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 このコラムでは、ADHDの30代女性・リョウさんのお話を続けています。

 赤ちゃんが生まれて、ついに母親になったリョウさんですが、初めての育児をめぐり、なかなか苦戦しています。夜泣きの睡眠不足に加えて、日中もぐずる我が子に息つく暇もありません。それなのに夫はどこか他人事で、子どもがいない時と変わらないペースで残業や飲み会を繰り返しています。帰宅時間は以前より遅くなってさえいました。

 夫とは完全にすれ違いの生活となり、リョウさんは育児の面で全く戦力にならない夫に怒りを募らせています。(リョウさんは架空の人物です)

 結婚前のリョウさんたち夫婦を思い出してみましょう。ふたりとも、どちらかといえば、困難に直面して対決していくよりは、お酒を飲んだり恋愛に溺れたりするような、人間らしい弱さのある組み合わせでした。いろいろありましたが、夫婦になったふたりには「そうだよね、それ、辛いよね」「わかるよ、私もそれ辛いもん」というように、ある程度の「弱さ」を許容し合えるような、ゆとりがあったのかもしれません。これがお互いへの優しさでした。

 しかし、今のふたりは、昼夜を問わない子育てという大仕事によって、完全に「ゆとり」を奪われていました。いえ、正確にいうと、リョウさんだけがその大仕事と向き合わざるを得なくなっていて、夫は完全に逃げていました。

 そうです。子育てに対する意識が、夫婦の間で大きくズレてしまっていたのです。孤軍奮闘しているリョウさんの怒りを鎮めて現状を改善するためには、まずはこの温度差を埋めていかなければなりません。

 

 意識のズレを埋める作業は、臨床心理の現場でも必要な場面が多くあります。夫婦間の認識のズレだけでなく、管理職と部下、家族と本人、医療者と患者などさまざまです。

 意識のズレを埋めるために、私が臨床で心がけているのは、次の3段階を想定することです。

<意識のズレを埋めるための3ステップ>

 第1段階:相手の現状を知る(情報として知る)

 第2段階:相手の心情を理解する(共感する)

 第3段階:相手のために何ができるか知る(解決策を知る)

 

 相手の状況に対する理解は、1→2→3の順に進んでいきます。第1段階の相手の状況を情報として知的に理解できていなければ、当然、第2段階の共感には至りません。私たちは、感情的になっているときほど、相手に現状(第1段階)を十分に知らせないまま、いきなり共感(第2段階)を求めることをしがちです。「私がどれだけ大変か、あなたにはわからないのよ!」そんな夫婦喧嘩の言葉は代表的といえます。

 

 そして、大切なのは第3段階です。解決策を話し合わなくては、現実には何も変わりません。感情のぶつけ合いを繰り返すだけでは、同じ問題は再燃します。

 ここで大切なのは、「to doリスト」の形で表すことができそうな行動上の解決策を話し合います。例えば、「金曜と土曜の夜は、夜中の我が子を面倒見る」とか、「今度の土曜日に美容室に行く間我が子の面倒をみる」とか、「洗濯をする」などです。「もっと家族に関心をもつ」とか「私の気持ちも考えて」といった曖昧なものではなく、それらを具体的な行動に落とし込むのです。こうすることで、相手の側の「で、一体何すればいいの」のような戸惑い(一部うんざり感)を軽減することができるでしょう。

 

 リョウさんは、頭の中で自分の置かれた状況や夫に伝えたいことを次のようにまとめてみました。

第1段階:夫に伝えたい自分の現状

 ・昼ご飯も味わえないほど、日中我が子がぐずっている。

 ・夜中に我が子が泣いて、眠れず、腕は腱鞘(けんしょう)炎になっていて、自分の身体がきつい。

 ・誰とも会話できずに1日が終わる。

第2段階:夫に共感して欲しい自分の心情

 ・1分も自分の時間がなくてつらい。

 ・身体がきつくて気力もわかないときに、手伝ってくれない夫にイライラする。

 ・孤独でたまらない。

 

 第2段階までは思い描くことができたリョウさんでしたが、夫が仕事三昧な現状では、第3段階が全く思い浮かびませんでした。「どうせ無理」だからです。

 このような時には、ひとまずなんでも叶う前提で書き出してみましょう。

 一度アウトプットすれば、それを元にふたりで現状に合わせて調整すればよいのです。「妻としてこのくらいの料理はしなければ」とか「母親として1人の時間なんてなくても我慢しなくては」などの思い込みをいったん排除して、勝手にハードルを上げるのをやめて、素直にそっと書き出してみるのです。

第3段階:夫に行動してもらって自分がやりたいこと(解決策)

 ・たまにはゆっくり食事をしたい。できれば子ども連れでは到底行けないようなレストランに行ってみたい。

 ・美容室に行きたい。

 ・仕事はともかく、飲み会を控えてほしい。なんなら私も飲みに行きたい。

 ・夜眠りたい。朝まで一度も目を覚まさずに寝てみたい。

 ・友達に会いたい。

 出てきましたね。リョウさんは、これらを元に夫と話し合うことにしました。

 

 ある日曜日。寝ている夫を起こして、リョウさんは話し始めました。ところが、リョウさんが自分の置かれた状況(第1段階)を伝え終わらないうちに、夫は明らかにイライラし始めました。そして、リョウさんの発言を遮ってこう言ったのです。

 夫「そんなに大変なら、なんで子ども産もうと思ったの。そのくらい覚悟できてなかったの」

 リョウさんは、全く話し合いにならない夫に愕然(がくぜん)としました。こんなにも夫婦の意識がずれていたとは。そして、味方だと思っていた夫が、どこか遠い場所から冷ややかな目で自分と子どもを見ていたことがショックでなりませんでした。

 リョウさんは、子どもを抱きかかえて家を出ました。このお話は次回も続きます。

 

<お知らせ> ネットでさまざまなお悩みを相談できます

 このコラムの筆者の中島が、北九州市にある精神科クリニック「かなめクリニック」にて、昨年3月からオンライン診療を担当しています。診断の有無にかかわらず、インターネットを用いて認知行動療法などのカウンセリングを行います。ご相談内容は、ADHDに限らず、気分が落ち込んで引きずってしまう、不安でたまらない、食べ過ぎや飲み過ぎ、薬に依存してしまう、性犯罪に関するものでも幅広くお引き受けします。ご家族からの相談も受け付けます。みなさまのご相談をお待ちしております。

 ※要予約・有料で、自費診療となります。すでに医療機関にかかっていて、主治医や担当カウンセラーのいる方は、許可を得た上でお申し込みください。

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<アピタル:上手に悩むとラクになる・生きるのがつらい女性のADHD>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/nayamu/(アピタル・中島美鈴)

アピタル・中島美鈴

アピタル・中島美鈴(なかしま・みすず) 臨床心理士

1978年生まれ、福岡在住の臨床心理士。専門は認知行動療法。肥前精神医療センター、東京大学大学院総合文化研究科、福岡大学人文学部、福岡県職員相談室などを経て、現在は九州大学大学院人間環境学府にて成人ADHDの集団認知行動療法の研究に携わる。他に、福岡保護観察所、福岡少年院などで薬物依存や性犯罪者の集団認知行動療法のスーパーヴァイザーを務める。