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 今、四万十川河口近くに住む九十九歳の女性の死亡診断書を書き終えた。

 患者さんは長く診療所に通っていた。ここ一カ月あまり食事が進まず、動きにくくなったと家族からの話で訪問することになった。

 血液検査で、白血球数が十六万とべらぼうに多かった。悪性の病気が考えられるので、検査を詳しくするかどうかを家族に話した。息子夫婦が大阪から心配して帰ってきた。初対面の長男は最初に、義父の前院長に子どもの頃にいのちを助けられた話をした。

 「先代の大野先生に私が助けられて、母が先生に診ていただくのも縁ですね。よろしくお願いいたします」と、検査は見送り、在宅で最期までと家族四人との話し合いはすんなり決まった。

 訪問が始まって、二週間後に熱が出だした。解熱剤を飲んだら、何とかなった。「大野内科の小笠原です」と、診察を始めるぼくに、にっこりして合掌のかたちで手を合わせた。

 訪問看護師とともに、同居する娘と大阪から帰った嫁と二人が介護を続けた。唾液がのどにたまることがあった。枕元にあった口腔内をきれいにする小さなブラシに乾いたガーゼを巻いてぼくが取ったら、たくさん唾液が取れた。家族にしてもらったらうまくいって、のどの音が少なくなった。

 その夜はよく眠ったそうだ。在宅医療では、こんな小さな工夫がうまくゆくとうれしい。患者さんは診察のたびに、ぼくに手を合わす。看護師さんがおむつの交換をする時には、いつもはしない腰をあげたそうだ。これは亡くなる前日まで続いた。

 朝五時前に枕元のケータイが鳴った。「母がだめです」とのこと。家の近くで往診車を降りる時には、夜が明けてきて鳥の声がきれいに聞こえた。患者さんの顔は穏やかだった。臨終を告げたぼくは家族に昨夜からの様子を聞いた。

 娘がとろとろとしたところで呼吸がとまったらしい。娘が泣いていた。「よく介護されてお母さんは幸せです。最期の瞬間がどうのこうのじゃないと思います。いのちいっぱい生きたのじゃないですか」と、ぼくは言った。

 「先生も忙しいでしょうから」と、促されて家を出た。四万十川の河口に架かる橋を渡るとき、後ろから朝日があたり、車の陰を追っているような時間があった。四万十川の悠々とした流れに目をやると、いのちを看取ったぼくのこころが透き通ってくるような気持ちがした。

 ちょうど今、もうひとりのすれすれで生きている患者さんの妻からのケータイが鳴った。はっとした。「先生、熱が下がって呼吸も楽になっています。いつも悪い知らせばかりだからたまにはいい話もと思って」と、早朝の明るい声の報告だった。

 

<アピタル:診療所の窓辺から>

http://www.asahi.com/apital/column/shimanto/(アピタル・小笠原望)

アピタル・小笠原望

アピタル・小笠原望(おがさわら・のぞみ) 大野内科医師

1951年高知県土佐市生まれ。76年弘前大学医学部卒。高松赤十字病院などを経て97年大野内科(四万十市<旧中村市>)。2000年同院長。18年12月から同医師。在宅医療、神経難病などの分野で活躍中。最新の著書は「診療所の窓辺から」(ナカニシヤ出版)。