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高齢者はしばしば「棺おけに片足突っ込んでいる」などと自分の現在を表現する。しかし、そう語る人に限って「まだまだ死なんぞ、もう一花」とも思っているものである。

しかしまた、体調を崩して弱気になると「そろそろ(終わり)かな」と思ってみたりする。私を含め高齢者は概して「まだまだ」と「そろそろ」の間で生きている。言い換えれば「終わりの時を生きている」のである。

老いの時期を「終わりの時」と見る以上は、人生の「終わり」ということをどう理解するかを考えておく必要がある。

いや、考えておく必要はないのかもしれないが、私は職業柄、そういうことを明確にしないと先に進めないので、しばらくお付き合い願いたい。

ということで今回は、「老活」を考えるうえで重要な「医療における人生または生命の終わりの捉え方」を参考にしながら、考えを進める。

 

「終末期ケア/終末期医療」と従来言われてきた領域がある。「終末期」に対応する英語は「ターミナル(terminal)」。病状が進むと死に至るような疾患について、近い将来の死が避けられなくなった状態を「疾患の終末期(または末期)」という意味で、たとえば「末期がん(terminal cancer)」などと呼んできた。

最期に近づくととてもつらくなる病気としては、やはりがんが目立つ。「なんとかしなければ」というのが医療界の重要な課題であったので、終末期といえばがん治療をモデルに考えられていた。

がんの進行と医学的な対応については、1970年代にはすでに、

治癒を目指す治療(が適切な状態)
     ↓
長持ちを目指す治療(が適切な状態)
     ↓

症状コントロール(が必要で、これしかできることがなくなった状態)

という3つの段階に分けて考えられ、この「症状コントロール」の段階を終末期としていた。

「治癒を目指す」と「長持ちを目指す」という段階では、がんを消滅させたり抑えたりできる可能性がある。これに対して「症状コントロール」の段階とされるのは、がんに対抗する治療はもう残っていないという状況を指している。

最近では、抗がん剤の進化によって、症状コントロールが必要になってきた段階でもがんに対抗する治療が可能な場合が生じているが、まあ、以上の3段階の区別は基本的には現在も有効であると言ってよいだろう。

症状コントロール段階では、がんの進行を抑え込むことがもはやできないので、患者は「生命延長の可能性がない」という意味で「死に向かっている(dying)」とされた。「近い将来の死をもはや避けられない状況」ということで「ターミナル」という状態は「ダイング」とほぼ同義で使われたのである。

がん疾患の多くは、「疾患進行の軌跡/トラジェクトリー」(illness trajectory)と呼ばれる図に示すような経過をたどる。すなわち、終わり近くまで身体の機能はあまり下がらず保たれており、最後のところで急激に悪化する。この急激に悪化する部分が「症状コントロール」の時期に該当する。

 

 

図は、がんの経過を、心不全のような臓器不全の経過、老いによる衰え(「フレイル」と呼ばれるようになってきている)の経過と並べて記している。

がんの場合は「終末期」がはっきりしているが、臓器不全とフレイルの場合は、どこからが終末期なのかがわかりづらい。このように、がんをモデルにした考え方をがん以外の疾患にそのまま当てはめようとすると、無理が生じる。

 

欧米では近年、「ターミナル・ケア」という用語が使われなくなり、代わりに「エンドオブライフ・ケア」が使われるようになってきている。「エンドオブライフ」は「生(人生)の終わり」であり、したがって「エンドオブライフ・ケア」と「ターミナル・ケア」が意味するところは、言葉のうえではあまり変わっていないように思われる。

実際、がん治療に限って考えると、「エンドオブライフ・ケアは生命予後6カ月以降」などとあり、これは従来、ターミナル・ケアについて言われてきたことにほかならない。

だが、ここに英国の公的な機関で医療・保健の元締のような位置にあるNHS(国民保健サービス)の次のような説明がある。

「エンドオブライフ・ケアは、人生の最後の数カ月ないし数年の段階にある人々へのサポートである。…(中略)… エンドオブライフ・ケアは、あなたがそれを必要とした時に始まるのが妥当であり、それから数日間続くこともあれば、数カ月、数年にわたって続くこともある」

