[PR]

【まとめて読む】患者を生きる・スポーツ「バセドウ病」 

 甲状腺ホルモンが過剰に作られ、身体にさまざまな不調が起きるバセドウ病は、心臓などに負担がかかりすぎるため、通常はスポーツが制限されます。日本を代表する自転車ロードレースのプロ選手、増田成幸さん(34)はこの病気を患い、治療を続けながら競技に挑んでいます。

 自転車ロードレース選手の増田成幸(ますだなりゆき)さん(34)は2011年、宇都宮市のプロチーム「宇都宮ブリッツェン」に入った。翌年、全国を転戦する国内最高峰のレース「Jプロツアー」で個人で1位を獲得し、チームの総合優勝にも貢献。海外チームでも活躍し、帰国後の16年も個人2位だった。

 ところが、シーズンが始まった翌17年4月、地元のレースで異常なまでの疲労を感じた。気分が悪くて食欲も落ち、わけもなく手が震えた。「本当に絶不調だった」

 体重もベストの61キロから4キロ近く減り、周りの選手から「絞りすぎだよ。大丈夫か」と心配された。レース後、地元のクリニックを受診すると、甲状腺の異常が見つかった。紹介状を手に、より専門的な検査と治療ができる済生会宇都宮病院を訪れた。

 糖尿病・内分泌内科主任診療科長の友常健(ともつねけん)さん(42)が担当した。血液を詳しく調べると、甲状腺ホルモンの分泌量が過剰になっていた。画像診断でも甲状腺の異常を確認。友常さんは「バセドウ病です」と告げた。

 甲状腺はのどぼとけの下あたりにある内分泌器官。バセドウ病は、新陳代謝を促すホルモンが出すぎてしまう病気だ。のどが渇いたり、しっかり食べているのに痩せたりする。イライラして興奮したり、動悸(どうき)や息切れも激しくなったりする。筋力も低下しがちだ。

 前シーズンの好成績からさらに飛躍しようと張り切っていた矢先だった。増田さんはショックを受けた。「どん底へと突き落とされた思いだった」

 治療中は運動を禁じられた。レース復帰どころか、日常のトレーニングさえできない。無理をすれば病状をコントロールできなくなり、ほかの様々な臓器に障害が起き、意識障害や心不全、呼吸困難などになる「クリーゼ」という重症な状態になるリスクが高まる。最悪の場合は命に関わるという。

 一方、練習やレースから離脱すれば選手生命が断たれてしまう。そう簡単に諦められなかった。「増田さんにとっては病気との闘いだけでなく、治療方針との衝突でもあった」と友常さん。医師と患者。2人の間で真剣勝負が始まった。

服薬選び 運動を継続

 自転車ロードレース選手の増田成幸さん(34)は2017年4月、バセドウ病と診断された。絶好調だった前年から一転、どん底に突き落とされた。一刻も早くレースに復帰したかった。病気に特有のイライラ感も重なって、済生会宇都宮病院の主治医友常健さん(42)との間には、火花が散るような緊張が走った。

 プロ選手の増田さんには「自分の体は自分で調整する」という自負と覚悟がある。友常さんは「一方的に治療方針を押しつけても、必ずしもよい結果はもたらさないだろう」と考えた。「日本屈指のアスリートとしての成果を上げる責任が増田さんにはある。それに見合うだけの覚悟を医師の自分も問われた」と友常さん。2人は互いに納得できる道を探った。

 バセドウ病の治療は主に三つある。薬物療法、放射線療法、手術だ。米国では放射線療法が主流だが、日本では薬物療法が一般的だ。放射線治療は効果が出るまで時間がかかるため、早く競技に復帰したい増田さんの希望を受け、友常さんは薬物治療を勧めた。

 本来、薬を服用して状態が安定するまで運動はできない。安定するには通常は半年から1年かかる。だが、増田さんはそんなに長く待てなかった。友常さんは「増田さんが隠れて服薬をやめてしまうぐらいなら」と、治療しながら運動を続ける方法を模索した。

