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前回は、「人生の終わりの時期」をどう理解するかを、医療ケアの面から考えた。

がん治療をモデルにし、医学的に時期が決まる従来の「ターミナル・ケア」。それに対して、近年登場した「エンドオブライフ・ケア」は、それが行われる時期が、患者本人の必要性や治療選択に大きく関係する場合がある、という指摘をした。

 

ここで日本の状況に目を向けてみよう。厚生労働省は、従来「終末期」医療と言ってきたところを、ここ数年「人生の最終段階」と言うようになった。これもまた、ただ用語を換えただけのことではなさそうだ。

「終末期」は「ターミナル」に対応する日本語で、「進行すると死に至る疾患の終末期」であり、近い将来の死が避けられなくなったと医学的に判断される時期である。これに対して「人生の最終段階」というのは、単に身体的生命の状態ではなく、個人それぞれの人生全体を見渡して、その終わりにあたる時期のことであるようだ。

厚労省は2007年に「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を発表。これを2015年3月に改訂して、タイトルを「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」とした。これについては、日本の現状を考慮にいれた更なる改訂作業が行われており、この記事がアピタルに載るころには公表されているかもしれない。以下はその改訂には多分影響されないポイントである。

 

「終末期」という言葉がすべて「人生の最終段階」と置換されたこの改訂では、解説をリーフレットとして公表しており、そこに次のような文章がある。

厚生労働省では、従来「終末期医療」と表記していたものについて、広報などで可能なものから、「人生の最終段階における医療」と表記します。これは、最期まで尊厳を尊重した人間の生き方に着目した医療を目指すことが重要であるとの考え方によるものです。

「最期まで尊厳を尊重した人間の生き方に着目した医療を目指す」という部分が、ここでの厚労省の態度表明の要となる文言だが、語の間のかかり具合が分かりづらい。

私は次のように読んだ。

〈最期まで尊厳を尊重した医療〉かつ〈人間の生き方に着目した医療〉を目指す

まず、「尊厳を尊重する」ということであるが、「尊厳」がどういうことを意味するかは、辞書をひいても「尊」と「厳」をそれぞれ「とうとい」「おごそか」と説明するくらいのことしか分からない。

こうした文脈で「尊厳」がでてくるのは、欧米の思想伝統におけるラテン語「ディグニタース(dignitas)」由来の語(英語ではディグニティ=dignity)に対応する用語としてであって、そうであるからには欧米においてこうした語が持つ意味を理解することが肝要である。

目下の「尊厳」を理解するには近現代英語の「ディグニティ」の意味を見るのがてっとり早い。「ディグニティ」には

(1)威厳ある見かけ・振る舞い

(2)「尊重に値する」という価値

(3)自らに価値があると感じること

という3つの主な意味がある。

(1)は今回のテーマには関係ないだろう。

(2)について検討するには「物事の価値」を考える必要がある。

例えば宝石には価値があるといっても、「尊重に値する」という価値ではない。なぜなら、宝石は原石を割ったり切ったりして、人間の好みにあう形に加工し、また、売ったり買ったり人間の自由にしている。宝石は人間の所有物、欲望の対象として価値があり、大事にされるが、人間の思いのままに割ったり、切ったりされており、けっして「尊重する」という扱いは受けていない。

ここでいう「尊重する」も大事にすることには違いないが、宝石に対する扱いのように、所有物として支配したり、もてあそんだりするのとは対極の向かい方である。支配したり、もてあそんだり、虐待したりせず、そのような対応が相応しくない「尊い」相手として大事にする、ということになる。

この意味で、「人には尊厳がある」との発言は、「人は尊重すべきだ」ということを主張するものにほかならない。

(3)は「私の尊厳(my dignity)」というように、誰かが自らを指して使う場合であって、本人が自らの価値をどう評価しているかを語る場面で登場する。つまり「こんなにひどい状態になってしまった今となっては、もはや私の尊厳は失われた」というような場合であって、この発言によって、発言している者は、「自らの生きる意味がない」、「存在価値がない」、「自分らしく生きられていない」等々、自らの価値を否定している。

逆に「尊厳を最期まで保って生きる」とは、本人が最期まで自ら前向きに、自らの現在を肯定的に評価しながら、自分らしく生きるといったことを表現している。

このようにみてくると、厚労省の「最期まで尊厳を尊重した医療」における「尊厳」は、上述の「ディグニティ」の(2)の意味で言われていると解することができる。(これを踏まえれば「尊厳を尊重する」という表現は「馬から落馬する」のような重言だ、となるだろうが、「尊重する」という姿勢を強調するための修辞法と解しておく)

すなわち、厚労省のこの文言は「医療は、患者を支配したり、その意に反することを押し付けたりせず、相手の気持ち・意向を大事にしつつ、ケア的態度で事を進めていくというあり方を、患者の人生の終わりまで貫く」という内容を言っていることになる。

 

次に「人間の生き方に着目した医療」を考える。

これは、医療の従来のあり方が「医学的な人間の身体」に着目し、身体の生命を正常に保つ方向での介入を行うというものであったと認め、これとは別のあり方を目指すことを表現したものと言える。

すなわち「生き方」は生物学的医学の視点からではなく、まさに社会の中で人々と交流しながら生きていく一人ひとりの「人生」に着目した表現である。

ここから「人間の生き方に着目した医療」ということの趣旨は次のようなことだと解することができる。すなわち、医学的アプローチは身体に注目して診察し、身体に働きかけ介入することには違いないが、医療という活動は、身体に注目する医学をベースにしつつも、医学的所見だけで治療等を決めるのではない。そうではなく、一人ひとりの人生へと視線を向け直して、一人ひとりの人生が可能なかぎり善いものとなることを目指して、そのためには治療等をどうするかと考えるものである。

ところで、私たちにとって「善い人生」とはどのようなものだろうか。少なくとも私たちが「私は自分の人生を前向きに、自分らしく生きている」とそれぞれの現在を肯定していることが要件に含まれる。そうであれば、ここに上述の「尊厳」の第3の意味との連関が見えてくる。

以上をまとめると、厚生労働省は目指そうとしている医療を「最期まで尊厳を尊重する」と「人間の生き方に着目する」と言葉を重ねて表現しようとしたのである。それは「最期まで自分らしく、自己の生を肯定しつつ(=自らの尊厳を保って)生きる」というあり方を大事にした医療を目指すということだと理解できる。

 

 

以上のように理解することとして、この連載では「エンドオブライフ・ケア」が持つようになった意味と厚生労働省の用語「人生の最終段階」の親和性を認め、両者を交換可能な同義語と考えることにする。

最後に。現在改訂中であるガイドラインが、以上見てきたような「〈最期まで尊厳を尊重した医療〉かつ〈人間の生き方に着目した医療〉を目指す」という厚生労働省の基本的な志向を、より明確に臨床現場への指針として具体化したものとなることに期待したい。

 

<アピタル:老活でいこう>

http://www.asahi.com/apital/column/oikatsu/

(アピタル・清水哲郎)

アピタル・清水哲郎

アピタル・清水哲郎(しみず・てつろう) 岩手保健医療大学・学長

1947年東京近郊生まれ。69年東京大学理学部天文学科卒。その後、東京都立大学学部・大学院で哲学を専攻。北海道大学、東北大学大学院の哲学教員、東京大学大学院の死生学・応用倫理特任教授を経て、2017年より現職。医療現場に臨む哲学を試み、医療従事者と共同で臨床倫理検討システムの開発に取り組む。老いの季節をどう生きるか、自らを実験台にしつつ読者と共に考えたい。