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 前回は陸上選手への安易な鉄剤注射について書きました。臨床の現場では昔から鉄剤注射の危険性は知られていました。過剰な鉄は肝臓、心臓、膵(すい)臓、皮膚などの組織に沈着して臓器障害を起こします。障害を起こした臓器によって肝硬変、心不全・不整脈、糖尿病、皮膚色素沈着といった症状が生じます。こうした症状は鉄過剰症と呼ばれ、血液検査で血清鉄やフェリチン(鉄と結合するたんぱく質)を測定することで診断できます。また、鉄が沈着した肝臓はCT検査をすると白くうつります。

 鉄代謝に関する遺伝子の異常でも鉄過剰症は起こりますが、輸血や鉄剤の注射による医療行為が原因の鉄過剰症をとくに二次性鉄過剰症と言います。日本では遺伝性の鉄過剰症は少なく、多くはこの二次性鉄過剰症です。研修医のころ、鉄剤の注射のせいで鉄過剰となり、肝硬変や心不全を起こした患者さんを診たことがあります。たしか、70歳前後の男性でした。

 すでに診断はついており、肝硬変や心不全に対する対症療法と同時に、瀉血(しゃけつ)療法といって過剰な鉄を除去するために定期的に血液を抜く治療を行っていました。病状としては安定していましたが、いくら鉄を除去しても肝機能や心機能は完全には元には戻りません。肝硬変から肝細胞がんが発症するリスクもありました。

 鉄剤の注射をしていたのは別の診療所でした。なぜ鉄剤の内服薬ではなく注射を、それも過剰になるほどまで行っていたのかはよくわかりません。もしかしたら、内服よりも注射のほうが効くという思い込みや、注射のために定期的に通院してもらうことで診療報酬をより多く得る意図があったのかもしれません。いずれにせよ、不必要な医療行為によって患者さんが不利益を被ることは許されません。医療には不確実性がつきもので、薬や処置によって一定の確率で副作用や合併症が起きてしまうのは避けられませんが、鉄剤注射による鉄過剰症は採血でチェックしていれば防げるものです。

 鉄剤注射による鉄過剰症を私が診たのは、ずいぶん以前のその一例だけです。文献にも、輸血歴や血液疾患がない、純粋に鉄過剰投与のみが原因と考えられる二次性鉄過剰症はまれとあります。もはや適切なチェックなしに鉄剤注射を行う医師はほとんどいないだろうと思っておりました。

 ところが今回、日本陸上競技連盟から注意勧告が出るほど、複数の事例で鉄剤注射が行われていたことに驚きました。大きな病院でこのようなことが起これば、医療事故とまではいかなくても、適切な報告がされるべき事案です。医療への信頼に関わる問題であり、再発を防ぐためにも、なぜこのようなことが起こったのか、私たち医療界が自浄作用を発揮してしっかり調査すべきだと考えます。

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アピタル・酒井健司

アピタル・酒井健司(さかい・けんじ) 内科医

1971年、福岡県生まれ。1996年九州大学医学部卒。九州大学第一内科入局。福岡市内の一般病院に内科医として勤務。趣味は読書と釣り。医療は奥が深いです。教科書や医学雑誌には、ちょっとした患者さんの疑問や不満などは書いていません。どうか教えてください。みなさんと一緒に考えるのが、このコラムの狙いです。