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 認知症を単独の支援職だけで支えることはできません。実際に生活を支える介護職、法律や制度の面から支える行政職、そして医療職や地域の人々が連携して支えることが大切です。もちろん、よいことばかりではありません。関係者の連携は時に意見の食い違いを生み、連携体制そのものが頓挫することも珍しくありません。でも、そんなプロ同士の関係こそが、介護職を支えてくれるのです。

 72歳のAさん(女性)は独り暮らしを続けていますが血管性認知症です。血管性認知症の特徴として、主治医(かかりつけ医)の前ではシャンとする場合があります。Aさんも長年通っている主治医の前では、はっきりと言葉を交わすことができます。

 そのため主治医は「彼女がそれほど悪くない」と感じていました。これは何もその医師が悪いわけではなく、私も診療時間の限られた対話だけでその人の状況がわからないこともあります。主治医の診療のように、少し緊張する相手との会話では、Aさんは無意識のうちに「しっかりしなければだめ!」と自分を奮い立たせていたのでしょう。

 この状態はデイサービスでも同様でした。診療の限られた時間と比較すると格段に長い時間を過ごすデイサービスですが、要支援1のAさんは介護予防として週1回の機能強化型デイサービスを半日利用しているだけでした。このようなリハビリ型のデイサービスで彼女は頑張り、スタッフも気づきにくかったのでしょう。

 ところが台風が近づいた秋のある日、突然、Aさんが自宅から行方不明になりました。Aさんが出かけたことを町内の人が見かけていましたが、夜になって豪雨でも自宅に帰ってこなかったのです。そのことを町内の民生委員から聞いた地域包括支援センターの主任ケアマネジャー山本紀子さん(仮名、40歳代)は、時間帯や状況によって常に大きく変化し得る血管性認知症の特徴に改めて驚きました。

 その後、Aさんの遠く離れて住む妹や主治医、デイサービスの職員も交えて対策が話し合われましたが、Aさんの症状はそう心配するほどでないという人から、山本さんと同じようにある程度深刻に受け止めている人まで、彼女の病気についての理解がそれぞれ全く異なることがわかりました。会議で方針を探っても答えが見つからず、その場の雰囲気は悪くなるばかりでした。

 山本さんは困ってしまいました。地域包括ケアの概念の元、みんなが認知症を支えていきたいと考えているのに、その人の状態の把握内容がそれぞれ異なるとは思ってもみなかったからでした。

 さあ、困りました。山本さんが考えていた対応ができずに数か月が経過したころ、その知らせは突然にやってきました。Aさんが自宅近くの運河に転落して亡くなったのです。外出して行方知れずになっての事故だと聞きました。

 山本さんは自分を責めました。誰一人として彼女の判断を間違っていたとは思いません。しかし彼女は、Aさんが事故に遭う危険性をもっと深刻に受け止められなかったかと後悔しました。「すぐには命にかかわるほどの危険性はないという、自分の判断が正しかったのか」と、悩んでふさぎ込んでしまいました。

 ところが、意外にも、そんな彼女を救ったのはあの時の会議に出ていた、かかりつけ医やデイサービスの人びとの言葉でした。彼らは山本さんに彼女がAさんを唯一、どのような状態にあるか理解していたことを評価して、口々にそのことを伝えてきました。

 山本さんの気持ちが落ち着くまでに時間はかかるでしょうが、彼女は周囲のみんなの言葉で少しずつ自分を取り戻していきました。

お互いを支えあう、エンパワメントの会

 かつて私は介護職や福祉職を対象に「支え合いのエンパワメントの会」を展開したことがあります。今は診療で精いっぱいなので実施できていませんが、その時の経験から、お互いがエンパワー(力づける)することの大切さを学びました。山本さんのように自分を責めて気持ちが沈んだ人に「頑張れ、そのうち忘れるから」などと安易に声をかけるのは最も避けたいことです。いくらプロだからといっても山本さんのこころが傷ついたことは事実で、そのような人には、よくも悪くもプロの目線で評価され、変な誤解をされずに完全に守られていると感じる雰囲気の中で支えられることが大切だからです。

 エンパワメントの会もそのような集まりのひとつです。例えば彼女のような主任ケアマネジャーや介護福祉士、さまざまな職種が何人かつどい、決して相手の批判をすることなく、その人の評価できる点を語り合うミーティングをおこなうのが特徴です。

 最初は照れ臭いかもしれません。でもその数人の会に参加した誰もが、相手の「この点が素晴らしい」と評価できるようになると、自分が相手の良い点を見いだすことの幸せを感じられるようになります。人の良さを見つける視点でものをとらえるようになると、結果として自分も支えられていると感じるようになります。決して最高の手段ではないかもしれませんが、このような集まりをおこなうことも、支援職がお互いを支え合う機会になると思います。普段から介護の職場でこのような見方をすることが大切なのかもしれません。

不完全なあなたでもいたほうがまし

 私はかつて介護職のカウンセリングをしていた時に、自分の精神科医としての経験を話したことがあります。それは多くの認知症の方から「先生は私の病気をよくすることはできない。でも、あなたは私と一緒に歩んでくれるから、先生がいないよりはいたほうがましです」と言われた経験です。若年性認知症で側頭葉が変化する彼は、ときに私に容赦ない言葉を投げつけるのですが、彼は本心を語ってくれるので、本当に私のような不出来な医者でも、いないよりはいたほうがましだと思ってくれていることに感謝しました。そしてそんな風に思ってくれる人がいる限りは、自分が医者を続けても良いのだと思うことができました。

 いま悩んでいる介護職のみなさんも、あなたがいない世界と、不完全ではあってもあなたが誰かのために役に立ちたいと願いながら存在する世界とでは大きな違いがあることに気づいてください。不完全ではない支援者などこの世に存在しません。誰もがみな、自分の行いが正しいのか違っているのか自信がない時もあります。

 しかし、そのような時こそ思い出してください。あなたは微力であっても、あなたがいることで支援される誰かがいます。泣きながら悩みながら、それでもあなたが力になりたいと願う気持ちが、少しずつ誰かの支えになるなら、あなたや私のような支援の仕事に就いた者の役割を演じていくことができます。

 泣きながら、泣きながら、それでも明日の希望を捨てるな、介護職!

<アピタル:認知症と生きるには・コラム>

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/

(アピタル・松本一生)

アピタル・松本一生

アピタル・松本一生(まつもと・いっしょう) 精神科医

松本診療所(ものわすれクリニック)院長、大阪市立大大学院客員教授。1956年大阪市生まれ。83年大阪歯科大卒。90年関西医科大卒。専門は老年精神医学、家族や支援職の心のケア。大阪市でカウンセリング中心の認知症診療にあたる。著書に「認知症ケアのストレス対処法」(中央法規出版)など