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【まとめて読む】患者を生きる・スポーツ「熱中症」

 トライアスロン女子の五輪日本代表だった関根明子(せきねあきこ)さん(42)は、2005年の世界選手権大会で、熱中症で倒れて途中棄権しました。当時を振り返ると、倒れる前から予兆はあったのに「意地になって冷静な判断ができなくなっていた」といいます。

 2000年シドニー、04年アテネの両五輪でトライアスロン女子の日本代表だった関根明子(せきねあきこ)さん(42)は、レース中に熱中症で倒れたことがある。

 05年9月11日、三河湾に臨む愛知県蒲郡市で開かれたトライアスロン世界選手権大会でのことだ。

 レース前の気温は27・5度、湿度は80%。真夏に比べれば、それほど暑くない。しかし、潮気を含んだような「もわん」とした空気が体にまとわりつき、蒸し風呂のようだった。

 違和感はレース前からあった。前日も眠れず、何となく体も重い。それでも欠場という選択肢はなかった。トライアスロンを始めて、国内ではほぼ負けなし。2度の五輪出場経験もある。しかもこの年の世界選手権は日本で初めての開催だった。ホスト国のトップ選手として「国内1位、世界の舞台で入賞」が周囲からの期待であり、自分の目標でもあった。

 会場は競艇場を使った特設コース。競艇用のプールを泳いだ後、競艇場のスタンド前の直線と市内の道路をループ状につなぐコースを自転車とランニングで何度も回る。距離は水泳1・5キロ、自転車40キロ、ランニング10キロの計51・5キロ。スタンドにいる観客たちは目の前を繰り返し通り過ぎたり、場外を中継する大型スクリーンに映ったりする選手を応援した。

 出場選手は約50人。最初の水泳は出遅れて順位は真ん中よりも後ろだった。しかし自転車で中ほどまで巻き返し、最後のランニングも粘った。周回を重ねてスタンド前に戻る度、順位を上げる様子に観客たちも沸いた。

 ラスト1周。トレーナーで夫の陽一(よういち)さん(50)は、激励しようとスタンドを飛び出し、ゴールから回り込むように競艇場外のコースの沿道に向かった。ところが前を走っていたはずの選手が通過しても関根さんがやってこない。いやな予感がした。

 しばらくすると蛇行しながら走ってくる関根さんが見えた。明らかに様子がおかしい。しかし、ゴールはあと500メートルほど。「まだ行ける。我慢だ」。声をかけた直後だった。関根さんがひざから崩れ落ちるように倒れた。

しばらく続いた体調不良

 トライアスロン女子の五輪日本代表だった関根明子さん(42)は、2005年に愛知県蒲郡市であった世界選手権大会のレース中、熱中症になりゴール約500メートル手前で倒れた。

 熱中症は汗をかいて体の中の水分や塩分が失われ、体温が上昇する。重要な臓器に障害が起き、死に至ることもある。関根さんは氷で体を冷やすなど応急処置を受けた後、会場近くの病院に救急搬送された。

 救急車の中では、「何位だった?」「もうレースは終わった?」とうわごとを繰り返していたが、突然嘔吐(おうと)した。意識がはっきりしてきて、付き添ってくれた夫陽一さん(50)から、レースを棄権したことを告げられると、ショックで泣いた。「情けない」「自己管理が足りなかった」。自分を責める言葉が心の中に渦巻いた。

 病院に着くと、当直医らの処置で水分と電解質を補給するための点滴を受けた。安静にした後、夜に宿泊先のホテルに戻った。

 翌日には自宅があった東京に帰ってきたが、熱中症の後遺症からか、体調不良はその後も続いた。胃痛、食欲不振、動悸(どうき)、不安感……。微熱が出る日もあった。

 それまで毎日、水泳2時間、自転車3時間、ランニング1時間の計6時間の練習をしてきたが、とても再開できる状況になかった。

 6週間後の10月23日には日本選手権大会が控えていた。所属契約をしている企業がスポンサーで、欠場はありえなかった。

 10日ほど経って、少しずつ練習を始めたが、体調には波があった。陽一さんの知り合いの薬剤師に相談し、ドーピング検査に引っかからずに体調を整えられる漢方薬をのんだ。大会1週間前になってやっと調子が戻ってきた。

 日本選手権大会の会場は東京・お台場。海を1・5キロ泳いだ後、街を自転車とランニングで計50キロ走る。最初の水泳から上位につけると、自転車もトップ集団で駆け引きを展開。しかし、ランニングで競り合う選手のスパートについていけず2位でゴールした。

