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 高山病や低体温症などの登山医学を研究する日本登山医学会。この学会に所属する認定山岳医・看護師たちが、昨年から南アルプスの甲斐駒ケ岳(2967メートル)で「山岳医療パトロール」を実施しています。山岳医は、「山に登れる山岳専門のお医者さん」です。登山道をパトロールしながら、遭難防止を呼びかけるほか、アンケートをとって山で起きる病気やけがなどの実態も調べました。将来的には、甲斐駒ケ岳だけでなく、首都圏に近くて登山者の多い八ケ岳などでも活動を広げたいとしています。

 甲斐駒ケ岳は、JR中央線の小渕沢駅周辺から間近に望むことができます。ピラミッドのような山容で「山の団十郎」とも呼ばれ、「日本百名山」にも選ばれた名峰です。山梨県北杜市側の北東に延びる長大な黒戸尾根の上部に山小屋、七丈小屋があり、パトロールのベースキャンプ(BC)になっています。

 山岳医・看護師たちはボランティアとして活動しています。7~10月の週末や休日、小屋をBCにして山頂との間を往復。山頂で休憩する登山者たちに「性別」「年齢」「頭痛、疲労、筋肉痛などの症状」をアンケート用紙に記入してもらうほか、疲労の度合いをみるため、血液中の酸素飽和度や脈拍数なども測定します。実際に山に登った登山者の体調などのデータを収集するのです。また、登山道で具合の悪そうな方に声かけをし、必要があれば付き添って行動することもあります。

 このほか、安全登山対策として、小屋で宿泊者に熱中症や高山病、低体温症などについてミニレクチャーも行っています。急病人などが出た場合、治療にあたることもあります。

 認定山岳医は、国際山岳連盟などが認定する登山医学専門医の資格で、1997年、欧州などでスタートしました。日本は、日本登山医学会が運営にあたり、2011年に国内で最初の認定山岳医3人が誕生しました。現在では認定山岳看護師の資格も出来ています。

 認定山岳医になるためには、高山病や低体温症など山岳地帯で起こりうる病気やけがの知識、治療などについて学びます。また、登山技術や救助技術についても、山岳救助関係者と一緒に行動できるレベルが求められます。同学会が定めたカリキュラムを受講し、実技試験などを経て、合格者に資格が与えられます。

 パトロールの構想は、信州大学山岳会OBで脳神経外科医の師田信人さん(63)が発案しました。師田さんは信大医学部在籍中、北アルプスを中心に冬山や岩登りなどに情熱を傾け、登山家として力をつけました。医師になった後も、「医学の知識を登山でも生かしたい」と考えていたそうです。日本登山医学会が山岳医制度を導入したことを知り、導入2年目の2012年11月に認定山岳医の資格を取りました。

御嶽山噴火では活躍できず・・・

 認定山岳医制度導入の当初、私はカリキュラムの講師(メディア対応など)を務めました。合わせて、認定山岳医の記事を何度か書きました。将来的には、欧州のように山岳医が救助隊員と一緒にヘリコプターに乗って救命治療にあたる「山のドクターヘリ」の構想がありました。しかし、日本は欧州とは違って、航空法の問題や警察を中心とした救助体制の中で、認定山岳医が活躍するためには、法整備を含めて様々な問題がありました。

 2014年9月、長野・岐阜県境の御嶽山(3067メートル)が噴火し、死者・行方不明者63人という噴火災害では戦後最悪の惨事となりました。

 御嶽山噴火災害で医療関係者として活躍したのは、認定山岳医ではなく、災害派遣医療チーム「DMAT」でした。この時、私は長野総局に勤務しており、長野赤十字病院(長野市)などから派遣されたDMATの医師たちを取材しました。

 DMATの医師は、必ずしも登山の訓練を積んではいません。登山口や登山口に近い病院で被災した登山者たちの治療にあたりました。この時、医師の1人が「自分は登山経験が少なく、3千メートル級の山頂付近の事故は想像がつかなかった」と話してくれたのを、今でもはっきりと覚えています。

