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 新聞紙上では紹介できなかった、胎児治療の体験者のお話を紹介させて頂きます。

 仙台市在住の元パン職人丸山涼子(まるやまりょうこ)さん(30)は昨春、妊娠15週目ごろの妊婦健診で、「双子の赤ちゃんのうち1人がむくんでいて、このままでは胎内で亡くなってしまう可能性があります」と指摘されました。

 胎盤から双子の胎児への血液の流れが不均等になる「双胎間(そうたいかん)輸血症候群」でした。5段階の重症度分類のうち重い方から2番目で、血液がたくさん流れている赤ちゃんの心臓に大きな負担がかかり、むくんでいました。

 初めての妊娠で、しかも双子なので「いきなり2人も世話できるかなぁ」と出産後が心配でした。肉体的にもつわりが重くて仕事を辞めざるを得ず、つらい状態でした。そんな状態で赤ちゃんの病気のことを知り、追い打ちをかけられたようでさらに不安が募りました。

 妊娠19週の5月下旬、宮城県立こども病院(仙台市)で内視鏡の先についたレーザーで胎盤の血管を焼き、胎児2人の間で血液が行き来しないようにする胎児治療を受けました。

 治療は成功しました。手術前には羊水がたまっておなかがパンパンに張り、腹囲が100センチを超えて苦しかったのが、手術の際に羊水も抜けて術後は少し楽になりました。

 

 丸山さんは妊娠21週でいったん退院。胎児治療後は早産になりやすいので、「絶対安静に」と医師に言われました。ふだんから「台所は俺の城」と料理を担当していた夫で美容師の大佑(だいすけ)さん(33)が料理以外の家事もほとんど担ってくれ、丸山さんは安静にしていることができました。

 予定通り妊娠32週で入院。9月27日に37週で帝王切開で出産しました。長男嶺(たかね)ちゃんは2135グラム、次男葉月(はづき)ちゃんは2489グラムでした。看護師からは「早産にならず300点満点ですね」とほめられました。

 

 丸山さんは出産から6日目に退院しましたが、子どもたちは回復治療室(GCU)に残りました。丸山さんは毎日病院に通いました。看護師が毎回「新米ママ」の丸山さんに、授乳したり哺乳瓶でミルクをあげたり、湯あみさせたりする練習をさせてくれました。

 20日後の10月17日、2人そろって退院しました。「2人を自宅に迎えて初めて、ああ子どもができたんだと実感しました」と丸山さんは言います。「もう、かわいくて、かわいくて」

 ただし、同時に2人の乳児を育てるのは大変です。1人が泣き出すともう1人もつられて泣き出します。「最初は何で泣いているのかわからなくてオロオロしました。でも最近は慣れてきて、これは『便乗泣きだな』などと聞き分けられるようになってきました」と丸山さんは笑います。

 

    

 

 神奈川県在住の会社員貴子(たかこ)さん(38)は2017年10月、育児休暇を終えて仕事に復帰しました。同時に次男の光生(みつき)ちゃん(1)は長男(4)と同じ保育園に通い始めました。保育園でも自宅でも大声で笑ったり泣いたりし、兄や他の子どもと一緒に走り回って遊んでいます。

 「生まれる前は、光生はずっと呼吸器のお世話になって生きていくんだろうなと思っていたので、まさかこんな日が来るとは思いませんでした」と貴子さんは感慨深げです。

 

 光生ちゃんは妊娠20週目の2015年12月、先天性横隔膜ヘルニアと診断されました。大学病院から紹介されて受診した国立成育医療研究センター(東京都世田谷区)では当初、「それほど重症ではないので、このまま経過をみていきましょう」と言われました。ところが、妊娠が進むにつれ、ヘルニアはどんどん重くなっていきました。

 貴子さんは将来が不安で、夜眠れなくなりました。長男の世話や仕事をしている最中は気が紛れますが、真夜中や独りで通勤電車に乗っている最中に不安に襲われ、涙が出てきてしまいました。

 妊娠29週の16年2月、成育医療センターで、主治医と上司の周産期・母性診療センター長、左合治彦(さごうはるひこ)さん(60)から、胎児の気管に風船を入れて肺の成長を促す胎児治療を紹介されました。まだ臨床研究の段階なので、やってみなければ効果があるかどうかわからない、生まれた後にどのような経緯をたどるかもわからないという説明をした上で、左合さんは「少しでも何かいいことをしてあげたいのであれば、受けた方がいいと思います」と話しました。

 貴子さんと夫の会社員正臣(まさおみ)さん(42)は2人で話し合い、胎児治療を受けることにしました。「やらないで後悔するより、やって後悔した方がいいね」

 貴子さんは2月下旬に入院し、手術を受けました。局所麻酔なので医師たちの会話が聞こえてきました。光生ちゃんは肺が小さくて気管もぺしゃんこで、口の中に内視鏡を入れても左の気管が見えない状態でした。それでも左合さんが「あっ、バルーン(風船)が置けるな」と言ったのがわかり、安心しました。

 術後2週間は絶対安静で、1日の大半をベッドの上で過ごし、シャワーも浴びられませんでした。東野圭吾や宮部みゆきらの小説を1日3冊のペースで読破していきました。

 光生ちゃんは妊娠36週目の4月2日、2874グラムで生まれました。翌日、横隔膜を修復する手術を受けました。1カ月も経たないうちに呼吸器は必要なくなり、6月には退院しました。

 

 ただし、退院した際、呼吸や栄養を補給するために、光生ちゃんは鼻に2本、十二指腸に1本の管がついた状態でした。医師からは「泣くと肺に圧力がかかるので、なるべく泣かせないでね」と言われました。実際、光生ちゃんが泣き始めると、体内の酸素循環が滞り、手の色がだんだん青紫色になってしまいました。しかし、赤ちゃんを泣かせないのは至難の業です。貴子さんには大きなプレッシャーでした。

 ヘルニアのために胃の形も変形しており、入ったものが逆流しやすかったので、1日6~8回にわけ、十二指腸に入れた管からミルクと栄養を補うための中鎖脂肪酸を時間をかけて入れ、その都度、管をきれいに洗浄しなければなりませんでした。それも大仕事でした。

 十二指腸に入れた管は細くて詰まりやすく、詰まると水分補給ができなくなって脱水状態になってしまいます。夜中にタクシーに乗って救急外来を受診することもたびたびありました。「寝ている間に何かあったら」と、貴子さんは熟睡できませんでした。

 

 退院から半年後の10月、光生ちゃんは再入院し、食べ物が逆流しにくいように胃の形を修正する手術を受けました。同時に胃ろうもつけ、十二指腸ではなく、胃に食物を入れられるようになりました。退院後、口からミルクを飲む練習や、おもゆなどを食べる練習を積み重ねていきました。口から食べ物を食べるようになってからは、少しずつ成長の速度が早くなっていきました。17年春には胃ろうは必要なくなり、口からの食事だけで十分に栄養をとれるようになりました。

 「光生が受けたようなまだ臨床研究段階の胎児治療は、やってみなければわからないことだらけで、すべてが試行錯誤です。でも、診断されても生まれてくるまでなすすべが無いという中で、選択肢が増えたのはとてもありがたいことでした」と貴子さんは振り返ります。

 

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<アピタル:患者を生きる・妊娠・出産>

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(大岩ゆり)