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 なぜ高額な募金活動を経て、海外で移植を受けなければならなかったのか。娘が米国で心臓移植を受けた父親らの体験を紹介した「なんでもない日はとくべつな日 渡航移植が残したもの」(はる書房)が出版された。9月には大阪市で出版記念イベントが開かれ、渡航移植を経験した父の青山竜馬さん(38)が「受けられるなら国内で移植手術を受けたかった。臓器移植について話すことが当たり前の社会になってほしい」と語った。

 臓器移植法が施行されて10月16日で21年。厚生労働省は10月を臓器移植への理解を深める月間としている。日本の脳死下の臓器提供は増加傾向にあるが、海外に比べるとまだ少ない。特に子どもの心臓移植は年数件にとどまっている。

 青山さんの次女・環(たまき)ちゃん(4)は2013年、双子の妹として生まれた。だが270日後、姉の菫(すみれ)ちゃんが心不全で亡くなった。環ちゃんも心臓の筋肉が薄くなり、ポンプの力が弱くなる「拡張型心筋症」と分かり、北海道から大阪大病院(大阪府吹田市)に移って治療を続けた。

 子ども用の補助人工心臓をつけても容体が悪化。他国に比べて子どもの移植件数が少ない国内では、もう待っていられなかった。米国での渡航移植を決断したが、シアトルの病院から伝えられた前払い金は2億円にものぼった。子ども用の補助人工心臓をつけると、集中治療室への入院や医療用チャーター機の手配が必要で、費用がかさむからだ。

 主治医や支援団体と相談し、友人に協力を頼んで「救う会」を立ち上げた。多くの人からの支援を受け、目標額3億2千万円の募金を集めた。

 だが、渡航移植はリスクが大きい。同乗する医師は「飛行機内で何かあったら助けられない」と言った。環ちゃんは機内で補助人工心臓のポンプが破れたが、感染症のリスクにさらされながらそのまま交換手術せざるを得なかった。

 米国では、病状の重い環ちゃんは自然と待機リストの上位に位置づけられるが、日本と同じように移植を待つ子どもはいる。米国で待っている子のチャンスを奪うことにもつながる。青山さんは「できれば海外には渡りたくなかった。けれど、他に方法がなかった」と振り返る。

 2008年、国際移植学会が「臓器移植が必要な患者の命はできるだけ自国で救うよう努力すること」といった内容の「イスタンブール宣言」を採択した。だが、17年の人口100万人あたりの提供数はスペイン46.9人、米国32.0人、韓国10.6人に比べ、日本は0.9人にとどまる。

 米国の病院に到着してすぐドナーが見つかった。だが、その裏で大切な子どもを亡くした家族がいる。青山さんは「うれしい」よりも自然と泣いてしまったという。

 現在、環ちゃんは通院して心臓の働きなどを確かめながら、元気に療育園へ通っている。青山さんは「姉の菫が生きたかった未来、環の胸の中に来てくれたお友達が生きたかった未来が、『きょう』なんです。なんでもない日は特別なんです」と話す。

 帰国後の生活が落ち着いた頃、募金活動を支援した元テレビ局記者の大谷邦郎さん(グッドニュース情報発信塾長)が「体験を記録にまとめた方がいい」と声をかけた。大谷さんが青山さんら両親・医師・「救う会」のメンバーにインタビューし、青山さんたちの文章を加えて、7月、「なんでもない日はとくべつな日」が出版された。

日本の臓器移植のイメージ「暗い」

 「臓器移植」というと、多くの人が「ひとごと」と感じがちだが、青山さんは「いつ自分に降りかかってくるのか分からない問題。自分のこととして考えてみてほしい」と話す。

 日本で初めての心臓移植は1968年、札幌医科大の故・和田寿郎医師による手術だった。ドナーの死の判定から移植手術までを同じ医師が担当したことなどから「密室で行われた」と批判が噴出。移植医療への不信感を招き、日本の臓器移植の法整備は世界から30年遅れたといわれる。

 「『自分がもし脳死になったら、どうしたいか』と普通に語れる社会になってほしい」

 そんな思いから、青山さんは今年2月、渡航移植を決意した家族のサポートも担う国際移植者組織「トリオ・ジャパン」の会長を引き受けた。関わる人すべてが大変な思いをする渡航移植。いつか、このサポートが必要なくなって、日本人が日本で当たり前のように移植を受けられるようになってほしいと考えている。

出版イベント、ドナー家族の思いも

 9月23日、関西大梅田キャンパス(大阪市)で開かれた出版記念イベントでは、青山さんやドナー家族、医師らが「子どもの未来」をテーマに語り合った。

 心臓血管外科医で、国立循環器病研究センター(大阪府吹田市)の福嶌教偉(のりひで)・移植医療部長が登壇し、「本来、渡航移植はあってはならないこと。日本の子どもの命は日本で救えるようにしたい」と話した。

 ドナーが少ない日本だが、家族が「提供したい」という思いを持っていたとしても、国内の子どもの臓器提供はまだ体制が整っていない現状がある。臓器提供ができる全国909施設のうち、18歳未満の臓器提供の「体制が整っている」と答えたのは275施設で3割にとどまる(18年3月厚労省調べ)。

 ただ、福嶌さんは「救命に尽力した救急や脳神経の医師が、患者さんが亡くなる時、すぐに家族へ臓器提供を切り出すというのは簡単じゃない」とも言う。米国や韓国では、脳死とみられる状態になった場合、移植の調整をする団体に連絡するシステムがあり、その後の対応はその団体が担う。「日本も制度を変えるべきだ」と指摘した。

 長女・優希ちゃんの臓器提供を決断した岐阜県の白木大輔さん(38)は「移植医療って暗いイメージがすごくありますよね。移植を待っている人や家族に、光がともることなのに」と話す。

 「提供までの時間はあったかい時間だった。先生方も色々なことをしてくれたし、心の準備をしながらゆっくり過ごせた。ドナー家族として経験したが、移植医療って、提供する側もそれを受け取る側も、すばらしいものだと思っている」

提供の意思表示は1割止まり「話してみて」

 自身の長男が国内で心臓移植を受けた大阪府の森菜緒子さん(41)も体験を語った。移植を希望登録してから、手術まで3年5カ月待った。

 ドナーが見つかったという一報が来たときは「どこかで同じ年頃の子を亡くされて悲しんでいる家族がいるので、素直には喜べなかった」と振り返る。「でも、頂いた命を大切に、これまでできなかったことを楽しんでいくのが、提供して下さったご家族のためだと思うようになりました」

 「みなさんの大切なお子さん、お父さんお母さんが、移植の必要な病気になる可能性はゼロではない。誰にでも突然起こりえること。『提供したい・したくない、移植を受けたい・受けたくない』という選択を、家族や医療関係者が迷わないように、みんなが意思表示してくれたらと思う」

 脳死ドナーと移植が必要で希望する人を結ぶ、日本臓器移植ネットワーク(東京都)の広報・啓発事業部長の雁瀬美佐さんは、世論調査などでは「臓器提供をしたい」と答える人は4割ほどいるのに、ドナーカードや運転免許証の裏側などでの意思表示率は約1割にとどまると指摘する。

 「残念ながら死を迎えたときに『私はこうしたい』という具体的な話を、友達や大切な人、家族と、一度話し合ってみてほしい」と訴えた。

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http://www.asahi.com/apital/medicalnews/focus/(水野梓)