 御嶽山噴火災害では、日本登山医学会に対して国や長野県などの自治体からの応援要請はなく、認定山岳医が救助や医療活動に携わることはありませんでした。師田さんは、「せっかく取得した認定山岳医の資格を山の事故の際、何とか生かしたい」と考えました。

 2016年12月、信大山岳会の後輩で、山岳ガイドの花谷泰広さん(42)と八ケ岳を登った際、花谷さんから「来年、黒戸尾根の七丈小屋の管理・運営をする」と聞き、展望が開けました。「七丈小屋を根城にして山岳医療パトロールができないだろうか?」

 北アルプスなどでは、多くの山小屋に、信大を含めて各大学医学部の診療所が併設されています。こうした診療所は、山小屋での診療・治療活動が中心となります。パトロールでは、山小屋はあくまで「後方基地」として、医療機材や医薬品を置き、山岳医や看護師らの宿泊をサポートする場所となります。花谷さんも、このアイデアに賛同し、七丈小屋をパトロールのための使用について了承してくれました。

 2017年3月、日本登山医学会の認定山岳医委員会(草鹿元・委員長)に「山岳医療パトロール委員会」が立ち上がり、活動内容の検討や医療機器・医薬品の準備が始まりました。そして、認定山岳医運用小委員会(稲田真・委員長)が中心となって7月からパトロールがスタートしたのです。初年度の昨年は、7月22日~10月9日の土日と祝日、計27日間活動しました。山岳医9人、看護師13人、理学療法士1人の実人数計13人が参加。延べ参加者は65人でした。

 期間中、245人の登山者にアンケートをしたほか、七丈小屋では低体温症や熱中症、高山病などについて約20回、ミニレクチャーも行い、医療面から安全登山について解説もしました。また、高山病や腹痛などの傷病で、登山者7人の治療にもあたりました。

 昨年のアンケートでは、様々な事実がわかりました。標高2000メートル以上では、予想以上に頭痛や疲労など高山病の症状が現れていることや、水分補給をしていないことで脱水症状を起こしていることなどです。調査は、甲斐駒ケ岳の山頂および駒津峰でで実施しましたが、師田さんによると、国内では山の中で行動中の登山者の健康調査を行ったことはおそらく初めてのケースだそうです。今後、こうしたデータが蓄積していけば、安全登山に大きく役立つと思われます。

寄付金渡す登山者も

 今年の活動期間は、7月21日~10月8日、土日と祝日です。メンバーは「甲斐駒ケ岳 山岳医療パトロール」と書かれたTシャツを着て、黒戸尾根~甲斐駒ケ岳~駒津峰を行き来しています。師田さんは「昨年は活動を始めたばかりだったけど、快くアンケートにこたえてもらったり、励ましの声かけをしていただいたりした。七丈小屋のミニレクチャーの後、寄付金を渡してくれる登山者もいました」と、手応えを感じています。昨年の実績をもとに、今年からは北杜市からの支援も得ることができるようになり、活動に弾みがついています。

 登山の現場に、山岳医・山岳看護師がいることは、登山者にとっては心強いことです。山岳医療パトロールが全国の山に広がって、医療面で登山者の安全を支えることを期待しています。

<アピタル:近藤幸夫の山へ行こう・健康と安全>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/climb/(近藤幸夫)

近藤幸夫

近藤幸夫(こんどう・ゆきお) 朝日新聞山岳専門記者

1959年。岐阜市生まれ。信州大学農学部卒。86年、朝日新聞入社。初任地の富山支局で、北アルプスを中心に山岳取材をスタート。88年から運動部(現スポーツ部)に配属され、南極や北極、ヒマラヤで海外取材を多数経験。2012年から日本登山医学会の認定山岳医講習会の講師を務める。現松本支局長兼山岳専門記者。