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 「理想論ではなく現状の大変さを確認して、みんなで今後をどうするかのために集まっていただきました」

 司会のケアマネジャーの開会のあいさつのあと、主治医が口を開いた。

 患者さんは七十歳の女性。進行性の神経難病で、ほとんど寝たきりで、胃ろうを作り、言葉も不自由な状態になった。病状の進行とともに、在宅療養の毎日に問題がいろいろ出てきたところだった。

 期限を決めた入院中の病院会議室で、平日の夕方に二十人の関係者が集まった。会議の参加者は本人と夫、主治医、三カ所の訪問看護ステーションの看護師、訪問介護士、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、ケアマネジャー、保健所の担当者、病院の社会福祉士、栄養士、それにぼく。

 会議が開かれる数日前の夜、資料をたくさん抱えて後輩の内科医が訪ねてきた。この患者さんの相談のためで、診断の難しい非典型的な病状であること、ケアの場面での看護、介護の負担の大きさが問題になっていることを聞いた。錆びついているとはいえ、四万十ではまれな神経内科の専門医としてのぼくの意見を求められた。

 一時間あまり話してからだった。「現場が大変なので、ケア会議をする予定です。先生、それに出てくれませんか」と言われ、出席を約束した。

 会はまず患者さんのそれぞれの分野からの現状報告から始まった。主治医が、食事、排泄、入浴、整容、更衣にわけて、ホワイトボードに書き出して、現状と今後の対応を一つずつ詰めていった。

 更衣には二人の介助が必要で、移動は車椅子を使うのだが、これが一番介護の大変なところだった。

 本人の辛(つら)いのは、意思の伝達に時間がかかることだった。介護士からもその話はあった。会議中でも、患者さんが五十音字を書いた図を割り箸のようなもので指すのを、そばの人が一音一音読み上げるのに時間が必要だった。

 今後のケアの方向性がそれぞれに整理ができた。ぼくは、神経疾患ではとくに介護する人、される人の最大のストレスは意思の伝達がうまくゆかない、時間がかかることであり、簡単なものからでも意思伝達装置の導入をお勧めした。会議を終わるにあたり、夫が発言した。

 「理想論ではない話をと先生が言ったけれど、もっと挑戦したい。よくなることはないとしてもリハビリテーションを十分試して可能性にかけたい。これでは諦めきれない」。

 いのちへの思いは、それぞれであることを象徴する言葉だった。問題をきちんと解決しようとすると無理がある。二十人みんなが同じ思いでというのもうそっぽい。現場はどろどろでもいい。

 二十人が集まった会議は「それぞれみんな大変なのだ」の確認をしただけでも、大きな意味のある時間だった。

 

<アピタル:診療所の窓辺から>

http://www.asahi.com/apital/column/shimanto/(アピタル・小笠原望)

アピタル・小笠原望

アピタル・小笠原望(おがさわら・のぞみ) 大野内科医師

1951年高知県土佐市生まれ。76年弘前大学医学部卒。高松赤十字病院などを経て97年大野内科(四万十市<旧中村市>)。2000年同院長。18年12月から同医師。在宅医療、神経難病などの分野で活躍中。最新の著書は「診療所の窓辺から」(ナカニシヤ出版)。