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 この連載では正確な情報の見極め方を解説してきました。人はさまざまな心理効果や感情の影響で、情報を歪んだかたちで認知・処理しやすいことを紹介しました。そして、この歪みは決断・行動の意思決定の場面でも影響を及ぼしています。今回は、情報の向き合い方における心理効果や感情の影響について考えてみたいと思います。

 

▼人は、決断・行動の意思決定において心理的認知バイアスの影響を受ける

▼選択肢が増えることは良いことばかりではない

▼人は得するより損することに敏感に反応する

 

 情報の正確さを見極める際、人は誰しも心理効果や感情の影響を受けます。これは、人間が本来持っている特性にも関連しているため、どうしても避けられないことになります。詳細については、過去の連載をご参考にしてください。

 

◎科学的思考を歪める心理効果(https://www.asahi.com/articles/SDI201710316441.html

◎「感情」が認知に及ぼす影響(https://www.asahi.com/articles/SDI201711076905.html

 

 そして、このような心理効果や感情の影響は、「情報を見極める」ときだけでなく「情報と向き合う」とき、つまり「決断・行動の意思決定」においても無視することはできないことが最近の研究で分かってきました。このことは、医療現場では、患者が「治療方針を決める」といった際に、なかなか決められなかったり、思い悩んだり、ためらったり、逡巡・躊躇したりしてしまうことにもつながります。

 そこで、決断・行動の意思決定において影響を受ける「認知心理的バイアス」について考えてみたいと思います。なお、今回紹介する内容は、以前も取り上げたことがありますが、医療現場における意思決定において非常に大きな影響をあたえるテーマなので繰り返し紹介させていただきます。

 

選択肢が増えることは幸せにつながらない?

 「選択のパラドックス」という言葉を聞いたことはありますか?

多くの人が、選択肢が増えることは自由度が増すことを意味し、人はその分幸せになれると思っているかもしれません。しかし、選択肢が増えることが必ずしも幸せにつながるわけではない、と米国の心理学者バリー・シュワルツ氏は説きます。

 

 ◎選択のパラドックスについて[バリー・シュワルツ博士]

https://www.ted.com/talks/barry_schwartz_on_the_paradox_of_choice?language=ja別ウインドウで開きます

 

 選択肢が増えることによる悪影響について、次の2つを指摘しています。

①無力感が生まれる:あまりにも多くの選択肢があると、人は選べなくなってしまい無力感を感じる。

②満足度が下がる:無力感に打ち勝って決断を下したとしても、選択肢が多いと選択肢が少ない場合と比べて自分が選んだ選択肢への満足度が下がる。

 

 さらに、選択肢が増えることで、満足度が下がる理由として、以下の3つが挙げられています。

《理由1》選んだ選択肢が完璧でなかった場合、選ばなかった選択肢のほうが良かったのではないかという後悔の念が生じる。

《理由2》選択肢が多いと、選ばなかった別の選択肢の良いところを想像することで、選んだ選択肢に不満を持つ度合いが高くなる。

《理由3》選択肢が多くなると完璧な選択肢があるはずだと期待値が増大し過ぎてしまう。

 

 この「選択のパラドックス」を医療現場に当てはめてみます。

 医学の進歩とともに治療の選択肢は増えてきています。そのため「Aという治療法をするか、しないか」という二者択一の選択ではなく、「A、B、Cという治療法のうち、どれを選ぶか(いずれの治療もおこなわない選択肢も含む)」という場面に遭遇することが多くなりました。

 治療の選択肢が増えることで、どれも選べなくなってしまう無力感を感じてしまう人がいるかもしれません。また、無力感に打ち勝って治療法を選択したとしても、その治療法が効いてくれるかどうかは、100%保証されているわけではありません。もしかしたら効かない可能性もあります。そうなると「選ばなかった治療法の方が良かったかもしれない」と後悔の念が生じてくることは十分ありえます。また、仮に治療がうまくいったとしても「もっと完璧な最良の治療法があったかもしれない」と自分が受けた治療に不満を感じることがあるかもしれません。

 人間は誰しも、失敗や後悔はしたくないと思います。そのため、治療法を選択する際、その選択肢が多ければ多いほど、心に迷いが生じたり、ためらったりすることになります。つまり、「選択のパラドックス」が治療方針を決められない原因の一つかもしれません。

