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 今年に入って、病院通いが続いています。5ケ月で外来10回、入院2回、手術1回。大学病院の顔見知りの警備員さんにも「また外来? また入院? 大変だね?」と声をかけられてしまいました。私のように小児がんの治療を受けた後、数年、数十年と経ってから現れる晩期合併症は、生涯にわたる継続的な受診が欠かせません。今までは半年に1回や年1回程度の外来受診ばかりでしたが、このところ頻繁に病院へ行くことになった理由は、そんな「長期フォローアップ外来」の中で発覚した”ひとつの異変”に端を発します。2回にわけてご報告します。

婦人科検診の後、続く出血

 1月初め、年1度の婦人科を受診しました。採血で女性ホルモンの値を観察することと内診(エコー含む)、子宮頸がん検査が目的です。今年は初めて子宮体がん検査(細胞診)も行いました。ホルモンの値は問題なし。頸がん・体がんの検査結果も異常なし。一安心と言いたかったところですが、検査後から出血が続いています。1、2日は出血することもあるとは聞いているけれど、ずーっと続いたので気になっていました。

 2月に入っても、相変わらず出血が続きました。整形外科の受診ついでに婦人科も受診をすることにしました。すると、この前の子宮体がん検査(細胞診)は簡易的なものだから精度が低いとのこと。「痛くなかったみたいだし、小児がんの既往もあるから、念のためもう少し詳しく検査しましょう」ということで、体がん検査(組織診)が追加されました。

「子宮内膜増殖症」と診断され

 2月下旬、体がん検査(組織診)の結果が届きました。「子宮内膜組織の結果は、子宮内膜増殖症で、軽度異常を認めますが経過観察とします。次回は、6ヶ月後に当院を受診してください。」何もないだろうけど・・・と念のために行った検査だったのに、なにやら病名が書かれています。自分なりに色々と調べてみると、「異型」がつかない子宮内膜増殖症なら、それほど心配しなくてよさそうなことが分かりました。

 3月中旬、長引く月経過多と強い生理痛に困り果て、婦人科へ。主治医とは前々から、つらくなったら薬で生理を管理しようと話していたため、ホルモン剤の服用へ踏み切りました。21日間飲み続けて7日間の休薬期間の後に生理が来るというサイクルを、まずは2~3クール繰り返してみることに。

 ところが4月初め、休薬期間を待たずに大量の出血が起こりました。再検査を依頼し、経膣エコーをした結果、子宮内膜ポリープが見つかります。婦人科・腫瘍班の主治医によると、良性であることが多く、経過観察をするのが一般的らしいのですが、私の場合は小児がんの既往もあり二次がんの可能性もあることから、切除して病理診断を行う方向で話が進んでいきました。日を変えて、子宮鏡検査がありました。ここからは「不妊班」の医師へバトンタッチ。モニターには、1.8センチメートルの内膜ポリープがきれいに映っていました(しっかりスマホで動画も撮りました)。根元が7ミリと太く、その場での切除はできませんでした。

手術の準備、麻酔医と整形外科を受診

 4月中旬、手術に備えて、麻酔医と整形外科を受診しました。今回の手術は子宮へ内視鏡を挿入するため、足を開いた砕石位(さいせきい)という体位をとります。治療の影響でもろくなっている仙骨に負荷がかからないよう、体位のとり方と麻酔導入のタイミングを話し合いました。麻酔をかける前に自分で体勢を整え、手術が終わったらすぐに麻酔を切り、手術台からストレッチャーへの移動時も意識がある状態になるような麻酔管理をすることで落ち着きました。普通なら身を委ねればよいのでしょうが、私の場合そうはいきません。身体をどう動かすか、どこを持てばいいのか等々、正解は私にしか分からないのです。手術自体はたった数十分なのに、色々と気を配らなければならない点がありました。

 そしていよいよ4月下旬に手術を迎えることになるのですが、その後、思わぬ展開がやってくるとは・・・。次回(6月26日公開予定)のコラムでは、手術を経て直面した新たな問題について触れたうえで、改めて感じた小児がん患者のフォローアップ体制の課題をお届けします。

 過去に執筆した、婦人科関係の記事は以下のサイトから読むことができます。

・婦人科受診で医師と私を仕切る「カーテン」(https://goo.gl/MCBRyy別ウインドウで開きます

・「子宮頸がん」の疑い(https://goo.gl/ur5K2Z別ウインドウで開きます

<アピタル:彩夏の〝みんなに笑顔を〟>

http://www.asahi.com/apital/column/ayaka/(アピタル・樋口彩夏)

アピタル・樋口彩夏

アピタル・樋口彩夏(ひぐち・あやか)

1989年、東京生まれ。中学2年の時、骨盤にユーイング肉腫(小児がん)を発症。抗がん剤、重粒子線などの治療を経て、車いすでの生活に。「いつ、誰が、どんな病気や障害をもっても、笑顔で暮らせる日本にしたい!」を目標に日々、奮闘中。当事者の視点から建設的に伝えることをモットーに執筆・講演も行っている。