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 認知症による混乱の時期はあるときまでがピークで、その後は徐々になくなっていくものですが、介護をしている家族にとっては、いつまで続くか、先が見えない迷路に迷い込んだように感じられると思います。そんな時、これまでの臨床経験から私は「5回と30分の法則」というやり方で、介護する人が追い込まれないようにアドバイスしています。これは何も実証的な研究の結果、出てきた学説でも何でもありません。私の日々の臨床を通して感じるようになったものですから、参考程度にしてください。「こんなこともあるのかな」と介護者が思ってくれると、介護の先が見えない闇から、少しだけ先の明かりが見えるかもしれません。

 5回とは、物忘れや了解の悪さなどの中核症状によって同じことを認知症の人がくり返した場合、一般的な介護者、家族が耐えられる限界を指しています。食事をしたのに「まだ食べていない」とか、買い物に行くと話したのに「まだ行っていない」とか、言いかえれば、誰でも同じことを5回くり返す認知症の人と向き合えば、イライラするのは当たり前だということです。でも、「5回繰り返すと介護者はイライラの限界になる」からと言っても「じゃあ、もうまじめに介護しなくても良い」とか、「本人に対して不適切な行為をしても仕方がない」ということではありません。しかし介護者が燃え尽きないためには、「5回はストレスである」ということも知ってもらいたいのです。

 行動心理症状(BPSD)で混乱する認知症の人と向き合って、何とかなだめようとしても無理な場合、一度、その人の目の前から距離を置くほうが良い場合があります。いったん頭を冷やしてから対応する方が良く、一定の時間を超えると何とか認知症の人をなだめようとしても、一度混乱した場合には戻らないこともあります。混乱した症状が続くのを見極める時間の目安が30分というわけです。

 

BPSDって何が何でも消さなければならないの?

 かつて私が担当した認知症の人に和田恵美子さん(仮名)という82歳の女性がいました。彼女は認知症が進んでいましたが、それでも一人で住むことができるほど能力が高い人でした。

 そんな彼女がある受診の日に普段とは異なる訴えをしてきたのを、今でもはっきりと思い出すことができます。彼女は「先生、私のそばにいつも白いキツネがまとわりついてくるんです」と言いだしました。

 血管性認知症であった彼女に幻視が出てきたのでしょう。認知症によるBPSDに間違いありません。幻覚妄想状態は何が何でもなくさなければならないと考えていた当時の私は、抗精神病薬を使いながら(それでもできるだけ少量で良いように考えましたが)、彼女のBPSDをなくすように努めました(これを病的体験の疎隔化と言います)。

 そのような状況が3か月ほどたったころだったでしょうか。私の診療所に来院した和田さんに「もう少しであなたを悩ませた幻視が消えますから、安心してくださいね」と言った私に、彼女は少し困ったように言いました。「先生、私を助けようとしてくれているのは嬉しいのですが、実は私、ときどき見える白狐が全くいなくなることが寂しいんです」

 「私は一人暮らしです。誰にも会わないで一日が過ぎることもあります。だから時にはあの子が出てくると寂しくないから、少し、残してくれませんか」

 当時の私は驚きました。BPSDの病的体験(幻聴や幻視をはじめとする精神症状や混乱)は何がなんでもなくさないといけないと考えていたからです。でも、その後の臨床経験でいくつかの事がわかってきました。

 確かに病的体験としてのBPSDがその人を振り回すほどひどくて、本人の精神状態も悪くなるようなものであれば、そのBPSDは必ず(薬物療法などによって)なくす必要があります。しかしそういった状況ではない場合には、たとえBPSDが残っていても認知症の悪化がない場合があることを私は知るようになりました。

 

人権や、その人のこころも考えながら、それでも症状が落ち着くことの意義

 そのことを理解したうえで、病的体験を改善することが本人の落ち着きにつながることを大切にしましょう。これも私のこれまでの経験から書いていますが、認知症による混乱がない人は病気の悪化が少なく、長い時間をかけても悪化が目立たないことがわかりました。その人のこころを無視してまで治療的な行為をするよりも、安定して過ごすことが認知症の悪化を防いでくれることもあります。

 この話はあくまでもこのコラムで紹介する私の臨床経験の一例です。病的体験があっても放置して良いはずはありません。あくまでも治療をすることが大事であることを大前提にしていますが、その際に本人の気持ちなども大切にしたいという気持ちを表現するために、この逸話を紹介しました。

 言い換えればBPSDによって認知症の人自身が混乱しているのを放置すれば、その人の病状は悪化していきますが、ある程度の病的な体験を持っていても、その人自身がその体験によって振り回されないなら、無理に消し去らなくても良い場合もあります。

 かつてある病院に私が外来で担当していた認知症の患者さんが緊急入院したことがあります。私が知らない間の入院で救急搬送されたのですが、そこの医師は家族にこういったそうです。「この人は認知症で混乱する人だから、薬を使って起きないようにします。立ち上がったり夜中に混乱したりすると転倒して危ないでしょう。それにご家族も付き添いが大変になりますから、起きられないように薬を使います」

 そう告げた医師はあくまでも患者さんとなって入院してきた人の安全を守り、病棟の管理上、必要だと言いたかったのでしょう。しかし、そのことを告げられた家族は救急搬送したことを後悔して、泣きながら私の所にやってきました。認知症は難しい病気です。考え方の違いがあっても、あえてそれを障壁と考えずに、そこにかかわる人が意見を交わしながら、その人の尊厳や人権を守ることが大切です。

<アピタル:認知症と生きるには・コラム>

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/

(アピタル・松本一生)

アピタル・松本一生

アピタル・松本一生(まつもと・いっしょう) 精神科医

松本診療所(ものわすれクリニック)院長、大阪市立大大学院客員教授。1956年大阪市生まれ。83年大阪歯科大卒。90年関西医科大卒。専門は老年精神医学、家族や支援職の心のケア。大阪市でカウンセリング中心の認知症診療にあたる。著書に「認知症ケアのストレス対処法」(中央法規出版)など

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