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 誰もが住み慣れた自宅で毎日を過ごしたいと思うのは当然のことです。それは認知症の人でも同じです。そうした気持ちに寄り添うことこそが、私たちに求められています。しかし、いくらそうした人に共感を持っても、認知症の人が住み慣れた自宅で暮らせるように支える「在宅ケア」をあきらめざるを得ないようなことも時にはあります。

 下の図をご覧ください。

 

 2016年4月から2017年3月末までに、私が院長を務める松本診療所(ものわすれクリニック)を受診している人の中で、在宅ケアをあきらめなければならなかった人の原因を調べてみました。最も多かったのが、精神的な興奮や粗暴な行為といった「BPSDが出て在宅ケアができなくなった」人で

24名(41%)、「食事不能になって介護を在宅でできなくなった」人が17名(29%)、「介護拒否があった」人が12名(20%)と続きます。

 独居の人の場合には、別の事情も出てきます。独居の人が在宅介護を続けられなくなる背景には、次の3つが挙げられます。

 

・食事ができなくなった場合

・排泄がコントロールできなくなった場合

・失火(出火)してしまった場合

 とくに失火してしまうと、事態は深刻になりがちです。いかに地域住民が「認知症の人を、住み慣れた自宅で安心して暮らせるようにしてあげたい」と思っても、その人の家でいつ火事が起きるかわからない、という心配があっては、地域住民も安心できません。

 

高層マンションで暮らす高岡さんの事例

 61歳の高岡雄二さん(仮名)は3年前に妻を亡くし、都心の高層マンションに一人暮らしです。一人娘は東北で子育てを終え、今も教師をして忙しく過ごしています。高層マンションに住みたいと願った妻を、このマンションで在宅のまま看取りました。なので、ここに住み続けることには何の後悔もありません。「天神祭りの花火が上がるなか、見送ったなぁ」と妻との日々を思うと、むしろ、このマンションにはとても親しみを感じます。

 そんな高岡さんに認知症が始まり徘徊が起きたのは、妻を見送った2年後でした。ある日、娘さんは突然、マンションの管理人から「お父さんが行方知れずになられました」と電話で知らされ、びっくりしました。まさか、認知症とは、予想もしていませんでした。

 ところが、娘さんの心配に反して、マンションの住民や町内会の人びとが高岡さんを支えようとしてくれていました。見守りや声がけなど、こんな都心のマンションで、地域の住民のみんながかかわろうとしてくれるとは、正直思いもしていななかっただけに、娘さんは地域のあたたかさに涙しました。

 地域の人たちは認知症サポーター研修を終え、認知症とはどういうものかを理解し、地域包括ケアについても地区の地域包括センターの講演会を通じて知っていたことが、協力につながったのだと思います。

「これで父はもう大丈夫。私が遠距離介護のためになかなか帰れなくても、地域の人が支えてくれる」と、娘さんはこころから安心してケアマネジャーと語り合いました。

 

高層マンションでのボヤ、予期せぬ事態に

 ところが、ある日の夕食時、帰宅して夕食の準備をしていた娘さんのもとに電話が入りました。ケアマネジャーからです。

 「お父さんが自宅マンションでボヤを出しました。オール電化で大丈夫だと思っていたのに火災が起き、マンション中がパニックです」    

 原因は、寝たばこだったようです。

 都心の中心部に立つ35階建てのマンションは火事になっても延焼しないようになっていて、高岡さんの部屋もスプリンクラーが早く作動し、たいした火事には至りませんでした。

 「それは不幸中の幸い。良かった」うれしさもあって、思わず娘さんは言いました。

 ところが、ケアマネジャーはこう言いました。

 「違うんです。ボヤ自体は大したことはなかったのですが、高層マンションでの火事でしたからね。あのマンションの高層階に住んでいる人って、案外高齢者の人が多いそうです。その人たちが『火を出すなんてとんでもない。高齢の自分たちは逃げ遅れてしまう』と抗議して、高岡さんをマンションから追い出しかねない雰囲気です」

 ケアマネジャーはどうしてよいものかと悩んでいました。それを聞いた娘さんは大きなショックを受けました。高岡さんが高層マンションに住み始めてから年数がたっていますから、当然、購入した他の住民の高齢化も進んでいたのです。

 つらい思いで娘さんは、この話を高岡さんに打ち明けました。すると「おれがそんなに悪いことをしたのか。火を出したのは不注意だったけど、これからは気をつける。追い出されたら母さんとの思い出もなくなってしまうじゃないか」と、高岡さんは嘆きました。

 

 さあ、困りました。

 奥さんとの思い出がつまった住まいから追い出すなんて、とんでもない。むしろ安心してこれまで通りの生活をしてほしい。でも、地域住民も安心して生活できなければいけません。ケアマネジャーやかかりつけ医、訪問看護ステーション、ホームヘルパー、そして専門医(私です)も含めた担当者会議が開かれました。その結果、高岡さんに炊事は自分ではしないこと、タバコは吸わないことを約束してもらいました。こうした対策をとり、ホームヘルパーが炊事や買い出しすることで、なんとかこれまで通り住み慣れたマンションでの生活が続けられると判断できました。

 要介護1だった介護保険も区分変更して手厚くし、週1回は訪問看護師が、それ以外の日はホームヘルパーが見守り、小規模多機能型のデイサービスやショートステイを使いながら、必要に応じて在宅支援診療所から内科の先生が来てくれる体制を作りました。さらに地域の人びとも交代で高岡さんの様子を見にきてくれることになり、その後はボヤを出すことなく過ごしました。認知症が進んで娘さんの住む東北の施設に入るまでの間、失火を気にしていたマンション住民の人も、この見守り体制を聞いて安心したようです。

 

 認知症に関する国の基本戦略である「新オレンジプラン」で謳われているように、地域包括ケアの概念のもとで認知症の人や介護家族、そして地域の人もまた安心感の中で認知症の人を支えることが大切です。できなくなったことを責めることや、近所から出て行ってもらうことでは問題は何も解決しません。むしろ、問題があるからみんなで連携することが大切なのだと、高岡さんは教えてくれました。

 

 次回から認知症のもう一方の当事者である、介護家族に視点を移して考えたいと思います。

 

<アピタル:認知症と生きるには・コラム>

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/(アピタル・松本一生)

アピタル・松本一生

アピタル・松本一生(まつもと・いっしょう) 精神科医

松本診療所(ものわすれクリニック)院長、大阪市立大大学院客員教授。1956年大阪市生まれ。83年大阪歯科大卒。90年関西医科大卒。専門は老年精神医学、家族や支援職の心のケア。大阪市でカウンセリング中心の認知症診療にあたる。著書に「認知症ケアのストレス対処法」(中央法規出版)など