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 前回のコラムでは認知症の人が支援を断る場合や、介護家族が周囲からの支援を断ってしまう事態について書きましたが、今回は介護家族が、つい仕事や日々の生活の忙しさからうっかりとしてしまった結果が介護の破綻を引き起こした例を紹介します。

父親と営んだ豆腐店と介護

 これまでコラムに登場する人は個人情報の保護のために、複数の事例を少しずつ重ね合わせて物語を作ることで特定の事例であることがわからないように配慮してきました。しかし、今回背景となるのは、ひとつの事例をもとにした物語です。20年ほど前に(筆者の診療所がある関西以外の)ある県で経験した話ですが、つらい結末から忘れられない事例でもあります。プライバシーの守秘を徹底し特定の地域、人物とわからないように脚色しました。

 87歳になるアルツハイマー型認知症の父親を在宅でケアしている息子がいました。金本信夫さん(仮名、49歳)です。彼は軽度の知的障害を持ちながらも寝たきりの父親の介護を5年以上続けてきました。

 母を10年ほど前に見送り、男性がひとりで父親の介護をしながら仕事を続けていくのは並大抵の苦労ではなかったと思います。とくに金本さんは父親と一緒に豆腐店を営み、地域でも評判の店だったため、父親の介護をするようになっても仕事との両立を望んでいました。

あの日の帰り際に

 私はそんな彼を地域の内科医(かかりつけ医)からの依頼で、時々訪問をしながら、内科医と組んで担当することになりました。訪問看護ステーションや在宅療養支援診療所の仕組みができる前の話です。在宅ケアを受ける認知症の人や家族にたいする医療は限られたものしかありませんでした。

 ある県(関西ではない地域)に2カ月に一度ほど通い、内科医と役割分担をしていたはずでしたが、別れ際に「ところで金本さん、お父さんの便通の具合はどうですか」と気軽に聞いてしまいました。

 そのとたん、彼の顔色が変わりました。

 「うわー」と大声を出した彼は、豆腐店の土間の奥にある小上がりの和室に向かって走り出しました。私はあっけにとられてその様子を見ていましたが、彼がふすまを開けて父親の布団を上げたとき、目に飛び込んできたのは黒くなりカチカチに固まった父親の下着でした。だいぶ長い期間、下着を替えていなかったため、便がこびりついて固くなっていたのでした。それを慌ててはがそうと……。

 「やめろ!」とっさに彼の動きを制しようとしたのですが、私の声は間に合わず、金本さんは父親の下着を急いで引きはがしました。高齢である上に何年も寝たっきりだった父親の皮膚は弱っていたのでしょう。下着を無理に外そうとした結果、一瞬にして父親の下半身の皮膚まで一緒にはがれてしまいました。

 その時の金本さんの悲鳴は今でも耳の奥から消えることはありません。彼は近所の人を大声で呼んで助けを求め続けました。

能力以上の負担、ついうっかりに

 父親の食事や店の仕事は何とかこなしていたものの、排泄(はいせつ)の処理をうっかり忘れてしまった金本さんは私の一言からそのことを突然、思い出しました。自分で気づくのと、私がいるところで思い出すのでは大違いです。彼の頭の中は真っ白になっていたことでしょう。

 その事件の後、地域の人々も、かかりつけ医と私も、彼のこころの傷を何とかサポートしようと思いました。父親の介護をすすんでしてきた彼が、つい忘れていたことから大きな事故になってしまったのであって、決して彼に介護忌避や怠慢があったわけではないことを彼自身に伝えようと努めました。

 その後、彼は父親の特別養護老人ホームへの入所措置が決まるまでは、淡々と介護の日々を過ごしていましたが、入所が決まったのちにひっそりといなくなってしまいました。彼の消息は今でも分かりません。実直で生真面目な彼は自分がしてしまったことを許すことができなかったのだと思います。本当ならその原因を作った私を責めてもよいはずなのに、そうはせずに自分を責めました。

 金本さんの場合にはいくつもの要素があって、単に熱心な介護者の「行き詰まり」とは言えませんが、私が訪問した数回の間に彼の介護目標の設定が高くなったことは明らかです。

 当時、私は介護している彼をしっかりと評価したいと思うあまり、家に行くたびに「金本さん、今日もがんばって介護していますね。よくやっていると思いますよ」と言い続けていました。少しでも彼の努力を評価したいと考えてのことでしたが、今から思えば精神科医として恥ずかしい思いです。妻の介護をして5年たつ今の私なら、あの時、彼が目標を上げて、ついに自らの期待に沿えないようになるところまで、自分を追いやるまで褒めるようなことはしなかったでしょう。

地域は温かい時も、冷たいことも

 しかしこの話にはまだ書かねばならないことがあります。それは彼のことを助けてくれたはずの近所の人が、その後、そこで起きたことを言いふらしたことです。あの日、大慌てで店の外に飛び出し、大声で助けを求めた彼を何人もの人が助けてくれました。ところが後日、誰かがあの日のことを周囲に話したことが判明しました。それも「因幡の白ウサギ事件」と、表皮がはがれたことを残酷な表現で話しました。面白おかしく話を作ったつもりでしょうが、それを聞いた彼は深く傷つきました。

 あの日、地域包括ケアの概念が理解されていたなら、このような展開はなかったでしょう。もちろん、最も認識を改めなければならなかったのは私自身です。その場にいて事件を作る原因になってしまっただけでなく、侮蔑的な話を抑えることができなかった。20年たった現在でも悔悟の念が消えることはありません。

     ◇

 さて、次回から2度にわたって「認知症介護に肯定的な側面があるか」というテーマを取り上げたいと思います。これまで認知症の介護を巡る課題点をいくつも取り上げてきました。しかし認知症のケアを通して何かプラスになることがあるとすれば、ケアの日々に「先に向かう光」を感じることができるかもしれません。その希望となる話を紹介したいと思います。

<アピタル:認知症と生きるには・コラム>

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/(アピタル・松本一生)

アピタル・松本一生

アピタル・松本一生(まつもと・いっしょう) 精神科医

松本診療所(ものわすれクリニック)院長、大阪市立大大学院客員教授。1956年大阪市生まれ。83年大阪歯科大卒。90年関西医科大卒。専門は老年精神医学、家族や支援職の心のケア。大阪市でカウンセリング中心の認知症診療にあたる。著書に「認知症ケアのストレス対処法」(中央法規出版)など