生きる意味・目標」、もう少し身近な言葉で言えば、「好み」「希望」「願い」という意味になるかと思います。

 では、この「価値観」が、医療現場の意思決定において、どのように関わってくるのでしょうか。

 

科学的根拠に基づいた医療(EBM)を再考する

 科学的根拠に基づいた医療(EBM)とは、ランダム化比較試験などの信頼性の高い「科学的根拠(エビデンス)」があるからといって、それに従わなければならないというものではありません。また、杓子定規な「マニュアル医療」でもありません。

 科学的根拠(エビデンス)以外の要素も考慮するため、ときにエビデンスが示す結果とは異なる判断をすることもありえます。

 また、医療には不確実性が伴いますので、ランダム化比較試験の結果が示す数字は、あくまで「効くか効かないかの確率」でしかなく、「0(ゼロ)」「100」といった白黒つくものではありません。得られるのは、いわば「灰色(グレー)」の情報で、「より白に近い灰色」なのか、「より黒に近い灰色」なのかを示してくれるに過ぎないとういうことになります。

 しかし、その治療を「するか・しないか」は白黒ついてしまいます。つまり、「グレー(灰色)」の情報から、「白・黒」の決断行動の意思決定をおこなわなければならないわけです。ここで、重要になってくるのは、科学的根拠(エビデンス)を患者さん自身が、どのように捉えるのかの判断基準(=価値観)になってきます。

 ただ、いきなり「あなたの価値観は?」と聞かれても戸惑ってしまうことでしょう。なにも高尚なことを考える必要はありません。例えば次のような質問に対して、あなたは、どのように答えますか?

◎日常生活において、一番心配なことは何ですか?

◎近い将来、成し遂げたいことは何ですか?

◎治療の選択肢において、効果と副作用のどちらを重要視しますか?

◎病気の治療において、一番解決したい問題点は何ですか?

◎医療者に対して、どのようなことを期待していますか?

 これらの質問について、医療者は一緒に考えることはできますが、「あなたはこうすべき」といった「答え」を出すことはできません。突き放すような言い方かもしれませんが、「科学的根拠に基づいた医療(EBM)」においては、患者さん自身が答えを出していかなければ、治療方針の意思決定が、患者さんが望む形で行われなくなってしまう可能性があります。

 

身近な例で考えてみる

 価値観が問われるのは医療などの特殊なケースだけではないか、と思っている人がいるかもしれません。

 しかし、そのようなことはありません。少し身近な例で考えてみたいと思います。

 例えば、皆さんは、新聞やテレビの天気予報で、降水確率が何パーセントだったら傘を持って行きますか?

20%?

40%?

60%?

80%?

 もしかしたら、100%でなければ傘を持っていかない、あるいは、100%でも傘を持っていかない、という人もいるかもしれません。

 人によって、「傘を持っていく」という判断をする数字は異なるとおもいます。

 これは裏を返すと、仮に降水確率が50%だったときに、傘を「持っていく人」と「持っていかない人」がいることを意味しています。

 つまり、同じ数字が提示されても、「傘を持っていく・持っていかない」という決断・行動の意思決定のプロセスは人によって異なることになります。これは個人個人が持っている価値観による意思決定にほかなりません。

 ここで、「価値観」についての補足説明をしておきたいと思います。

 

価値観は人それぞれであり「正しい」「間違い」はない

 例えば、降水確率が50%で「傘を持っていかない」と判断した人は「正しい」のでしょうか?それとも「間違い」なのでしょうか?