 通常は1日6錠処方する抗甲状腺薬メルカゾールを最初は3錠に減らして副作用を抑えつつ、ヨウ化カリウムを追加したが、甲状腺ホルモン値は思うように下がらなかった。このため、次第に5錠、6錠と増やした。

 治療を始めて1カ月半後の5月下旬ごろには甲状腺ホルモン値が緩やかに下がりだし、練習を再開した。だが30分もペダルをこぐと動悸(どうき)や発汗が激しくなり、猛烈な倦怠(けんたい)感に襲われた。それでも少しずつ時間を延ばし、8月には5~6時間走れるようになった。

 9月、5カ月ぶりにレースに復帰した。地元の栃木県内で開かれた大会に姿を現すと、ファンが拍手と歓声で迎えてくれた。ところが5日後の北海道でのレースで転倒して鎖骨を折る。増田さんは再び、離脱を余儀なくされた。

放射線治療で症状安定

 バセドウ病と診断された、自転車ロードレース選手の増田成幸さん(34)は2017年9月、5カ月ぶりにレースに復帰した。ところが5日後に転倒して鎖骨を折り、再び競技から離脱した。

 済生会宇都宮病院整形外科の岩部昌平(いわぶしょうへい)さん(54)から、折れた骨を人工繊維で巻いて固定する手術を受けた。1カ月で復帰するが、苦難が追い打ちをかけた。甲状腺ホルモンの値が上昇し、バセドウ病が再び悪化していることがわかった。同病院の主治医、友常健さん(42)は「放射線治療をしましょう」と言った。

 放射線治療は効果が出るまで3カ月ほどかかる。翌18年のシーズンをにらんでの計算だった。「17年末に治療すれば、効果を見定めて、翌春にはスタートできる」。早めに甲状腺を落ち着かせれば、夏以降のシーズン後半戦はより良い状態に持ち込めると踏んだ。提案に増田さんも同意した。

 治療は、放射線を出す放射性ヨウ素が入ったカプセル錠をのむ。ヨウ素は甲状腺に集まる性質があり、過剰に働いている甲状腺の細胞を放射線で壊してくれる。前後に食事制限が必要だが、通常は1回の治療で済む。

 自治医科大学付属病院(栃木県下野市)に入院した。12月初旬、内分泌代謝科講師、岡田健太(おかだけんた)さん(47)らのチームが放射性ヨウ素の服用量などを決めた。

 効果はてきめんで、甲状腺ホルモン値が次第に正常値に戻っていき、抗甲状腺薬メルカゾールは不要になった。逆に不足する甲状腺ホルモンの補充薬チラージンだけになり、病状のコントロールは格段にしやすくなった。

 所属する地元プロチーム「宇都宮ブリッツェン」の主将にも選ばれ、年明けに練習を再開。運動量は心拍数をみながら注意深く管理し、過重な負荷を避けた。2月にシーズンが始まると、沖縄でのJプロツアー開幕戦と第2戦に出場。チームは連勝し、確かな手ごたえを感じた。

 だが甲状腺の機能が抑えられたぶん、体重が増えたり寒気を感じたりと苦しみも続いた。「でもこれは治療が成功している証拠でもあるんだ。だから気持ちはポジティブ」。当時のブログに、増田さんはつづった。

重なる試練「乗り越える」

 バセドウ病の薬物治療を続けていた自転車ロードレース選手の増田成幸さん(34)は2017年のシーズン終了後、新たに放射線治療を受けた。治療はうまくいき、年明けのレースに復帰。所属チームは好成績でスタートを切った。

 5月、地元の宇都宮市であったJプロツアー第8戦では個人でも優勝した。最終周回で少人数に絞り込まれた先頭集団からゴール手前3キロで一気に抜け出すと、そのまま独走して勝利した。

 治療開始から1年以上。長かった。表彰台で感慨がこみ上げた。「やっとここに帰ってきたよ」。雨が降る中、懸命に応援してくれたファンに囲まれ、「またやってやる」と闘志に火がついた。

