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 前回は血液や尿でがんを診断する「リキッドバイオプシー」はまだ研究段階にあるという話をしました。リキッドバイオプシーと似ている技術ですが、小児がんを少量の尿で診断する方法が広く使用されていたことをご存知でしょうか。

 小児がんの一種である「神経芽細胞腫」は、カテコラミンというホルモンを出し、その代謝産物が尿に排泄されます。ホルモンの代謝産物を測定することで神経芽細胞腫を発見できます。日本では1985年に神経芽細胞腫のマススクリーニングが開始されました。原則としてすべての乳児が対象で、一時は受診率が9割を超えていました。日本の成人のがん検診の受診率がよくて5割ぐらいですので、いかに多くの赤ちゃんが検査を受けていたかがわかります。赤ちゃんのおしっこを紙に染み込ませて郵送するという簡便な手法だったのも、受診率が高かった一因でしょう。

 しかし、神経芽細胞腫マススクリーニングは2003年に休止され、現在では行われていません(先天性代謝異常を対象とした新生児マススクリーニングとは別です)。私の知る限り、現在、海外でも神経芽細胞腫マススクリーニングを行っている国はありません。その理由は、利益が明確でない一方で不利益は明確だからです。

 がん検診の目的はがんを早期発見することではなく、がんによる死亡を減らすことです。がんを早期発見できても、がん死を減らせなければ、有効な検診とは言えません。2002年にドイツとカナダからそれぞれ、神経芽細胞腫マススクリーニングを行ってもがん死が減らないという研究が発表されました。日本での研究では、がん死を減らすという研究結果と、減らさないという研究結果の両方があり、一致しませんでした。すでに検診が広く導入されていることもあって、質の良い研究が難しかったのです。神経芽細胞腫マススクリーニングの利益はあるかもしれないし、ないかもしれないという状態でした。

 一方で不利益は明確でした。検査をすることで神経芽細胞腫と診断される赤ちゃんの数は約2倍になりました。増えた分は検査をしなければ一生気づかれなかったもので「過剰診断」と呼ばれます。がんなのに一生気づかれないというのは不思議な気がしますが、成人のがん検診でも過剰診断が存在することは知られており、珍しいことではありません。過剰診断は手術や抗がん剤治療、心理的な不安といった不利益をもたらします。成人の胃がん検診や乳がん検診にも不利益はありますが、がん死を減らすという利益の方が大きいため推奨されています。

 休止後も検証は続けられています。「神経芽細胞腫マススクリーニング休止後に神経芽細胞腫の罹患率は減ったが、死亡率は変わらなかった」という研究が2017年に発表されています。検査による過剰診断がなくなって罹患率は減り(おそらく検査前のレベルに戻った)、一方で検査による利益(がん死亡率の低下)はなかったことが強く示唆されます。がんで亡くなる赤ちゃんを少しでも減らしたいという善意から、神経芽細胞腫マススクリーニングは始められたのでしょう。しかし、結果的には害の方が大きかったと言わざるを得ません。

 この話の教訓は、広く検査を導入する前に適切な臨床試験、できれば質の高いランダム化比較試験で有効性を検証すべきだった、ということです。ワクチンや薬だったら、副作用はあるのに効果がはっきりしないものを導入することが不適切であることはわかります。がん検診だって同じです。医療を行うときにはその利益と害を見極めなければなりません。

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アピタル・酒井健司

アピタル・酒井健司(さかい・けんじ) 内科医

1971年、福岡県生まれ。1996年九州大学医学部卒。九州大学第一内科入局。福岡市内の一般病院に内科医として勤務。趣味は読書と釣り。医療は奥が深いです。教科書や医学雑誌には、ちょっとした患者さんの疑問や不満などは書いていません。どうか教えてください。みなさんと一緒に考えるのが、このコラムの狙いです。

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