 人間は、ともすると自分のとった行動が正しかったのか、間違っていたのかを意識してしまいます。また、他人が自分とは異なった行動をとった場合、それに対して正誤を決めつけてしまうような傾向もあるようです。

 ですが、絶対的に正しい唯一の価値観などは存在しません。

 もちろん結果として、傘を持っていかなかったために雨に濡れてしまったり、傘を持っていっても雨が降らず荷物になったりすることはあると思います。

 ですから、何を目的に、どのような状況で、どのような判断をしたらよいかを自分自身に問いかけ、納得のいく意思決定が行えているのなら、どのような結果になっても後悔は少ないのではないかと思います。

 

価値観は「時」と「場合」によって変化する

 降水確率が50%なら、普段は「傘を持っていかない」と判断する人でも、「友人の結婚式に参加するために値段の高い服を着ていて、雨に濡れたくない」という場合には、「普段は傘を持っていかないけど、今日は念のため持っていこう」と判断することがあるかもしれません。

 このように、一人の人間においても、決断・行動の意思決定に影響を及ぼす価値観は、時と場合によって変化します。ですから、「私の価値観はこうだ!」と決めつけてしまわずに、少し心に余裕を持って価値観を捉えてもらえたらと思います。また、歳を重ねることで経験や知識などによって価値観が変わってくることも十分考えられます。

 

医療における意思決定

 情報としての信頼性が最も高い「ランダム化比較試験」によって、効果が「30%」という結果が得られた治療法があったとします。

 「30%」という数字が、「科学的根拠に基づいた医療(EBM)」における4つの要素のうちの一つである「科学的根拠(エビデンス)」になります。そして「30%」という数字から、病気が治る「可能性が高い」と思うか、「可能性が低い」と思うかは人によって異なると思います。

 つまり、同じ情報を提示されても、患者個人個人の価値観によって治療選択の意思決定に違いが出てくる可能性があります。

 また、「科学的根拠に基づいた医療(EBM)」の4つの要素のなかには「臨床現場の状況・環境」という項目があります。これは、医療を受ける「社会的環境(病院までの距離、家族背景・介護力、経済状況など)」が含まれます。入院して治療を受けたいのか、外来通院で治療を受けたいのか、その人の置かれた状況によって異なると思います。

 国民皆保険制度があるとはいえ、医療費もタダではありません。その医療費の金額も、何円以上だったら高くて、何円以下だったら安い、と感じるかは、人によって異なります。これも患者個人個人の価値観が影響してくると思います。

 残念ながら、「効果が100%」の治療法は、医学がいくら進歩したとしても現実的には存在しません。医療には不確実性が伴い、治療をおこなって治る人もいれば、治らない人もいます。ですから「こうしたらよい」「こうすべき」というような「正解」が、どこかにあるわけではありません。

 つまり、「灰色(グレー)」の情報をもとに、自分自身の価値観に照らし合わせながら、自ら決断・行動の意思決定をしなければならないわけです。

 情報(科学的根拠=エビデンス)との向き合い方において、数字に振り回されてしまっては、納得のいく意思決定はおぼつかないと思います。

 厳しい言い方になるかもしれませんが、医療は病気を治す可能性のある治療法を提示することはできますが、その治療をするか、しないかの意思決定は患者自身が責任をもって行わなければなりません。誰かが代わりに意思決定をしてくれるわけではありません。自分の人生を他人に委ねてしまってもいいのでしょうか?

 もし病気になって治療法を選択するときには、その治療法の効果や副作用(科学的根拠=エビデンス)の情報を見極めることはもちろん重要ですが、その情報と向き合う際に、自分は何のために治療をするのか、治療をしてどうなりたいか、といったことも是非考えてもらいたいと思います。そして、自分自身に問いかけ、納得のいく意思決定ができれば、どのような結果になったとしても、後悔が少なくなるのではないかと考えます。

 

<アピタル:これって効きますか?・健康・医療情報の見極め方>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/kiku

 (アピタル・大野智)

アピタル・大野智

アピタル・大野智(おおの・さとし) 大阪大学大学院准教授

大阪大学大学院医学系研究科統合医療学寄附講座 准教授/早稲田大学ナノ・ライフ創新研究機構 客員准教授。1971年浜松市生まれ。98年島根医科大学(現・島根大医学部)卒。主な研究テーマは腫瘍免疫学、がん免疫療法。補完代替医療や健康食品にも詳しく、厚労省『「統合医療」情報発信サイト』の作成に取り組む。