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【まとめて読む】患者を生きる・スポーツ「雪崩・高山病」

 登山家竹内洋岳(たけうちひろたか)さん(47)は日本人でただ一人、世界に14座ある8千メートル超のすべての山に登頂した。挑戦する中で重い高山病にかかったり、滑落で肺がつぶれ腰の骨が折れる重傷を負ったりした。何度も生死をさまよいながら、竹内さんは思う。「8千メートルは死の世界。死をイメージすることで死を避けられる」

300メートル滑落、肺つぶれ腰椎骨折

 標高8千メートルを超す山は世界に14ある。登山家竹内洋岳(たけうちひろたか)さん(47)は日本人でただ一人、すべてに登頂した。生死の境をさまよう大けがや高山病を乗り越えてきた。

 2007年7月18日、竹内さんは中国・パキスタン国境のガッシャーブルム2峰(8035メートル)を目指し、6900メートル地点のキャンプに向かう途中だった。

 午前11時過ぎ、45度を超す急斜面で4人のパーティーの先頭を登っていた。「グッ」。雪が深くなり、変な音がした。

 目の前で斜面が動き、次の瞬間、全体がすべり始めた。「やられた」と思った直後、雪崩にのみ込まれて体の上下がわからなくなった。目の前が真っ暗になった。落ちていく加速度と時間を感じながら、「助からない」と覚悟した。その直後に意識を失った。

 気づいたとき、雪に埋もれて息ができなかった。もがきながら、「もうダメか」と諦めかけたとき、口に詰まった雪が解け、息をする隙間ができた。全身に激痛が走った。左手だけ雪の外に出ている感触があった。口まで雪を掘ろうとするが届かない。再び気を失いかけたとき、誰かが左手を引き上げた。下のキャンプ地(6500メートル)にいた救助隊だった。

 竹内さんは東京タワーの高さほどの約300メートルを一瞬で滑落していた。全身を打撲し、肋骨(ろっこつ)が5本折れていた。左肺がつぶれ、腰椎(ようつい)を圧迫骨折していた。

 「残念だが、明日までもたない。家族にメッセージを残せ」。救助隊のドイツ人医師に言われた。「絶対に生き延びて、ここに戻る」。そう心の中で叫んだ。

 

 パーティーの3人が雪崩に巻き込まれ、1人が亡くなり1人は行方不明で、自分だけが助け出された。そりで翌日、5900メートル地点まで下ろされ、3日後にふもとの街に下りた。さらに4日後、イスラマバードの病院に入院し、気胸の応急処置を受けた。

 仲間が手を尽くして確保した、パキスタン航空の8席分の座席に寝たままの状態で帰途についた。7月30日、成田空港に待機していた救急車で、主治医の柳下和慶(やぎしたかずよし)さん(52)が待つ東京医科歯科大病院(東京都文京区)に向かった。

早く登山に復帰したい 術後2日目に立ちあがった

 登山家の竹内洋岳(ひろたか)さん(47)は2007年7月18日、中国・パキスタン国境のガッシャーブルム2峰(8035メートル)を登頂中に雪崩に遭遇した。高低差で300メートル滑落したが、奇跡的に救助された。

 30日に帰国し、そのまま東京医科歯科大病院(東京都文京区)に入院した。腰椎(ようつい)の一つが圧迫骨折していた。寝たままの状態で自然治癒を待つか、手術をするか。手術をするなら、どの方法をとるか。主治医の柳下和慶(かずよし)さん(52)はいくつか選択肢を示した。

 竹内さんは早く登山に復帰したかった。そこで柳下さんは、経皮的椎体固定術(けいひてきついたいこていじゅつ)という手術法を提案した。できるだけ筋肉を傷つけないようにするため、背中を大きく切らずに骨を固定する、当時最先端の手術法だった。「短期間で起き上がれるようにします」

 潰れた骨に針で医療用のセメントを注入して修復し、背中の7カ所に数ミリの穴を開け、細長いチタン製シャフトを1本ずつ、背骨の両側に入れる。上と下の骨にこのシャフトを渡して5本のねじで固定し、骨が固まるのを待つ。

 柳下さんの指揮のもと、脊椎(せきつい)の専門家らによるチームをつくり、8月3日に手術をした。

 全身麻酔から覚めると体中が痛…

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