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 介護保険が2000年4月にはじまって、介護に対する社会の認識はずいぶん変わってきました。「介護は家の問題だから家族や親族で何とかしなければならない」といった旧来の制度の考え方を変え、家族(とくに女性)が担うべきものではなく社会全体が支え、みんなが支え合う仕組みを目指そうとしてからまもなく19年目を迎えます。しかしそういった制度を「利用できない人」がいることも事実で、現状ではいくつもの課題があります。そのような場合の対応について考えてみましょう。

認知症の本人がデイサービスを拒絶

 アルツハイマー型の若年性認知症で浅田敏子さん(仮名、56歳)は夫の介護を受け1年半が過ぎました。息子(28歳)は就職して家庭を持ち、娘(26歳)は海外に留学しています。夫婦2人でマンションに住みながら日々を送っていました。

 かかりつけの内科医が乗り気でない敏子さんを説得し、やっとのことで調査を受けて介護認定を受けられましたが、敏子さんは一貫して「私は歳をとった人と一緒に介護保険など受ける立場ではない。元気なので病気扱いしないでほしい」と主張します。

 しかし実情は敏子さんの主張とは異なります。何一つ自分ではできないにもかかわらず、自分でできているように感じているだけでした。ケアマネジャーは「せっかく介護認定で要介護1が出たのだから、脳のリハビリや他人との交流をしましょう」と進めてくれますが、敏子さんは全く受け入れてくれません。敏子さんの夫もかかりつけの内科医も困ってしまいました。

 介護保険の一般的な利用者とは異なり、若い人がデイサービスを使おうとする場合に起きがちなことです。若年性認知症の人だけが集まるデイサービス、軽度の人を対象にしたデイサービスがたくさんあればよいのですが、どの地域にもあるという状況ではありません。せっかく要介護認定を受けても本人の希望に沿わず、生かせないのは残念です。

 しかし若年性デイサービスがあったとしても無理やりにサービスにつなぐと、かえってよくないこともあり、慎重な導入が大切です。

妻のケアを拒み介護続ける

 一方、本人がサービスを拒絶するのではなく、介護家族がケアを拒否する場合も少なくありません。虐待・不適切行為の視点から考えると、自らがケアを受けることを拒む場合には「セルフネグレクト」という分類に入ってしまうのですが、実態はそれほど簡単に割り切れるものではありません。

 血管性認知症の女性、高浜紀子さん(仮名、68歳)の夫、正さん(仮名、69歳)は貿易会社に勤務していたころ何度も単身で海外赴任を続けてきました。退職した彼は妻の介護をすべてひとりでしようとします。そのことが気になった地域包括支援センターの主任ケアマネジャーが正さんに聞くと「人に頼んでやってもらうより、自分でやった方が早くでき、しっかりと妻のケアができる」と言われ、ケアマネジャーは面食らったそうです。

 いくらケアマネジャーが「ケアを家族だけが担うことなく、サービスを入れると介護家族も破綻することなくケアを続けられるから、ぜひ介護保険を導入しましょう」と勧めても、正さんは「これは夫である自分が担うべきことだ。ほかの誰かに任せるつもりはない」と言って、ほぼすべてのケアをひとりでこなします。周囲の人たちはみな、夫の介護への燃えつきを心配して「無理しないでほしい」とアドバイスするのですが、彼は能力があることに加えて、これまで商社マンとして自ら困難を切り開いてきた自負があります。

誰もが何も言えない状況になってしまいました。

介護職が関われない

 ここにあげた二つの例はそれぞれ「本人が拒絶する場合」と「介護家族が周囲の人の援助を拒む」場合の、一見すると正反対の「拒否」ですが、支援を拒みセルフネグレクトのかたちになる可能性が高いため、地域の課題として考えなければなりません。

 本人が拒否する前者の場合にはできる限りその人の自尊感情を尊重し、参加した時にやりがいを感じてくれるようなサービスを根気よく見つけることが大切です。地域差もあり誰もが利用できませんが、それでも最近では対象者のニーズに合わせてメニューを絞り込んだ形のデイサービスや、リハビリ機能強化型のデイサービス、若年性認知症の当事者が自ら話し合い、その日の目的を行うデイサービスなど、多様な形のものが出てくるようになりました。何度でもあきらめずにトライすることがポイントです。

 介護家族が拒否する後者ですが、正さんの姿を見ていて、何かまるで、同じように妻の介護をしている筆者の私のことを誰かが見ていて、それを文章にしているような感じがしました。私は正さんのように優秀で何でもできる人ではありませんが、男性介護者として妻のケアをしていて、よく気づかされることがあります。それは「他人に頼ることが極めて下手である」という事実です。

 認知症の専門医という仕事のためか、日ごろの臨床現場では困っている介護家族に対して「ひとりでがんばらずに周囲の人の手を借りてください。SOSを発信するのは恥ではなく、あなたの権利です」などと言っているのですが、いざ、自分が妻と散歩に出かけると周囲の人に迷惑をかけないように、いつの間にかすべて自分でやっている自分に気づくことがあります。いつも「手っ取り早く自分が何でもやっていないか」むしろその点に気をつけなければなりません。

 そして今回、どうしても書きたいことがあります。それは介護において、介護職がなんとかしたいと思っているのに、どうしても事態が動かない時があるということを知ってもらいたいのです。

 たとえば最初に例として挙げた浅田敏子さんのように支援を拒否する期間があったとしても、何かのチャンスでサービスを使い始めることがあり得ます。二番目の例に挙げた高浜さんの夫の正さんのかたくなさが何かの理由で変わり、周囲の人の支援を受けるようになる可能性があります。

 過去に経験した例では、ご本人がちょっとしたことから自分の体が弱っていることに危機感を持って介護を求められたこともあります。家族が介護ができなくなり介護を求めてきたこともあります

 そのとき、それは決して「遅すぎる」のではないと言いたいのです。そのときこそチャンスです。動かない時には無理をせず、チャンスが来るのを待つ姿勢も大切なことだと痛感する毎日です。

<アピタル:認知症と生きるには・コラム>

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/

(アピタル・松本一生)

アピタル・松本一生

アピタル・松本一生(まつもと・いっしょう) 精神科医

松本診療所(ものわすれクリニック)院長、大阪市立大大学院客員教授。1956年大阪市生まれ。83年大阪歯科大卒。90年関西医科大卒。専門は老年精神医学、家族や支援職の心のケア。大阪市でカウンセリング中心の認知症診療にあたる。著書に「認知症ケアのストレス対処法」(中央法規出版)など