 

人は得するより損することに敏感な生き物

 次に紹介するのは「プロスペクト理論」です。

 これは米国の経済学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーによる行動経済学の理論です。その理論のなかに「人は意思決定の際に、得をするより損をしたくない思いの方が強い」というものがあります。

 例えば、「確実に100万円もらえる」(選択肢A)と、「10%の確率で何ももらえないが、90%の確率で500万円もらえる」(選択肢B)では、多くの人は選択肢Aを選択するというものです。期待値を計算すると選択肢Aは「100万x100%=100万」、選択肢Bは「500万x90%=450万」となり、期待値では選択肢Bの方が高くなるのです。また、この理論では「人は損失が出ているときは、リスクを許容する行動にでる傾向がある」とも言われています。

 

 この「プロスペクト理論」を医療現場に当てはめてみます。

 「がん」と診断された患者が、治療法(手術、抗がん剤、放射線治療など)を選択する場面を考えてみます。治療をすれば治癒の可能性がある段階、つまり「利益」が目の前にあるという状況です。

 多くの患者さんは、利益を確実に得られる選択肢(=確実に治る治療法)である選択肢Aを選びたいと思っています。しかし、医師が提示する治療法とは、臨床試験で効果が実証されているものの、治療を受けた人の全員が治るわけではなく、不確実性が存在するものです。現実は選択肢Bのような状況になります。そうなると、医師と患者との間で、治療方針を決断する際に、それぞれの希望や認識に食い違いが生じてしまいます。

 次に、進行がん患者が治療法を選択する場面を考えてみます。治療の目的は病気の治癒ではなく延命効果です。つまり、既に「損失」が目の前にあり、それをどれだけ軽減できるかという状況です。

 この場合、患者さんの多くは、何としてでもがんを完全に治したい(=損失をゼロにしたい)という思いが強く起こってくる、つまり一発逆転のギャンブル性の高い選択肢を選びやすくなります。しかし、そのような夢のような奇跡の治療法はありません。現実には、医師はがんを消し去ることはできないが、延命効果は保証されている(それでも、100%ではなく、少なくとも臨床試験で効果が確実に確認されている程度の保証をされている)抗がん剤などの治療法を提示します。しかし、これは残念ながら患者さんはが望んでいない選択肢に該当してしまいます。そうなると、ここでも医師と患者との間で食い違いが生じてしまいます。

 この2つの場面いずれにおいても、医師が提示する治療法と患者さんが希望する治療法にズレが生じています。そのズレを解消するために、インフォームド・コンセントなどの適切なコミュニケーションが重要になってきます。

 しかし、コミュニケーションが不十分でズレが残ったままでは、医師の提示する治療法を受けることが、患者さんにとって不本意な選択をする事になってしまいかねません。これでは、患者さんにとっては、決断・行動の意思決定に迷いが生じてしまいます。

 さらに、その迷いに付け込むかのように、「これでがんが消えた!」「奇跡の生還!」とうたわれた健康食品などの情報が、周りにあふれている状況もあります。そうなると、患者さんは、治療法を決めようにも決められない状況に陥ってしまうかもしれません。

 

 誤解しないでいただきたいのですが、治療方針を決められないのは「患者が悪い」と言いたいわけではありません。今回紹介した「認知心理的バイアス」は、誰しもがとらわれる問題です。

これらを踏まえ、医療者側は、どのように対応すればよいのでしょうか。次回、考えてみたいと思います。

 

<アピタル:これって効きますか?・健康・医療情報の見極め方>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/kiku

 (アピタル・大野智)

アピタル・大野智

アピタル・大野智(おおの・さとし) 大阪大学大学院准教授

大阪大学大学院医学系研究科統合医療学寄附講座 准教授/早稲田大学ナノ・ライフ創新研究機構 客員准教授。1971年浜松市生まれ。98年島根医科大学(現・島根大医学部)卒。主な研究テーマは腫瘍免疫学、がん免疫療法。補完代替医療や健康食品にも詳しく、厚労省『「統合医療」情報発信サイト』の作成に取り組む。