 ところが翌週、またしても状況が暗転する。8日間にわたる国際大会「ツアー・オブ・ジャパン」の2日目。最終周回で直前を走っていた外国人選手が転倒し、増田さんは避けきれずに突っ込んだ。腰椎(ようつい)の横突起が3カ所折れ、最大の目標にしている日本選手権の出場が絶望的になった。

 国立スポーツ科学センター(東京都北区)で詳しい検査を受け、2週間後にはリハビリを始めた。激しい痛みに耐えながら、腰に負担がかからない特殊なトレーニング機器に向かった。

 ギリギリの場面で果敢に勝負をかける増田さんは、もともと負傷が多い。センターに通うのは何度目だろうか。けがをする度、「これを最後にしたい」と思った。

 今回の骨折には、これまで以上に不安が募った。バセドウ病ではホルモンの働きで代謝がうながされ、骨を壊す作用が進んで骨粗鬆症(こつそしょうしょう)になるリスクが高まる。これまで骨密度などを測定していなかったので、「明確な関係は不明だ」と済生会宇都宮病院の主治医、友常健さん(42)はいうが、増田さんは「影響があるのではないか」と不安に思った。幸い、甲状腺の状態は安定している。

 7月下旬、シーズン前半最後となるJプロツアー第15戦で復帰した。本格的な再スタートは9月からの後半戦になる。「人生万事、塞翁(さいおう)が馬。よいことばかりではないけど、悪いことばかりでもない」と増田さん。病気は天が与えた試練だと考えている。「必ず乗り越えて見せる」

疑いあれば血液検査を

 甲状腺は首の「のどぼとけ」の下くらいにあり、チョウが羽を広げたような形をしている。その甲状腺の働きが活発になりすぎて、必要以上にホルモンがつくられるのがバセドウ病だ。

 甲状腺疾患の専門病院、伊藤病院(東京都渋谷区)の伊藤公一(いとうこういち)病院長(60)は、甲状腺を「元気の源」と呼ぶ。甲状腺から出るホルモンの役割は全身に及び、脳や胃腸など様々な臓器の働きを活発にし、体や骨の発育を促す。だが、せっかくの元気の源も、必要以上に分泌されると「イライラして集中力が減る」「しっかり食べてもやせる」「動悸(どうき)が激しくなる」「手足が震えて力が入らない」などの症状が出てしまう。

 患者の8割は女性で、20~30代が最も多い。バセドウ病は症状だけでは他の病気と区別しづらく、糖尿病や高血圧症、心臓病などと見間違われることもある。「疑わしいと感じたら、血液検査を受けることが大切だ」と伊藤さん。少量の血液で、甲状腺ホルモンの量がはっきりと数値でわかる。

写真・図版

 バセドウ病の治療法は主に三つある。薬物療法、放射線療法、手術だ。国内では、患者のおよそ8割は薬物療法を選んでいる。ホルモンの分泌を抑える薬をのみながら、時間をかけて治す方法だ。伊藤さんは「通常の社会生活をしながら治療できるのが利点だ。だが、時間がかかり、症状がぶりかえすこともある」と話す。

 放射線療法はアイソトープ療法とも呼ばれる。放射性ヨウ素が入ったカプセル錠を一つ飲むだけで済む。ヨウ素は甲状腺に集まる性質があり、そこで放射線を出して細胞を壊してくれる。伊藤さんは「国内で70年以上の歴史があり、安全性は確立している。再発の心配もない」。ただし妊娠中や授乳中の人は受けられず、治療できる医療機関が限られている。

 手術では、甲状腺をすべて摘出するのが主流だ。再燃の心配はない。目立たないものの傷痕が残り、ホルモンを補う薬をずっとのみ続けなければならない。

 米国は放射線療法が多い。「治療にはそれぞれ一長一短がある。医師とよく相談して、自分に合った治療法を選びましょう」と、伊藤さんはアドバイスしている。

 

 ◇ご意見・体験は、氏名と連絡先を明記のうえ、iryo-k@asahi.comメールするへお寄せください。

<アピタル:患者を生きる・スポーツ>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/

(伊藤隆太郎)