 自分では「よく乗り切った」という気持ちでいっぱいだった。その日の練習日誌には「第二位―!」とボールペンで大きく書き込んだ。

「無理せず、楽しんで」

 トライアスロン女子の五輪日本代表だった関根明子さん(42)は、2005年の世界選手権大会で熱中症になりレースを棄権した。後遺症で体調不良に見舞われたが、約6週間後の日本選手権大会では2位に入った。

 実業団の陸上長距離選手からトライアスロンに転向したのは23歳の時。わずか2年でシドニー五輪に出場し17位になり、04年のアテネ五輪で、さらに順位を上げて12位になった。しかし、自分としては不本意だった。

 「次こそ入賞かメダル」。固く決意して、それまでの指導者のもとを離れて独立して臨んだのが05年の世界選手権大会だった。

 レース中にバテないようにと、真夏でも毎晩エアコンをつけずに寝るなど、無理をした。いま振り返れば体に悪いとわかる。しかし、当時は独立しても結果を残せると意地になり、冷静な判断ができなくなっていた。

 疲労がたまったまま本番を迎え、給水所で水を飲んでも腹の中に重くたまるばかりで、吸収される気がしなかった。奥歯を食いしばり続けたためかレース後には歯の詰め物が欠けていた。

 3度目の五輪出場をめざして、その後も競技は続けたが、レースで満足できない結果に終わることが増えた。自分を追い込んで熱中症で倒れてから、いざという時の心の踏ん張りがきかなくなった。

 北京五輪の選考会の大会で敗れたときも、感じたのは「悔しさ」より、「もうレースに出なくていいんだ」という安堵(あんど)感だった。

 08年に現役を引退。現在は2男1女を育てながら、日本トライアスロン連合理事として、子ども向けのトライアスロン教室などで指導にあたる。

 自分の現役時代は、天候が悪くても、故障していても練習をするのが普通だった。しかし、子どもたちには決して無理をしないようにと指導している。意地や根性でがんばっても、熱中症になったり、けがしたりするリスクが高まるだけだと実感しているからだ。

 評価を求めてプライドだけで続けても、爆発的なエネルギーは生まれない。「本当に強くなりたいなら、その競技を心から楽しんで」。後輩たちにはそう伝えたいと思っている。

情報編 運動開始30分で重症化も

 熱中症は、暑い環境で体温を保つために汗をかいて体の中の水分や塩分が減ったり、体温の平衡が保てずに体温が上昇したりして起きる。運動をすると筋肉で大量の熱が生まれ、危険性が増す。

 日本スポーツ協会のスポーツ医・科学専門委員会の川原貴(かわはらたかし)委員長(66)は「体力のない人が暑い環境で激しい運動をすると、運動開始から30分程度でも命にかかわるほどの熱中症になる例がある」と話す。持久走やダッシュの繰り返しで起きやすい。野球やラグビー、サッカー、屋内でも柔道着を着る柔道、防具をつける剣道で患者が多い。激しい運動では頻繁に休憩をとるようにする。

 個人の体力や体調にも考慮する。同じ環境で同じ運動をしていても、体力のない人、肥満の人、暑さになれていない人などは熱中症になりやすい。寝不足など体調が悪いときもリスクが高まる。体力のない低学年は我慢して運動を続けている場合がある。指導者らが目配りし、不調を訴えやすい環境作りを心がける。

 水分は好きな時にとれるようにし、のどが渇く前から積極的にとるとよい。運動の前後に体重を量り、2%以上減らないようにする。スポーツドリンクなどで塩分も補給する。1リットルあたり1~2グラムの食塩が適量だ。

 服装は吸水速乾性の高い合成繊維が適している。防具やユニホームが重装備な種目は、休憩時間に装備を外し、風に当たったり、氷囊(ひょうのう)を使ったりして体を冷やす。

写真・図版

 熱中症の症状が出た場合には、まず呼びかけに応じるかを確認する。言動がおかしい、意識がないなどの場合はすぐに救急隊を呼ぶ。到着までの間、涼しい場所で首やわきの下、太ももの付け根などを冷やす。呼びかけに応じる場合は自力で水分摂取ができるかをチェック。できない場合や、できても症状が改善しない場合も医療機関に連れていく。

 熱中症による死亡者は入院初日が多い。入院しても、翌日までには回復し退院できる場合がほとんどだ。帝京大学病院高度救命救急センター長の三宅康史(みやけやすふみ)教授(58)は「熱中症はある一線を越えると生命に関わる。そうなる前に予防と早期治療が大切だ」と話す。

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<アピタル:患者を生きる・スポーツ>

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(水戸部六美)