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 陸上長距離選手に対する鉄剤注射が原則禁止されるという報道がありました。2年前に「貧血が重症かつ緊急の場合以外は鉄剤注射をしないように」と勧告されたのにも関わらず、注射は減ってないそうです。

 各メディアの報道によると、持久力を高める効果があるとされて、女子長距離選手を中心に鉄剤注射が行われました。中には高校時代に指導者の指示で注射を繰り返し、体内の貯蔵鉄の指標となる「フェリチン」の値が正常範囲を大幅に超えていた選手もいたそうです。報道が事実だとしたら、指導者はもちろん、安易に鉄剤を注射した医師にも問題があると言わざるを得ません。

 陸上選手が鉄不足に陥りやすいというのは事実です。体重が増えすぎないように食事を制限すればそれに伴って鉄の摂取量は減りますし、トレーニングで足の裏に繰り返して衝撃が加わると赤血球が機械的に壊されます。鉄分の補給が必要というのはよく理解できます。しかし、鉄欠乏性貧血に対する治療はまずは鉄の経口投与です。鉄剤の注射が必要になるのは、内服薬の副作用が強かったり、消化管からの吸収が悪かったりする特別なケースだけです。

 過剰な鉄は肝臓や心臓に蓄積して臓器障害を起こします。鉄は体内で過剰になっても生理的に排泄(はいせつ)する仕組みがないため、静脈投与は鉄過剰症のリスクが伴います。やむを得ず鉄剤の注射をするとしても、鉄の不足量を前もって計算して必要量のみ投与し、さらに鉄が過剰になっていないか採血でチェックしながら行うべきです。きちんとチェックされていたならば、フェリチンの値が正常範囲を大幅に超えていた例が生じるはずがありません。内服の鉄剤も漫然と投与されてはいけませんが、体内の鉄不足が解消されると消化管からの鉄の吸収が抑制されるため、鉄剤を内服しても消化管を素通りして排泄され、鉄過剰症のリスクは小さいです。

 なぜ内服ではなく注射なのか、なぜ検査もろくにされず過剰になるほど投与されたのか、私には理解できません。リスクに見合った効果(競技成績の向上)があるならともかく、こんないい加減な投与では効果があったどうかも疑問です。鉄が不足しているところに補給するから効果が期待できるのであって、過剰に鉄を投与しても害だけあって何もいいことはありません。

 鉄分の補給は、基本的に食事から行い、それでも不十分なら内服薬の経口投与で行われるべきです。注射が必要になる場合もないとは言いませんが、きちんと診療をしている医師であれば、「原則禁止」されても困りません。鉄剤注射が必要だと判断した医学的理由をカルテに記録し、患者に十分に説明しているはずだからです。鉄剤注射の原則禁止で困るのは、安易に注射をするような医師だけです。

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(アピタル・酒井健司)

アピタル・酒井健司

アピタル・酒井健司(さかい・けんじ) 内科医

1971年、福岡県生まれ。1996年九州大学医学部卒。九州大学第一内科入局。福岡市内の一般病院に内科医として勤務。趣味は読書と釣り。医療は奥が深いです。教科書や医学雑誌には、ちょっとした患者さんの疑問や不満などは書いていません。どうか教えてください。みなさんと一緒に考えるのが、このコラムの狙いです。

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