日単位、月単位、年単位とスパンはさまざまだが、とにかく人生全体の中で「最後の段階」にある人が対象だということになる。「6カ月」等と限定していないのは、がん治療に限定しておらず、たとえば高齢者の認知症なども視野に入れているからだ。

加えて「あなたが必要とした時に始まる」としている点に注目したい。「ターミナル・ケア」の場合とは異なり、その時期が医学的に判断されるとは言っていないのだ。

 

 

たとえば、ある60歳代後半のがん患者・Aさんがいるとしよう。がんが再発し、転移の状況から、医学的見解として主治医が次のように説明したとする。

「あなたのがんを治すことはできません。できるだけ勢いを抑えて人生が長持ちするように努めることはできます。人によって差がありますから確実には言えませんが、統計的にいうと生命予後は2年半といったところでしょう」

この場合、Aさんはまだ「ターミナル期」ではない。身体機能はそれなりに保たれており、まだまだやれるという感じである。痛み等のつらい症状も全くない。抗がん剤治療中は副作用のつらさはあるものの、それは投薬のせいだから仕方ないと思っている。

だが、もしここでAさんが「私は70歳くらいまで生きられるかどうかだ。今は人生の最後の2~3年という時期にあたることになる」と考え、この最後の何年かをできるだけ充実して生き、また死への準備をするために精神的サポートが必要だと感じたとしたらどうだろう。

一見すると元気なAさんには「ターミナル・ケア」は必要ではない。しかし、NHSの説明にのっとれば「エンドオブライフ・ケアを始めるのが妥当だ」ということになる。

 

がん以外の疾患について考えてみよう。筋萎縮性側索硬化症(ALS)という神経性難病がある。全身の筋肉に重篤な萎縮と筋力低下をきたすもので、これが呼吸に関わる筋肉に及ぶと自力呼吸ができなくなる。

本格的な人工呼吸器を着け、また自力で飲食できなくなれば人工的水分栄養補給を行うならば、発症の年齢にもよるが、今後30~40年生きられる可能性がある。だが、もし人工呼吸器を着けなければ、全身を支えられる量の酸素を自力でとれなくなったところで終わりとなる。

人工呼吸器装着を選ぶ人は、これから長く生きようとしており、またそれが可能なのであるから、エンドオブライフ・ケアの時期とは言えない。しかし、人工呼吸器を着けないという選択をした場合は、心身にわたるエンドオブライフ・ケアが必要である。

 

このように、医学的には同じ状況にあるが、本人の選択によりエンドオブライフ・ケアが妥当かどうかが異なってくるケースも存在する。エンドオブライフ・ケアは医学的に決まるものではなく、本人の人生の選択にも大きく関係する、という面が見えてくる。

がんをモデルにターミナル期を医学的に決めようというのが従来のアプローチ。そこに、がん以外の疾患を視野に入れることによって、別のアプローチが出てきたとも言えそうである。

がん治療において「エンドオブライフ・ケア」という用語を「ターミナル・ケア」に代えて使うようになった時期に前後して、非がんの経過についても考えようと視野が広がったために、以上のような用語の差が出てきたということだろう。

 

<アピタル:老活でいこう>

http://www.asahi.com/apital/column/oikatsu/

(アピタル・清水哲郎)

アピタル・清水哲郎

アピタル・清水哲郎(しみず・てつろう) 岩手保健医療大学・学長

1947年東京近郊生まれ。69年東京大学理学部天文学科卒。その後、東京都立大学学部・大学院で哲学を専攻。北海道大学、東北大学大学院の哲学教員、東京大学大学院の死生学・応用倫理特任教授を経て、2017年より現職。医療現場に臨む哲学を試み、医療従事者と共同で臨床倫理検討システムの開発に取り組む。老いの季節をどう生きるか、自らを実験台にしつつ読者と共に考えたい。